今日 6月6日(水)も良い日でありますように。
(聖ノルベルト司教)
☆今日の聖書物語
☆マルコによる福音(12:18-27)
12:18
復活ということはないと主張していたサドカイ人たちが、イエスのもとにきて質問した、
12:19
「先生、モーセは、わたしたちのためにこう書いています、『もし、ある人の兄が死んで、その残された妻に、子がない場合には、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。
12:20
ここに、七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、
12:21
次男がその女をめとって、また子をもうけずに死に、三男も同様でした。
12:22
こうして、七人ともみな子孫を残しませんでした。最後にその女も死にました。
12:23
復活のとき、彼らが皆よみがえった場合、この女はだれの妻なのでしょうか。七人とも彼女を妻にしたのですが」。
12:24
イエスは言われた、「あなたがたがそんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではないか。
12:25
彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。
12:26
死人がよみがえることについては、モーセの書の柴の篇で、神がモーセに仰せられた言葉を読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。
12:27
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。あなたがたは非常な思い違いをしている」。
☆テモテヘの第二の手紙(1:1-3、6-12)
1:1
神の御旨により、キリスト・イエスにあるいのちの約束によって立てられたキリスト・イエスの使徒パウロから、
1:2
愛する子テモテへ。父なる神とわたしたちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安とが、あなたにあるように。
1:3
わたしは、日夜、祈の中で、絶えずあなたのことを思い出しては、きよい良心をもって先祖以来つかえている神に感謝している。
1:6
こういうわけで、あなたに注意したい。わたしの按手によって内にいただいた神の賜物を、再び燃えたたせなさい。
1:7
というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。
1:8
だから、あなたは、わたしたちの主のあかしをすることや、わたしが主の囚人であることを、決して恥ずかしく思ってはならない。むしろ、神の力にささえられて、福音のために、わたしと苦しみを共にしてほしい。
1:9
神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、
1:10
そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。
1:11
わたしは、この福音のために立てられて、その宣教者、使徒、教師になった。
1:12
そのためにまた、わたしはこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、わたしは自分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。
☆詩編(123:1a、2)
123:1a
天に座しておられる者よ、
123:2
見よ、しもべがその主人の手に目をそそぎ、はしためがその主婦の手に目をそそぐように、われらはわれらの神、主に目をそそいで、われらをあわれまれるのを待ちます。
☆今日の『み言葉』について
http://www.donboscojp.org/sdblogos/DI8.htm
http://www.donboscojp.org/sdblogos/D8_167.htm
☆今日の読書:ガラテヤの信徒への手紙(3:15-4:7)
3:15
兄弟たちよ。世のならわしを例にとって言おう。人間の遺言でさえ、いったん作成されたら、これを無効にしたり、これに付け加えたりすることは、だれにもできない。
3:16
さて、約束は、アブラハムと彼の子孫とに対してなされたのである。それは、多数をさして「子孫たちとに」と言わずに、ひとりをさして「あなたの子孫とに」と言っている。これは、キリストのことである。
3:17
わたしの言う意味は、こうである。神によってあらかじめ立てられた契約が、四百三十年の後にできた律法によって破棄されて、その約束がむなしくなるようなことはない。
3:18
もし相続が、律法に基いてなされるとすれば、もはや約束に基いたものではない。ところが事実、神は約束によって、相続の恵みをアブラハムに賜わったのである。
3:19
それでは、律法はなんであるか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。
3:20
仲介者なるものは、一方だけに属する者ではない。しかし、神はひとりである。
3:21
では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。
3:22
しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。
3:23
しかし、信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視されており、やがて啓示される信仰の時まで閉じ込められていた。
3:24
このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。
3:25
しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない。
3:26
あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。
3:27
キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。
3:28
もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。
3:29
もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。
4:1
わたしの言う意味は、こうである。相続人が子供である間は、全財産の持ち主でありながら、僕となんの差別もなく、
4:2
父親の定めた時期までは、管理人や後見人の監督の下に置かれているのである。
4:3
それと同じく、わたしたちも子供であった時には、いわゆるこの世のもろもろの霊力の下に、縛られていた者であった。
4:4
しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。
4:5
それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。
4:6
このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。
4:7
したがって、あなたがたはもはや僕ではなく、子である。子である以上、また神による相続人である。
†主の平安
☆携帯で読む聖書(口語訳)
http://www.keitaibible.net/m2/index.html
☆口語訳聖書(PDF版)
http://bible.salterrae.net/kougo/pdf/
☆教会カレンダー
http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/
☆今週の聖書朗読 (新共同訳)(イエスのカリタス修道女会)
http://www.m-caritas.jp/reading.html
☆カトリック千葉寺教会
http://www.chibaderacatholic.jp/
☆CNA今日の聖書朗読(英語)
http://www.catholicnewsagency.com/calendarday.php?date=2012-6-6
☆Douay-Rheims Bible
http://www.drbo.org/
☆The World English Bible
http://ebible.org/web/