2021年04月30日

 Kyohno Seisho Monogatari (s)

今日も良い一日でありますように!

復活節第4金曜日

(聖ピオ五世教皇)

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 14:1-6)

 「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。

 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。

 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。

 わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。

 トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。

 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

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<今日の『み言葉』>

(ヨハネによる福音 14:1-6)

 聖書の中で出会うイエス様の言葉の中に、御父の私に対するみ旨があります。

私たちの人生を振り返るとき、最近自分の身に起こる出来事を考えるとき、これから自分が向かっていく歩みを想像するとき、「私を通らなければだれも父のもとに行くことはできない。」というイエス様の言葉はどのように響いてくるでしょうか。

 あるときは、エンマウスからエルサレムに戻っていく弟子のように、私の人生をともに歩んで力づけて下さったんだ、と感じられ、心が落ち着いてくるでしょう。

あるいは、初代教会を迫害したサウロを受け入れるよう言われたアナニアのように「それがあなたのお望みですか」と耳を疑いたくなるようなこともあるかもしれません。

時として「私の示した道が御父のお望みなのだ」という言葉は私たちにとって大きなチャレンジである場合もあります。

Daniel

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_114.htm#146
より転載

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†主の平安

☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental

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 Kyohno Seisho Monogatari

今日も良い一日でありますように!

復活節第4金曜日

(聖ピオ五世教皇)

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 14:1-6)

14:1
 「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。

14:2
 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。

14:3
 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。

14:4
 わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。

14:5
 トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。

14:6
 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

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<今日の『み言葉』>

み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 14:1-6)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_146_1.mp3

み言葉について
(ヨハネによる福音 14:1-6)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_114.htm#146

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(使徒行伝 13:26-33)

13:26
 兄弟たち、アブラハムの子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。この救の言葉はわたしたちに送られたのである。

13:27
 エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めずに刑に処し、それによって、安息日ごとに読む預言者の言葉が成就した。

13:28
 また、なんら死に当る理由が見いだせなかったのに、ピラトに強要してイエスを殺してしまった。

13:29
 そして、イエスについて書いてあることを、皆なし遂げてから、人々はイエスを木から取りおろして墓に葬った。

13:30
 しかし、神はイエスを死人の中から、よみがえらせたのである。

13:31
 イエスは、ガリラヤからエルサレムへ一緒に上った人たちに、幾日ものあいだ現れ、そして、彼らは今や、人々に対してイエスの証人となっている。

13:32
 わたしたちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのである。

13:33
 神は、イエスをよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになった。それは詩篇の第二篇にも、『あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ』と書いてあるとおりである。

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†主の平安

☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/

☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

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 Today's Bible story *

April 30, 2021

I hope that you have a nice day today too.

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Friday of the Fourth Week of Easter

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Gospel : John 14:1-6)

1 “Don’t let your heart be troubled. Believe in God. Believe also in me.

2 In my Father’s house are many homes. If it weren’t so, I would have told you. I am going to prepare a place for you.

3 If I go and prepare a place for you, I will come again, and will receive you to myself; that where I am, you may be there also.

4 Where I go, you know, and you know the way.”

5 Thomas said to him, “Lord, we don’t know where you are going. How can we know the way?”

6 Jesus said to him, “I am the way, the truth, and the life. No one comes to the Father, except through me.

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(Acts 13:26-33)

26 Brothers, children of the stock of Abraham, and those amongst you who fear God, the word of this salvation is sent out to you.

27 For those who dwell in Jerusalem, and their rulers, because they didn’t know him, nor the voices of the prophets which are read every Sabbath, fulfilled them by condemning him.

28 Though they found no cause for death, they still asked Pilate to have him killed.

29 When they had fulfilled all things that were written about him, they took him down from the tree, and laid him in a tomb.

30 But God raised him from the dead,

31 and he was seen for many days by those who came up with him from Galilee to Jerusalem, who are his witnesses to the people.

32 We bring you good news of the promise made to the fathers,

33 that God has fulfilled the same to us, their children, in that he raised up Jesus. As it is also written in the second psalm,
‘You are my Son.
Today I have become your father.’

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* The World English Bible
http://ebible.org/web/

◇ April 30, 2021 USCCB Daily Mass Readings
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/2021-04-30-usccb-daily-mass-readings

◇ Daily Readings April 30, 2021
http://www.usccb.org/bible/readings/043021.cfm

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◇ Today's Bible Story
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2021年04月29日

 Kyohno Seisho Monogatari (s)

今日も良い一日でありますように!

復活節第4木曜日

聖カタリナ - シエナ - おとめ教会博士(記)

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 13:16-20)

 よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。

 もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである。

 あなたがた全部の者について、こう言っているのではない。わたしは自分が選んだ人たちを知っている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしにむかってそのかかとをあげた』とある聖書は成就されなければならない。

 そのことがまだ起らない今のうちに、あなたがたに言っておく。いよいよ事が起ったとき、わたしがそれであることを、あなたがたが信じるためである。

 よくよくあなたがたに言っておく。わたしがつかわす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをつかわされたかたを、受けいれるのである」。

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<今日の『み言葉』>

(ヨハネによる福音 13:16-20)

 二つの朗読に共通するのは、日々の営みには謙虚さが必要であることが述べられています。

謙虚に生きることがキリスト者の生き方であることが示されています。謙虚に生きることは今日の福音のメッセージ「わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」を生きることであります。

これはマタイ福音書25章31節以下を生きぬくことでもあります。

 マザーテレサの生き方もそのものでした。

わたし達が日々の営みでかかわるすべての人をイエス様から遣われた方として接するようにとの誘いであります。

このイエス様の切なる願いを日々の営みとすることができるよう小さな努力をし、イエス様の福音を伝え、イエス様に喜んでいただけるようにいたしましょう!!

国松神父


http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_113.htm#145
より転載

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†主の平安

☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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 Today's Bible story *

April 29, 2021

I hope that you have a nice day today too.

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Memorial of Saint Catherine of Siena, Virgin and Doctor of the Church

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Gospel : John 13:16-20

16 Most certainly I tell you, a servant is not greater than his lord, neither one who is sent greater than he who sent him.

17 If you know these things, blessed are you if you do them.

18 I don’t speak concerning all of you. I know whom I have chosen. But that the Scripture may be fulfilled, ‘He who eats bread with me has lifted up his heel against me.’

19 From now on, I tell you before it happens, that when it happens, you may believe that I am he.

20 Most certainly I tell you, he who receives whomever I send, receives me; and he who receives me, receives him who sent me.”

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Acts 13:13-25

13 Now Paul and his company set sail from Paphos, and came to Perga in Pamphylia. John departed from them and returned to Jerusalem.

14 But they, passing on from Perga, came to Antioch of Pisidia. They went into the synagogue on the Sabbath day, and sat down.

15 After the reading of the law and the prophets, the rulers of the synagogue sent to them, saying, “Brothers, if you have any word of exhortation for the people, speak.”

