2020年09月24日

 Kyohno Seisho Monogatari

今日も良い一日でありますように!

-----

<今日の聖書物語 *>

(ルカによる福音 9:7-9)

9:7
 さて、領主ヘロデはいろいろな出来事を耳にして、あわて惑っていた。それは、ある人たちは、ヨハネが死人の中からよみがえったと言い、

9:8
 またある人たちは、エリヤが現れたと言い、またほかの人たちは、昔の預言者のひとりが復活したのだと言っていたからである。

9:9
 そこでヘロデが言った、「ヨハネはわたしがすでに首を切ったのだが、こうしてうわさされているこの人は、いったい、だれなのだろう」。そしてイエスに会ってみようと思っていた。

-----

<今日の『み言葉』>

み言葉について
(ルカによる福音 9:7-9)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_283.htm#332

-----

(伝道の書 1:2-11)

1:2
 伝道者は言う、
空の空、空の空、いっさいは空である。

1:3
 日の下で人が労するすべての労苦は、
その身になんの益があるか。

1:4
 世は去り、世はきたる。
しかし地は永遠に変らない。

1:5
 日はいで、日は没し、
その出た所に急ぎ行く。

1:6
 風は南に吹き、また転じて、北に向かい、
めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。

1:7
 川はみな、海に流れ入る、
しかし海は満ちることがない。
川はその出てきた所にまた帰って行く。

1:8
 すべての事は人をうみ疲れさせる、
人はこれを言いつくすことができない。
目は見ることに飽きることがなく、
耳は聞くことに満足することがない。

1:9
 先にあったことは、また後にもある、
先になされた事は、また後にもなされる。
日の下には新しいものはない。

1:10
 「見よ、これは新しいものだ」と
言われるものがあるか、
それはわれわれの前にあった世々に、
すでにあったものである。

1:11
 前の者のことは覚えられることがない、
また、きたるべき後の者のことも、
後に起る者はこれを覚えることがない。

-----

†主の平安

☆ インターネットラジオ Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental

* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/

☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

-----
posted by marion at 00:31| 千葉 ☔| 本/雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 Today's Bible story *

September 24, 2020

I hope that you have a nice day today too.

-----

Thursday of the Twenty-fifth Week in Ordinary Time

-----

Gospel : Luke 9:7-9

7 Now Herod the tetrarch heard of all that was done by him; and he was very perplexed, because it was said by some that John had risen from the dead,

8 and by some that Elijah had appeared, and by others that one of the old prophets had risen again.

9 Herod said, “John I beheaded, but who is this, about whom I hear such things?” He sought to see him.

-----

Ecclesiastes 1:2-11

2 “Vanity of vanities,” says the Preacher; “Vanity of vanities, all is vanity.”

3 What does man gain from all his labour in which he labours under the sun?

4 One generation goes, and another generation comes; but the earth remains forever.

5 The sun also rises, and the sun goes down, and hurries to its place where it rises.

6 The wind goes towards the south, and turns around to the north. It turns around continually as it goes, and the wind returns again to its courses.

7 All the rivers run into the sea, yet the sea is not full. To the place where the rivers flow, there they flow again.

8 All things are full of weariness beyond uttering. The eye is not satisfied with seeing, nor the ear filled with hearing.

9 That which has been is that which shall be; and that which has been done is that which shall be done: and there is no new thing under the sun.

10 Is there a thing of which it may be said, “Behold,* this is new?” It has been long ago, in the ages which were before us.

11 There is no memory of the former; neither shall there be any memory of the latter that are to come, amongst those that shall come after.


*1:10: “Behold”, from “??????”, means look at, take notice, observe, see, or gaze at. It is often used as an interjection.

-----

* The World English Bible
http://ebible.org/web/

◇ September 24, 2020 Daily Mass Reading
http://www.hanamori.info/u/go/20200924bible.html

◇ Daily Readings September 24, 2020
http://www.usccb.org/bible/readings/092420.cfm

◇ Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental

◇ Today's Bible Story
http://todaysbiblestory.seesaa.net/

-----
posted by marion at 00:16| 千葉 ☔| 本/雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月23日

 Kyohno Seisho Monogatari (s)

今日も良い一日でありますように!

聖ピオ - ピエトレルチーナ− 司祭(記)

-----

<今日の聖書物語 *>

(ルカによる福音 9:1-6)

 それからイエスは十二弟子を呼び集めて、彼らにすべての悪霊を制し、病気をいやす力と権威とをお授けになった。

 また神の国を宣べ伝え、かつ病気をなおすためにつかわして

 言われた、「旅のために何も携えるな。つえも袋もパンも銭も持たず、また下着も二枚は持つな。

 また、どこかの家にはいったら、そこに留まっておれ。そしてそこから出かけることにしなさい。

 だれもあなたがたを迎えるものがいなかったら、その町を出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足からちりを払い落しなさい」。

 弟子たちは出て行って、村々を巡り歩き、いたる所で福音を宣べ伝え、また病気をいやした。

-----

<今日の『み言葉』>

(ルカによる福音 9:1-6)

 「......何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。」

この逆説でもって、イエスは宣教師の姿を描き、宣教活動の根本を教えて下さっているのではないでしょうか。

宣教師は、おのずと、自分の持っているものを分かち合い、培ってきた信念や、価値観や信仰を伝えていくのです。

言い換えれば、自分を与えているのです。

 それはすばらしく、高尚なことですが、諸刃の剣のように、あぶないことでもあります。

その危険というのは“自分を伝える”ということです。

人々は宣教師の私ではなく、キリストを必要としているのです。

したがって、私と私のものすべては、キリストを伝え、人をキリストに出会わせる道具にすぎないということです。

 自分が道具だという意識の度合いに応じて、神が働かれ、人がキリストに出会い、”神の国が近づいた“というキリストの言葉が実現するのです。

ロロピアナ

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_282.htm#331
より転載

-----

†主の平安

☆ インターネットラジオ Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental

-----
posted by marion at 11:33| 千葉 ☔| 本/雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする