今日 6月1日(金)も良い日でありますように。
聖ユスチノ殉教者(記)
☆今日の聖書物語
☆マルコによる福音(11:11-26)
11:11
こうしてイエスはエルサレムに着き、宮にはいられた。そして、すべてのものを見まわった後、もはや時もおそくなっていたので、十二弟子と共にベタニヤに出て行かれた。
11:12
翌日、彼らがベタニヤから出かけてきたとき、イエスは空腹をおぼえられた。
11:13
そして、葉の茂ったいちじくの木を遠くからごらんになって、その木に何かありはしないかと近寄られたが、葉のほかは何も見当らなかった。いちじくの季節でなかったからである。
11:14
そこで、イエスはその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえの実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。
11:15
それから、彼らはエルサレムにきた。イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、
11:16
また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。
11:17
そして、彼らに教えて言われた、「『わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえらるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった」。
11:18
祭司長、律法学者たちはこれを聞いて、どうかしてイエスを殺そうと計った。彼らは、群衆がみなその教に感動していたので、イエスを恐れていたからである。
11:19
夕方になると、イエスと弟子たちとは、いつものように都の外に出て行った。
11:20
朝はやく道をとおっていると、彼らは先のいちじくが根元から枯れているのを見た。
11:21
そこで、ペテロは思い出してイエスに言った、「先生、ごらんなさい。あなたがのろわれたいちじくが、枯れています」。
11:22
イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。
11:23
よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。
11:24
そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。
11:25
また立って祈るとき、だれかに対して、何か恨み事があるならば、ゆるしてやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださるであろう。〔
11:26
もしゆるさないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださらないであろう〕」。
☆ペテロの第一の手紙(4:7-13)
4:7
万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。
4:8
何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。
4:9
不平を言わずに、互にもてなし合いなさい。
4:10
あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。
4:11
語る者は、神の御言を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。栄光と力とが世々限りなく、彼にあるように、アァメン。
4:12
愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、
4:13
むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。
☆詩編(96:10-13)
96:10
もろもろの国民の中に言え、「主は王となられた。世界は堅く立って、動かされることはない。主は公平をもってもろもろの民をさばかれる」と。
96:11
天は喜び、地は楽しみ、海とその中に満ちるものとは鳴りどよめき、
96:12
田畑とその中のすべての物は大いに喜べ。そのとき、林のもろもろの木も主のみ前に喜び歌うであろう。
96:13
主は来られる、地をさばくために来られる。主は義をもって世界をさばき、まことをもってもろもろの民をさばかれる。
☆今日の『み言葉』について
http://www.donboscojp.org/sdblogos/DI8.htm
http://www.donboscojp.org/sdblogos/D8_163.htm
☆今日の読書:コリント人への第二の手紙(11:30-12:13)
11:30
もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。
11:31
永遠にほむべき、主イエス・キリストの父なる神は、わたしが偽りを言っていないことを、ご存じである。
11:32
ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕えるためにダマスコ人の町を監視したことがあったが、
11:33
その時わたしは窓から町の城壁づたいに、かごでつり降ろされて、彼の手からのがれた。
12:1
わたしは誇らざるを得ないので、無益ではあろうが、主のまぼろしと啓示とについて語ろう。
12:2
わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた―それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。
12:3
この人が―それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである―
12:4
パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている。
12:5
わたしはこういう人について誇ろう。しかし、わたし自身については、自分の弱さ以外には誇ることをすまい。
12:6
もっとも、わたしが誇ろうとすれば、ほんとうの事を言うのだから、愚か者にはならないだろう。しかし、それはさし控えよう。わたしがすぐれた啓示を受けているので、わたしについて見たり聞いたりしている以上に、人に買いかぶられるかも知れないから。
12:7
そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。
12:8
このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。
12:9
ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
12:10
だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。
12:11
わたしは愚か者となった。あなたがたが、むりにわたしをそうしてしまったのだ。実際は、あなたがたから推薦されるべきであった。というのは、たといわたしは取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちにはなんら劣るところがないからである。
12:12
わたしは、使徒たるの実を、しるしと奇跡と力あるわざとにより、忍耐をつくして、あなたがたの間であらわしてきた。
12:13
いったい、あなたがたが他の教会よりも劣っている点は何か。ただ、このわたしがあなたがたに負担をかけなかったことだけではないか。この不義は、どうか、ゆるしてもらいたい。
†主の平安
☆携帯で読む聖書(口語訳)
http://www.keitaibible.net/m2/index.html
☆口語訳聖書(PDF版)
http://bible.salterrae.net/kougo/pdf/
☆教会カレンダー
http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/
☆今週の聖書朗読 (新共同訳)(イエスのカリタス修道女会)
http://www.m-caritas.jp/reading.html
☆カトリック千葉寺教会
http://www.chibaderacatholic.jp/
☆CNA今日の聖書朗読(英語)
http://www.catholicnewsagency.com/calendarday.php?date=2012-6-1
☆Douay-Rheims Bible
http://www.drbo.org/
☆The World English Bible
http://ebible.org/web/