16 Paul stood up, and beckoning with his hand said, “Men of Israel, and you who fear God, listen.

17 The God of this people chose our fathers, and exalted the people when they stayed as aliens in the land of Egypt, and with an uplifted arm, he led them out of it.

18 For a period of about forty years he put up with them in the wilderness.

19 When he had destroyed seven nations in the land of Canaan, he gave them their land for an inheritance, for about four hundred and fifty years.

20 After these things he gave them judges until Samuel the prophet.

21 Afterward they asked for a king, and God gave to them Saul the son of Kish, a man of the tribe of Benjamin, for forty years.

22 When he had removed him, he raised up David to be their king, to whom he also testified, ‘I have found David the son of Jesse, a man after my heart, who will do all my will.’

23 From this man’s offspring, God has brought salvation to Israel according to his promise,

24 before his coming, when John had first preached the baptism of repentance to Israel.

25 As John was fulfilling his course, he said, ‘What do you suppose that I am? I am not he. But behold, one comes after me the sandals of whose feet I am not worthy to untie.’

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* The World English Bible
http://ebible.org/web/

◇ April 29, 2021 USCCB Daily Mass Readings
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/2021-04-29-usccb-daily-mass-readings

◇ Daily Readings April 29, 2021
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◇ Today's Bible Story
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 Kyohno Seisho Monogatari

今日も良い一日でありますように!

復活節第4木曜日

聖カタリナ - シエナ - おとめ教会博士(記)

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 13:16-20)

13:16
 よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。

13:17
 もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである。

13:18
 あなたがた全部の者について、こう言っているのではない。わたしは自分が選んだ人たちを知っている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしにむかってそのかかとをあげた』とある聖書は成就されなければならない。

13:19
 そのことがまだ起らない今のうちに、あなたがたに言っておく。いよいよ事が起ったとき、わたしがそれであることを、あなたがたが信じるためである。

13:20
 よくよくあなたがたに言っておく。わたしがつかわす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをつかわされたかたを、受けいれるのである」。

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<今日の『み言葉』>

み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 13:16-20)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_145_1.mp3

み言葉について
(ヨハネによる福音 13:16-20)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_113.htm#145

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(使徒行伝 13:13-25)

13:13
 パウロとその一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から身を引いて、エルサレムに帰ってしまった。

13:14
 しかしふたりは、ペルガからさらに進んで、ピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。

13:15
 律法と預言書の朗読があったのち、会堂司たちが彼らのところに人をつかわして、「兄弟たちよ、もしあなたがたのうち、どなたか、この人々に何か奨励の言葉がありましたら、どうぞお話し下さい」と言わせた。

13:16
 そこでパウロが立ちあがり、手を振りながら言った。
「イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがたよ、お聞き下さい。

13:17
 この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、み腕を高くさし上げて、彼らをその地から導き出された。

13:18
 そして約四十年にわたって、荒野で彼らをはぐくみ、

13:19
 カナンの地では七つの異民族を打ち滅ぼし、その地を彼らに譲り与えられた。

13:20
 それらのことが約四百五十年の年月にわたった。その後、神はさばき人たちをおつかわしになり、預言者サムエルの時に及んだ。

13:21
 その時、人々が王を要求したので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間、彼らにおつかわしになった。

13:22
 それから神はサウロを退け、ダビデを立てて王とされたが、彼についてあかしをして、『わたしはエッサイの子ダビデを見つけた。彼はわたしの心にかなった人で、わたしの思うところを、ことごとく実行してくれるであろう』と言われた。

13:23
 神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救主イエスをイスラエルに送られたが、

13:24
 そのこられる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に悔改めのバプテスマを、あらかじめ宣べ伝えていた。

13:25
 ヨハネはその一生の行程を終ろうとするに当って言った、『わたしは、あなたがたが考えているような者ではない。しかし、わたしのあとから来るかたがいる。わたしはそのくつを脱がせてあげる値うちもない』。

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†主の平安

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* 口語訳聖書
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2021年04月28日

 Kyohno Seisho Monogatari (s)

今日も良い一日でありますように!

復活節第4水曜日

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 12:44-50)

 イエスは大声で言われた、「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく、わたしをつかわされたかたを信じるのであり、

 また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るのである。

 わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。

 たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。

 わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。

 わたしは自分から語ったのではなく、わたしをつかわされた父ご自身が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったのである。

 わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである」。

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<今日の『み言葉』>

(ヨハネによる福音 12:44-50)

 イエス様が叫んで言われたことは、「私を遣わされた方、天の父と私は一つである」ということ。

これは福音記者ヨハネが「イエスこそが神なんだ」ということを当時の人々、この福音を聴き読む人に伝えたくて、イエスの言葉を通じて強調し、しつこいくらいに主張していること。

 イエス様自身から私たちが受け取るメッセージとしては、「私と父が一つであるように、あなたも父・神と一つであるように!」というものがあるのではないだろうか。

わたしたちも日々の祈りを通して神様の現存を身近に感じ、いつもいっしょにおられる神様と一つとなることが出来ますように、一つでありますように・・・。

mickey sdb

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_112.htm#144
より転載

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†主の平安

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 Today's Bible story *

April 28, 2021

I hope that you have a nice day today too.

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Wednesday of the Fourth Week of Easter

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Gospel : John 12:44-50

44 Jesus cried out and said, “Whoever believes in me, believes not in me, but in him who sent me.

45 He who sees me sees him who sent me.

46 I have come as a light into the world, that whoever believes in me may not remain in the darkness.

47 If anyone listens to my sayings, and doesn’t believe, I don’t judge him. For I came not to judge the world, but to save the world.

48 He who rejects me, and doesn’t receive my sayings, has one who judges him. The word that I spoke, the same will judge him in the last day.

49 For I spoke not from myself, but the Father who sent me, he gave me a commandment, what I should say, and what I should speak.

50 I know that his commandment is eternal life. The things therefore which I speak, even as the Father has said to me, so I speak.”

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Acts 12:24--13:5a

12:24 But the word of God grew and multiplied.

25 Barnabas and Saul returned to* Jerusalem, when they had fulfilled their service, also taking with them John who was called Mark.

13:1 Now in the assembly that was at Antioch there were some prophets and teachers: Barnabas, Simeon who was called Niger, Lucius of Cyrene, Manaen the foster brother of Herod the tetrarch, and Saul.

2 As they served the Lord and fasted, the Holy Spirit said, “Separate Barnabas and Saul for me, for the work to which I have called them.”

3 Then, when they had fasted and prayed and laid their hands on them, they sent them away.

4 So, being sent out by the Holy Spirit, they went down to Seleucia. From there they sailed to Cyprus.

5a When they were at Salamis, they proclaimed the word of God in the Jewish synagogues.

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* The World English Bible
http://ebible.org/web/

◇ April 28, 2021 USCCB Daily Mass Readings
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/2021-04-28-usccb-daily-mass-readings

◇ Daily Readings April 28, 2021
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 Kyohno Seisho Monogatari

今日も良い一日でありますように!

復活節第4水曜日

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 12:44-50)

12:44
 イエスは大声で言われた、「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく、わたしをつかわされたかたを信じるのであり、

12:45
 また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るのである。

12:46
 わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。

12:47
 たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。

12:48
 わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。

12:49
 わたしは自分から語ったのではなく、わたしをつかわされた父ご自身が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったのである。

12:50
 わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである」。

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<今日の『み言葉』>

み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 12:44-50)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_144_1.mp3

み言葉について
(ヨハネによる福音 12:44-50)
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(使徒行伝 12:24--13:5a)

12:24
 こうして、主の言はますます盛んにひろまって行った。

12:25
 バルナバとサウロとは、その任務を果したのち、マルコと呼ばれていたヨハネを連れて、エルサレムから帰ってきた。

13:1
 さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。

13:2
 一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。

13:3
 そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、出発させた。

13:4
 ふたりは聖霊に送り出されて、セルキヤにくだり、そこから舟でクプロに渡った。

13:5
 そしてサラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言を宣べはじめた。彼らはヨハネを助け手として連れていた。

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†主の平安

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2021年04月27日

 Kyohno Seisho Monogatari (s)

今日も良い一日でありますように!

復活節第4火曜日

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 10:22-30)

 そのころ、エルサレムで宮きよめの祭が行われた。時は冬であった。

 イエスは、宮の中にあるソロモンの廊を歩いておられた。

 するとユダヤ人たちが、イエスを取り囲んで言った、「いつまでわたしたちを不安のままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい」。

 イエスは彼らに答えられた、「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない。わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。

 あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。

 わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。

 わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。

 わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない。

 わたしと父とは一つである」。

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<今日の『み言葉』>

 依存という言葉があります。

他のものによりかかって成り立ち、生きるという意味ですが、一般的には良いイメージが持てないかと思います。

それはアルコール依存症とか、薬物依存症といったように、人間の生きるよりどころか、滅ぼすことにもなりかねないものにもつながっているからです。

 しかしながら私たち人間というのは、何かによりかかって依存していなければ生きていけない存在であることは間違いありません。

そのよりかかるものが何であるかが大切です。

 イエスがたとえる羊も依存する動物です。

大変に視野が狭いために、群れをなして、導く羊飼いがいないと危険な場所に迷い込んでしまうこともあります。

ですから、羊は羊飼いに依存していれば、いつも安全で、傷き、迷うことなく生きることができます。

 人間である私たちも、弱く依存的な存在なので、しばしば傷つき、迷います。

また視野も狭く、罪を犯し、判断を間違えることもよくあります。

そのために羊のように導く者がいなければ危険な場所に迷い込んでしまいます。

 私たちを安全に、迷うことなく導いてくださるのは神だけです。

だからこそ私たちが本当によりかかり依存しなければならないのは神であるということを忘れてはならないでしょう。

 神に依存するということは、信頼をもって、自分のすべてをゆだねていくことです。

ゆだねることによって、神の大きな力が私たちの中で働いて、どんな困難をも乗り越えて行けるのではないでしょうか。

NICCHI

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_111.htm#143
より転載

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†主の平安

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 Today's Bible story *

April 27, 2021

I hope that you have a nice day today too.

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Tuesday of the Fourth Week of Easter

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Gospel : John 10:22-30

22 It was the Feast of the Dedication at Jerusalem.

23 It was winter, and Jesus was walking in the temple, in Solomon’s porch.

24 The Jews therefore came around him and said to him, “How long will you hold us in suspense? If you are the Christ, tell us plainly.”

25 Jesus answered them, “I told you, and you don’t believe. The works that I do in my Father’s name, these testify about me.

26 But you don’t believe, because you are not of my sheep, as I told you.

27 My sheep hear my voice, and I know them, and they follow me.

28 I give eternal life to them. They will never perish, and no one will snatch them out of my hand.

29 My Father, who has given them to me, is greater than all. No one is able to snatch them out of my Father’s hand.

30 I and the Father are one.”

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Acts 11:19-26

19 They therefore who were scattered abroad by the oppression that arose about Stephen travelled as far as Phoenicia, Cyprus, and Antioch, speaking the word to no one except to Jews only.

20 But there were some of them, men of Cyprus and Cyrene, who, when they had come to Antioch, spoke to the Hellenists, preaching the Lord Jesus.

21 The hand of the Lord was with them, and a great number believed and turned to the Lord.

22 The report concerning them came to the ears of the assembly which was in Jerusalem. They sent out Barnabas to go as far as Antioch,

23 who, when he had come, and had seen the grace of God, was glad. He exhorted them all, that with purpose of heart they should remain near to the Lord.

24 For he was a good man, and full of the Holy Spirit and of faith, and many people were added to the Lord.

25 Barnabas went out to Tarsus to look for Saul.

26 When he had found him, he brought him to Antioch. For a whole year they were gathered together with the assembly, and taught many people. The disciples were first called Christians in Antioch.

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* The World English Bible
http://ebible.org/web/

◇ April 27, 2021 USCCB Daily Mass Readings
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/2021-04-27-usccb-daily-mass-readings

◇ Daily Readings April 27, 2021
http://www.usccb.org/bible/readings/042721.cfm

◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental

◇ Today's Bible Story
http://todaysbiblestory.seesaa.net/

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 Kyohno Seisho Monogatari

今日も良い一日でありますように!

復活節第4火曜日

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 10:22-30)

10:22
 そのころ、エルサレムで宮きよめの祭が行われた。時は冬であった。

10:23
 イエスは、宮の中にあるソロモンの廊を歩いておられた。

10:24
 するとユダヤ人たちが、イエスを取り囲んで言った、「いつまでわたしたちを不安のままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい」。

10:25
 イエスは彼らに答えられた、「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない。わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。

10:26
 あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。

10:27
 わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。

10:28
 わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。

10:29
 わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない。

10:30
 わたしと父とは一つである」。

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<今日の『み言葉』>

み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 10:22-30)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_143_1.mp3

み言葉について
(ヨハネによる福音 10:22-30)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_111.htm#143

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(使徒行伝 11:19-26)

11:19
 さて、ステパノのことで起った迫害のために散らされた人々は、ピニケ、クプロ、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者には、だれにも御言を語っていなかった。

11:20
 ところが、その中に数人のクプロ人とクレネ人がいて、アンテオケに行ってからギリシヤ人にも呼びかけ、主イエスを宣べ伝えていた。

11:21
 そして、主のみ手が彼らと共にあったため、信じて主に帰依するものの数が多かった。

11:22
 このうわさがエルサレムにある教会に伝わってきたので、教会はバルナバをアンテオケにつかわした。

11:23
 彼は、そこに着いて、神のめぐみを見てよろこび、主に対する信仰を揺るがない心で持ちつづけるようにと、みんなの者を励ました。

11:24
 彼は聖霊と信仰とに満ちた立派な人であったからである。こうして主に加わる人々が、大ぜいになった。

11:25
 そこでバルナバはサウロを捜しにタルソへ出かけて行き、

11:26
 彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。

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†主の平安

☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/

☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

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2021年04月26日

 Kyohno Seisho Monogatari (s)

今日も良い一日でありますように!

復活節第4月曜日

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 10:1-18)

 よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。

 門からはいる者は、羊の羊飼である。

 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。

 自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。

 ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。

 イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。

 そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。

 わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。

 わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。

 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。

 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。

 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。

 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。

 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。

 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。

 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。

 父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。

 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。

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<今日の『み言葉』>

(ヨハネによる福音 10:11-18)

 ドン・ボスコは教育者の基本的な心構えを「善い牧者」であるキリストの姿に求めました。

 「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す」?q供たち一人ひとりをよく知り、信頼と愛情、相互理解の絆で導いていくのです。

「羊の先頭に立って行く」?q供たちは教育者の言葉よりも模範に感化されて好ましい人格を形成していくのです。

「偽牧者は狼が来るのを見ると、羊を見捨てて逃げてしまう」?Pい牧者はどんな困難に遭遇しても責任を放棄したり逃げ去ることはない、彼は羊を守るために命をかけているのです。

善い牧者の使命は「羊が命を受けるため、しかも豊かに受ける」ために自己を全く捧げることにあるのです。

各人が頂いている賜物を可能な限り伸ばし、善良な社会人、良いキリスト者を育てるよう善い牧者は全身全霊を注ぐのです。

羊と生活を共にする羊飼いのように、サレジオ会員は子供たちを常に見守り、勇気づけ、温かい交わりを確保し、悪を未然に防ぐアッシステンッアを教育法の大事な特徴として堅持しているのです。

子供たちの身体的健康、霊魂の健康と安全のためにすべてを捧げる教育者になるよう日々精進したいものです。

Sakanashi

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_110.htm
より転載

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†主の平安

☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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 Today's Bible story *

April 1, 2021

I hope that you have a nice day today too.

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Monday of the Fourth Week of Easter

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Gospel : John 10:1-10

1 “Most certainly, I tell you, one who doesn’t enter by the door into the sheep fold, but climbs up some other way, the same is a thief and a robber.

2 But one who enters in by the door is the shepherd of the sheep.

3 The gatekeeper opens the gate for him, and the sheep listen to his voice. He calls his own sheep by name, and leads them out.

4 Whenever he brings out his own sheep, he goes before them, and the sheep follow him, for they know his voice.

5 They will by no means follow a stranger, but will flee from him; for they don’t know the voice of strangers.”

6 Jesus spoke this parable to them, but they didn’t understand what he was telling them.

7 Jesus therefore said to them again, “Most certainly, I tell you, I am the sheep’s door.

8 All who came before me are thieves and robbers, but the sheep didn’t listen to them.

9 I am the door. If anyone enters in by me, he will be saved, and will go in and go out, and will find pasture.

10 The thief only comes to steal, kill, and destroy. I came that they may have life, and may have it abundantly.

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Acts 11:1-18

1 Now the apostles and the brothers who were in Judea heard that the Gentiles had also received the word of God.

2 When Peter had come up to Jerusalem, those who were of the circumcision contended with him,

3 saying, “You went in to uncircumcised men, and ate with them!”

4 But Peter began, and explained to them in order, saying,

5 “I was in the city of Joppa praying, and in a trance I saw a vision: a certain container descending, like it was a great sheet let down from heaven by four corners. It came as far as me.

6 When I had looked intently at it, I considered, and saw the four-footed animals of the earth, wild animals, creeping things, and birds of the sky.

7 I also heard a voice saying to me, ‘Rise, Peter, kill and eat!’

8 But I said, ‘Not so, Lord, for nothing unholy or unclean has ever entered into my mouth.’

9 But a voice answered me the second time out of heaven, ‘What God has cleansed, don’t you call unclean.’

10 This was done three times, and all were drawn up again into heaven.

11 Behold, immediately three men stood before the house where I was, having been sent from Caesarea to me.

12 The Spirit told me to go with them, without discriminating. These six brothers also accompanied me, and we entered into the man’s house.

13 He told us how he had seen the angel standing in his house, and saying to him, ‘Send to Joppa, and get Simon, who is called Peter,

14 who will speak to you words by which you will be saved, you and all your house.’

15 As I began to speak, the Holy Spirit fell on them, even as on us at the beginning.

16 I remembered the word of the Lord, how he said, ‘John indeed baptised in water, but you will be baptised in the Holy Spirit.’

17 If then God gave to them the same gift as us, when we believed in the Lord Jesus Christ, who was I, that I could withstand God?”

18 When they heard these things, they held their peace, and glorified God, saying, “Then God has also granted to the Gentiles repentance to life!”

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* The World English Bible
http://ebible.org/web/

◇ April 26, 2021 USCCB Daily Mass Readings
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 Kyohno Seisho Monogatari

今日も良い一日でありますように!

復活節第4月曜日

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 10:1-18)

10:1
 よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。

10:2
 門からはいる者は、羊の羊飼である。

10:3
 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。

10:4
 自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。

10:5
 ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。

10:6
 イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。

10:7
 そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。

10:8
 わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。

10:9
 わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。

10:10
 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。

10:11
 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。

10:12
 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。

10:13
 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。

10:14
 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。

10:15
 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。

10:16
 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。

10:17
 父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。

10:18
 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。

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<今日の『み言葉』>

み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 10:11-18)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_142_1.mp3

み言葉について
(ヨハネによる福音 10:11-18)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_110.htm

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(使徒行伝 11:1-18)

11:1
 さて、異邦人たちも神の言を受けいれたということが、使徒たちやユダヤにいる兄弟たちに聞えてきた。

11:2
 そこでペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を重んじる者たちが彼をとがめて言った、

11:3
 「あなたは、割礼のない人たちのところに行って、食事を共にしたということだが」。

11:4
 そこでペテロは口を開いて、順序正しく説明して言った、

11:5
 「わたしがヨッパの町で祈っていると、夢心地になって幻を見た。大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、天から降りてきて、わたしのところにとどいた。

11:6
 注意して見つめていると、地上の四つ足、野の獣、這うもの、空の鳥などが、はいっていた。

11:7
 それから声がして、『ペテロよ、立って、それらをほふって食べなさい』と、わたしに言うのが聞えた。

11:8
 わたしは言った、『主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないものや汚れたものを口に入れたことが一度もございません』。

11:9
 すると、二度目に天から声がかかってきた、『神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない』。

11:10
 こんなことが三度もあってから、全部のものがまた天に引き上げられてしまった。

11:11
 ちょうどその時、カイザリヤからつかわされてきた三人の人が、わたしたちの泊まっていた家に着いた。

11:12
 御霊がわたしに、ためらわずに彼らと共に行けと言ったので、ここにいる六人の兄弟たちも、わたしと一緒に出かけて行き、一同がその人の家にはいった。

11:13
 すると彼はわたしたちに、御使が彼の家に現れて、『ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。

11:14
 この人は、あなたとあなたの全家族とが救われる言葉を語って下さるであろう』と告げた次第を、話してくれた。

11:15
 そこでわたしが語り出したところ、聖霊が、ちょうど最初わたしたちの上にくだったと同じように、彼らの上にくだった。

11:16
 その時わたしは、主が『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によってバプテスマを受けるであろう』と仰せになった言葉を思い出した。

11:17
 このように、わたしたちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったとすれば、わたしのような者が、どうして神を妨げることができようか」。

11:18
 人々はこれを聞いて黙ってしまった。それから神をさんびして、「それでは神は、異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」と言った。

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†主の平安

☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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2021年04月25日

 Kyohno Seisho Monogatari (s)

今日も良い一日でありますように!

復活節第4主日

世界召命祈願の日

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 10:11-18)

 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。

 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。

 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。

 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。

 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。

 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。

 父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。

 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。

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<今日の『み言葉』>

み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 10:11-18)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc9_25_1.mp3

<福音のヒント>
(ヨハネによる福音 10:11-18)
http://fukuinhint.blog.fc2.com/blog-entry-882.html

<こうじ神父 今週の説教>
(ヨハネによる福音 10:11-18)
http://blog.goo.ne.jp/knkouji/

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†主の平安

☆ BGM Abiding Radio Instrumental
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 Kyohno Seisho Monogatari

今日も良い一日でありますように!

復活節第4主日

世界召命祈願の日

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 10:11-18)

10:11
 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。

10:12
 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。

10:13
 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。

10:14
 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。

10:15
 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。

10:16
 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。

10:17
 父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。

10:18
 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。

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<今日の『み言葉』>

み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 10:11-18)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc9_25_1.mp3

<福音のヒント>
(ヨハネによる福音 10:11-18)
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<こうじ神父 今週の説教>
(ヨハネによる福音 10:11-18)
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(使徒行伝 4:8-12)

4:8
 その時、ペテロが聖霊に満たされて言った、「民の役人たち、ならびに長老たちよ、

4:9
 わたしたちが、きょう、取調べを受けているのは、病人に対してした良いわざについてであり、この人がどうしていやされたかについてであるなら、

4:10
 あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。

4:11
 このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。

4:12
 この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。

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(ヨハネの第一の手紙 3:1-2)

3:1
 わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。

3:2
 愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。

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†主の平安

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 Today's Bible story *

April 25, 2021

I hope that you have a nice day today too.

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Fourth Sunday of Easter

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Gospel : John 10:11-18

11 I am the good shepherd. The good shepherd lays down his life for the sheep.

12 He who is a hired hand, and not a shepherd, who doesn’t own the sheep, sees the wolf coming, leaves the sheep, and flees. The wolf snatches the sheep, and scatters them.

13 The hired hand flees because he is a hired hand, and doesn’t care for the sheep.

14 I am the good shepherd. I know my own, and I’m known by my own;

15 even as the Father knows me, and I know the Father. I lay down my life for the sheep.

16 I have other sheep, which are not of this fold. I must bring them also, and they will hear my voice. They will become one flock with one shepherd.

17 Therefore the Father loves me, because I lay down my life, that I may take it again.

18 No one takes it away from me, but I lay it down by myself. I have power to lay it down, and I have power to take it again. I received this commandment from my Father.”

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Acts 4:8-12

8 Then Peter, filled with the Holy Spirit, said to them, “You rulers of the people, and elders of Israel,

9 if we are examined today concerning a good deed done to a crippled man, by what means this man has been healed,

10 be it known to you all, and to all the people of Israel, that in the name of Jesus Christ of Nazareth, whom you crucified, whom God raised from the dead, in him does this man stand here before you whole.

11 He is ‘the stone which was regarded as worthless by you, the builders, which has become the head of the corner.’

12 There is salvation in none other, for neither is there any other name under heaven, that is given amongst men, by which we must be saved!”

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1 John 3:1-2

1 See how great a love the Father has given to us, that we should be called children of God! For this cause the world doesn’t know us, because it didn’t know him.

2 Beloved, now we are children of God, and it is not yet revealed what we will be. But we know that, when he is revealed, we will be like him; for we will see him just as he is.

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* The World English Bible
http://ebible.org/web/

◇ April 25, 2021 USCCB Daily Mass Readings
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◇ Daily Readings April 25, 2021
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◇ Abiding Radio Instrumental
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2021年04月24日

 Kyohno Seisho Monogatari (s)

今日も良い一日でありますように!

復活節第3土曜日

(聖フィデリス −ジグマリンゲン− 司祭殉教者 )

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 6:60-69)

 弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」。

 しかしイエスは、弟子たちがそのことでつぶやいているのを見破って、彼らに言われた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。

 それでは、もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか。

 人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。

 しかし、あなたがたの中には信じない者がいる」。イエスは、初めから、だれが信じないか、また、だれが彼を裏切るかを知っておられたのである。

 そしてイエスは言われた、「それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである」。

 それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。

 そこでイエスは十二弟子に言われた、「あなたがたも去ろうとするのか」。

 シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。

 わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」。

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<今日の『み言葉』>

(ヨハネによる福音 6:60-69)

 イエスは多くの奇跡や偉大な業をおこなった。

そしてたくさんの人々が、イエスの弟子となって、イエスについていっていた。

しかし、イエスが本当に大切なことを話した時、多くの弟子が離れていってしまった。

今日の福音で、イエスの言葉を聞いた後、「弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」と書いてある通りである。

 イエスは「私があなた方に話した言葉は霊であり、命である」と言っている。

イエスの語っている言葉は、命をもたらすもの、本当に大切なことを教えてくれるものなのだ。

イエスの言葉に耳を傾けていくことが大切である。

イエスの言葉は、私たちの心の深いところに響いて来る。

だが、心を静かにしてよく耳を傾けないとその言葉は響かない。

 表面的な楽しみにとらわれて自分が流されてしまったり、自分の感情に振り回されてしまったりする時、私たちは本当に大切なことを見失う。

イエスのもとを離れ去ってしまった多くの弟子たちは、イエスのおこなった奇跡を表面的にしか見ておらず、本当に大切なことを見逃していた。

イエスが大切なことを語ったとき、それが心に響かず、理解できなかった。

 イエスは、私たちにも、「あなた方も離れて行きたいか」と問いかけている。

今日の福音でペトロは、「主よ、私たちは誰のところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」と答えて、イエスのもとに留まり続ける。

このペトロの言葉は、日本語のミサでは、聖体拝領の直前にいつも唱えられている言葉。

これを心から唱え続けていくことができるように、いつも心を落ち着けて、イエスの言葉に耳を傾けていくようにしたい。

Tsujiie

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_109.htm#141
より転載

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†主の平安

☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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 Kyohno Seisho Monogatari

今日も良い一日でありますように!

復活節第3土曜日

(聖フィデリス −ジグマリンゲン− 司祭殉教者 )

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 6:60-69)

6:60
 弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」。

6:61
 しかしイエスは、弟子たちがそのことでつぶやいているのを見破って、彼らに言われた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。

6:62
 それでは、もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか。

6:63
 人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。

6:64
 しかし、あなたがたの中には信じない者がいる」。イエスは、初めから、だれが信じないか、また、だれが彼を裏切るかを知っておられたのである。

6:65
 そしてイエスは言われた、「それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである」。

6:66
 それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。

6:67
 そこでイエスは十二弟子に言われた、「あなたがたも去ろうとするのか」。

6:68
 シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。

6:69
 わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」。

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<今日の『み言葉』>

み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 6:60-69)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_141_1.mp3

み言葉について
(ヨハネによる福音 6:60-69)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_109.htm#141

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(使徒行伝 9:31-42)

9:31
 こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。

9:32
 ペテロは方々をめぐり歩いたが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。

9:33
 そして、そこで、八年間も床についているアイネヤという人に会った。この人は中風であった。

9:34
 ペテロが彼に言った、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。そして床を取りあげなさい」。すると、彼はただちに起きあがった。

9:35
 ルダとサロンに住む人たちは、みなそれを見て、主に帰依した。

9:36
 ヨッパにタビタ(これを訳すと、ドルカス、すなわち、かもしか)という女弟子がいた。数々のよい働きや施しをしていた婦人であった。

9:37
 ところが、そのころ病気になって死んだので、人々はそのからだを洗って、屋上の間に安置した。

9:38
 ルダはヨッパに近かったので、弟子たちはペテロがルダにきていると聞き、ふたりの者を彼のもとにやって、「どうぞ、早くこちらにおいで下さい」と頼んだ。

9:39
 そこでペテロは立って、ふたりの者に連れられてきた。彼が着くとすぐ、屋上の間に案内された。すると、やもめたちがみんな彼のそばに寄ってきて、ドルカスが生前つくった下着や上着の数々を、泣きながら見せるのであった。

9:40
 ペテロはみんなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。それから死体の方に向いて、「タビタよ、起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きなおった。

9:41
 ペテロは彼女に手をかして立たせた。それから、聖徒たちや、やもめたちを呼び入れて、彼女が生きかえっているのを見せた。

9:42
 このことがヨッパ中に知れわたり、多くの人々が主を信じた。

9:43
 ペテロは、皮なめしシモンという人の家に泊まり、しばらくの間ヨッパに滞在した。

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†主の平安

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* 口語訳聖書
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☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
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 Today's Bible story *

April 24, 2021

I hope that you have a nice day today too.

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Saturday of the Third Week of Easter

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Gospel : John 6:60-69

60 Therefore many of his disciples, when they heard this, said, “This is a hard saying! Who can listen to it?”

61 But Jesus knowing in himself that his disciples murmured at this, said to them, “Does this cause you to stumble?

62 Then what if you would see the Son of Man ascending to where he was before?

63 It is the spirit who gives life. The flesh profits nothing. The words that I speak to you are spirit, and are life.

64 But there are some of you who don’t believe.” For Jesus knew from the beginning who they were who didn’t believe, and who it was who would betray him.

65 He said, “For this cause have I said to you that no one can come to me, unless it is given to him by my Father.”

66 At this, many of his disciples went back, and walked no more with him.

67 Jesus said therefore to the twelve, “You don’t also want to go away, do you?”

68 Simon Peter answered him, “Lord, to whom would we go? You have the words of eternal life.

69 We have come to believe and know that you are the Christ, the Son of the living God.”

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Acts 9:31-42

31 So the assemblies throughout all Judea and Galilee and Samaria had peace, and were built up. They were multiplied, walking in the fear of the Lord and in the comfort of the Holy Spirit.

32 As Peter went throughout all those parts, he came down also to the saints who lived at Lydda.

33 There he found a certain man named Aeneas, who had been bedridden for eight years, because he was paralysed.

34 Peter said to him, “Aeneas, Jesus Christ heals you. Get up and make your bed!” Immediately he arose.

35 All who lived at Lydda and in Sharon saw him, and they turned to the Lord.

36 Now there was at Joppa a certain disciple named Tabitha, which when translated, means Dorcas. This woman was full of good works and acts of mercy which she did.

37 In those days, she became sick, and died. When they had washed her, they laid her in an upper room.

38 As Lydda was near Joppa, the disciples, hearing that Peter was there, sent two men to him, imploring him not to delay in coming to them.

39 Peter got up and went with them. When he had come, they brought him into the upper room. All the widows stood by him weeping, and showing the coats and garments which Dorcas had made while she was with them.

40 Peter sent them all out, and knelt down and prayed. Turning to the body, he said, “Tabitha, get up!” She opened her eyes, and when she saw Peter, she sat up.

41 He gave her his hand, and raised her up. Calling the saints and widows, he presented her alive.

42 And it became known throughout all Joppa, and many believed in the Lord.

43 He stayed many days in Joppa with a tanner named Simon.

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* The World English Bible
http://ebible.org/web/

◇ April 24, 2021 USCCB Daily Mass Readings
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/2021-04-24-usccb-daily-mass-readings

◇ Daily Readings April 24, 2021
http://www.usccb.org/bible/readings/042421.cfm

◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
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◇ Today's Bible Story
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2021年04月23日

 Kyohno Seisho Monogatari (s)

今日も良い一日でありますように!

復活節第3金曜日

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 6:52-59)

 そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」。

 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。

 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。

 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。

 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。

 生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。

 天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。

 これらのことは、イエスがカペナウムの会堂で教えておられたときに言われたものである。

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<今日の『み言葉』>

(ヨハネによる福音 6:52-59)

 「わたしの肉を食べわたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」

 神学生の時、パプアニューギニア(PNG)の奥地に人喰い人種が未だに住んでいるという事をPNGで宣教していた先輩の神学生から伺ったことがある。彼らが人を食する理由というのは、単に人肉が好物だとか、他に食べるものがないからとかではないらしい。

詳しいことはわからないが、特別に尊敬する人や、愛する人と離ればなれになりたくなくて、その人を食べてしまうこともあると聞いた。

人を喰うというのはおぞましい話だが、そこまでして愛する人と一緒にいたい、なりたいという気持ちには、心打たれる思いがする。

 聖体を拝領する私たち。その時どんな思いで、どれだけの思いをもって、イエス様の体を食べているでしょうか。

イエス様と一緒にいたい、ひとつになりたい、そんな強い思いをもっていつも拝領したいものです。

mickey sdb

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_108.htm#140
より転載

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†主の平安

☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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 Today's Bible story *

April 23, 2021

I hope that you have a nice day today too.

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Friday of the Third Week of Easter

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Gospel : John 6:52-59

52 The Jews therefore contended with one another, saying, “How can this man give us his flesh to eat?”

53 Jesus therefore said to them, “Most certainly I tell you, unless you eat the flesh of the Son of Man and drink his blood, you don’t have life in yourselves.

54 He who eats my flesh and drinks my blood has eternal life, and I will raise him up at the last day.

55 For my flesh is food indeed, and my blood is drink indeed. 56 He who eats my flesh and drinks my blood lives in me, and I in him.

57 As the living Father sent me, and I live because of the Father; so he who feeds on me, he will also live because of me.

58 This is the bread which came down out of heaven?not as our fathers ate the manna, and died. He who eats this bread will live forever.”

59 He said these things in the synagogue, as he taught in Capernaum.

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Acts 9:1-20

1 But Saul, still breathing threats and slaughter against the disciples of the Lord, went to the high priest,

2 and asked for letters from him to the synagogues of Damascus, that if he found any who were of the Way, whether men or women, he might bring them bound to Jerusalem.

3 As he travelled, he got close to Damascus, and suddenly a light from the sky shone around him.

4 He fell on the earth, and heard a voice saying to him, “Saul, Saul, why do you persecute me?”

5 He said, “Who are you, Lord?”
The Lord said, “I am Jesus, whom you are persecuting.

6 But rise up, and enter into the city, and you will be told what you must do.”

7 The men who travelled with him stood speechless, hearing the sound, but seeing no one.

8 Saul arose from the ground, and when his eyes were opened, he saw no one. They led him by the hand, and brought him into Damascus.

9 He was without sight for three days, and neither ate nor drank.

10 Now there was a certain disciple at Damascus named Ananias. The Lord said to him in a vision, “Ananias!”
He said, “Behold, it’s me, Lord.”

11 The Lord said to him, “Arise, and go to the street which is called Straight, and enquire in the house of Judah for one named Saul, a man of Tarsus. For behold, he is praying,

12 and in a vision he has seen a man named Ananias coming in, and laying his hands on him, that he might receive his sight.”

13 But Ananias answered, “Lord, I have heard from many about this man, how much evil he did to your saints at Jerusalem.

14 Here he has authority from the chief priests to bind all who call on your name.”

15 But the Lord said to him, “Go your way, for he is my chosen vessel to bear my name before the nations and kings, and the children of Israel.

16 For I will show him how many things he must suffer for my name’s sake.”

17 Ananias departed, and entered into the house. Laying his hands on him, he said, “Brother Saul, the Lord, who appeared to you on the road by which you came, has sent me, that you may receive your sight, and be filled with the Holy Spirit.”

18 Immediately something like scales fell from his eyes, and he received his sight. He arose and was baptised.

19 He took food and was strengthened. Saul stayed several days with the disciples who were at Damascus.

20 Immediately in the synagogues he proclaimed the Christ, that he is the Son of God.

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* The World English Bible
http://ebible.org/web/

◇ April 23, 2021 Daily Mass Reading
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/2021-04-23-usccb-daily-mass-readings

◇ Daily Readings April 23, 2021
http://www.usccb.org/bible/readings/042321.cfm

◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
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◇ Today's Bible Story
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 Kyohno Seisho Monogatari

今日も良い一日でありますように!

復活節第3金曜日

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 6:52-59)

6:52
 そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」。

6:53
 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。

6:54
 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。

6:55
 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。

6:56
 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。

6:57
 生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。

6:58
 天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。

6:59
 これらのことは、イエスがカペナウムの会堂で教えておられたときに言われたものである。

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<今日の『み言葉』>

み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 6:52-59)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_140_1.mp3

み言葉について
(ヨハネによる福音 6:52-59)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_108.htm#140

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(使徒行伝 9:1-20)

9:1
 さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、

9:2
 ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。

9:3
 ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。

9:4
 彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。

9:5
 そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

9:6
 さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。

9:7
 サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。

9:8
 サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。

9:9
 彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。

9:10
 さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。

9:11
 そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。

9:12
 彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。

9:13
 アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。

9:14
 そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。

9:15
 しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。

9:16
 わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。

9:17
 そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。

9:18
 するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、

9:19
 また食事をとって元気を取りもどした。
サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、

9:20
 ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。

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†主の平安

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2021年04月22日

 Kyohno Seisho Monogatari (s)

今日も良い一日でありますように!

復活節第3木曜日

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 6:44-51)

 わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。

 預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。

 神から出た者のほかに、だれかが父を見たのではない。その者だけが父を見たのである。

 よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。

 わたしは命のパンである。

 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。

 しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。

 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。

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<今日の『み言葉』>

(ヨハネによる福音 6:44-51)

 「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、誰も私のもとへ来ることは出来ない。」(ヨハネ6:44)

 実際に第1朗読の中では、エチオピア人の宦官が、「手引きしてくれる人がいなければどうしてわかりましょう」と言っており、彼はフィリポの手引きを通して御父から引き寄せられ、洗礼を受けるに至っているのは、興味深いところです。

 私たちには「手引き」が必要であり、神様はいろんな形でそれを与えてくださっています。

 皆さんも、文字通り手を引かれて導かれた体験があるのではないでしょうか。私は幼い頃、よく母から手を引かれて電車が通る広い道を渡ったものです。いつしかその母の手をもう必要としなくなり、自分で自分の道を歩むようになりました。そして今は、その母が私の手を必要とするようになっています。

 私たちは、聖母マリアさまから手を引かれて信仰の道を歩み始め、そして今も歩んでいるわけです。そのマリア様に感謝して過ごしましょう。同時に私たち自身も身近にいる人の「手引き」をする力と恵みが与えられるよう、マリア様の取次ぎを求めて祈りましょう。

mickey sdb

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_107.htm#139
より転載

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†主の平安

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 Kyohno Seisho Monogatari

今日も良い一日でありますように!

復活節第3木曜日

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 6:44-51)

6:44
 わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。

6:45
 預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。

6:46
 神から出た者のほかに、だれかが父を見たのではない。その者だけが父を見たのである。

6:47
 よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。

6:48
 わたしは命のパンである。

6:49
 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。

6:50
 しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。

6:51
 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。

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<今日の『み言葉』>

み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 6:44-51)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_84_1.mp3

み言葉について
(ヨハネによる福音 6:44-51)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_139_1.mp3

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(使徒行伝 8:26-40)

8:26
 しかし、主の使がピリポにむかって言った、「立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい」(このガザは、今は荒れはてている)。

8:27
 そこで、彼は立って出かけた。すると、ちょうど、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財宝全部を管理していた宦官であるエチオピヤ人が、礼拝のためエルサレムに上り、

8:28
 その帰途についていたところであった。彼は自分の馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。

8:29
 御霊がピリポに「進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい」と言った。

8:30
 そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。

8:31
 彼は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。

8:32
 彼が読んでいた聖書の箇所は、これであった、
「彼は、ほふり場に引かれて行く羊のように、
また、黙々として、
毛を刈る者の前に立つ小羊のように、
口を開かない。

8:33
 彼は、いやしめられて、
そのさばきも行われなかった。
だれが、彼の子孫のことを語ることができようか、
彼の命が地上から取り去られているからには」。

8:34
 宦官はピリポにむかって言った、「お尋ねしますが、ここで預言者はだれのことを言っているのですか。自分のことですか、それとも、だれかほかの人のことですか」。

8:35
 そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。

8:36
 道を進んで行くうちに、水のある所にきたので、宦官が言った、「ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますか」。

〔 8:37
 これに対して、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」と言った。すると、彼は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と答えた。〕

8:38
 そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。

8:39
 ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった。宦官はよろこびながら旅をつづけた。

8:40
 その後、ピリポはアゾトに姿をあらわして、町々をめぐり歩き、いたるところで福音を宣べ伝えて、ついにカイザリヤに着いた。

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†主の平安

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 Today's Bible story *

April 22, 2021

I hope that you have a nice day today too.

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Thursday of the Third Week of Easter

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Gospel : John 6:44-51

44 No one can come to me unless the Father who sent me draws him, and I will raise him up in the last day.

45 It is written in the prophets, ‘They will all be taught by God.’ Therefore everyone who hears from the Father, and has learnt, comes to me.

46 Not that anyone has seen the Father, except he who is from God. He has seen the Father.

47 Most certainly, I tell you, he who believes in me has eternal life.

48 I am the bread of life.

49 Your fathers ate the manna in the wilderness, and they died.

50 This is the bread which comes down out of heaven, that anyone may eat of it and not die.

51 I am the living bread which came down out of heaven. If anyone eats of this bread, he will live forever. Yes, the bread which I will give for the life of the world is my flesh.”

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Acts 8:26-40

26 But an angel of the Lord spoke to Philip, saying, “Arise, and go towards the south to the way that goes down from Jerusalem to Gaza. This is a desert.”

27 He arose and went; and behold, there was a man of Ethiopia, a eunuch of great authority under Candace, queen of the Ethiopians, who was over all her treasure, who had come to Jerusalem to worship.

28 He was returning and sitting in his chariot, and was reading the prophet Isaiah.

29 The Spirit said to Philip, “Go near, and join yourself to this chariot.”

30 Philip ran to him, and heard him reading Isaiah the prophet, and said, “Do you understand what you are reading?”

31 He said, “How can I, unless someone explains it to me?” He begged Philip to come up and sit with him.

32 Now the passage of the Scripture which he was reading was this,
“He was led as a sheep to the slaughter.
As a lamb before his shearer is silent,
so he doesn’t open his mouth.

33 In his humiliation, his judgement was taken away.
Who will declare His generation?
For his life is taken from the earth.”

34 The eunuch answered Philip, “Who is the prophet talking about? About himself, or about someone else?”

35 Philip opened his mouth, and beginning from this Scripture, preached to him about Jesus.

36 As they went on the way, they came to some water, and the eunuch said, “Behold, here is water. What is keeping me from being baptised?”

37 * 38 He commanded the chariot to stand still, and they both went down into the water, both Philip and the eunuch, and he baptised him.


39 When they came up out of the water, the Spirit of the Lord caught Philip away, and the eunuch didn’t see him any more, for he went on his way rejoicing.

40 But Philip was found at Azotus. Passing through, he preached the Good News to all the cities, until he came to Caesarea.


*8:37: TR adds Philip said, “If you believe with all your heart, you may.” He answered, “I believe that Jesus Christ is the Son of God.”

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* The World English Bible
http://ebible.org/web/

◇ April 22, 2021 Daily Mass Reading
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/2021-04-22-usccb-daily-mass-readings

◇ Daily Readings April 22, 2021
http://www.usccb.org/bible/readings/042221.cfm

◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental

◇ Today's Bible Story
http://todaysbiblestory.seesaa.net/

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2021年04月21日

 Kyohno Seisho Monogatari (s)

今日も良い一日でありますように!

復活節第3水曜日

(聖アンセルモ司教教会博士)

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 6:35-40)

 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。

 しかし、あなたがたに言ったが、あなたがたはわたしを見たのに信じようとはしない。

 父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。

 わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。

 わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、終りの日によみがえらせることである。

 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」。

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<今日の『み言葉』>

(ヨハネによる福音 6:35-40)

 人は生きる為に苦労しながら自分の手で糧を得るのです。

ある人は主と共に仕事をします。

他の人は主を抜きにして仕事に励んでいます。

その違いはただ一つのものだと思われるかも知れません。

本当のことを言いますと、それは対照的な姿を表すものです。

つまり、イエスを信じるか信じないかと言うことにあります。

 イエスは、「私は命のパンである」と仰せになっています。

イエスの存在に驚きがあります。

イエスは、ご自分を受ける私たち一人ひとりを力で満たしてくださるのです。

イエスは、『人はパンだけで生きる者ではありません』と仰せになりました。

今日のエピソードを通して、イエスを信じる人々の信仰の報いが強調されていきます。

それは、『子を見て信じる人には皆、永遠の命がある』という事です。

更に、イエスは餓え渇きを満たすだけではなく、その『人を終りの日に復活させる』ことにあります。

イエスを信じることは、イエスに従うことであり、生き方と考え方を変えることです。

 『命のパンであるイエス様』、あなたは道しるべだけではなく、目的地なのです。

度々私たちのところに命のパンとして来て下さいます。

私たちが日々の仕事をしながら永遠の命を失う事がないように『命のパン』で、私たちの心も体も満たして下さい。

私たちを新たな驚きで満たして、あなたのみ旨を行うような人にしてください。

Fr.Tadeusz

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_106.htm#138
より転載

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†主の平安

☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental

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 Kyohno Seisho Monogatari

今日も良い一日でありますように!

復活節第3水曜日

(聖アンセルモ司教教会博士)

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 6:35-40)

6:35
 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。

6:36
 しかし、あなたがたに言ったが、あなたがたはわたしを見たのに信じようとはしない。

6:37
 父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。

6:38
 わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。

6:39
 わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、終りの日によみがえらせることである。

6:40
 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」。

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<今日の『み言葉』>

み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 6:35-40)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_138_1.mp3

み言葉について
(ヨハネによる福音 6:35-40)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_106.htm#138

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(使徒行伝 8:1b-8)

8:1b
 その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。

8:2
 信仰深い人たちはステパノを葬り、彼のために胸を打って、非常に悲しんだ。

8:3
 ところが、サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った。

8:4
 さて、散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。

8:5
 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べはじめた。

8:6
 群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、こぞって彼の語ることに耳を傾けた。

8:7
 汚れた霊につかれた多くの人々からは、その霊が大声でわめきながら出て行くし、また、多くの中風をわずらっている者や、足のきかない者がいやされたからである。

8:8
 それで、この町では人々が、大変なよろこびかたであった。

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†主の平安

☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental

* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/

☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

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 Today's Bible story *

April 21, 2021

I hope that you have a nice day today too.

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Wednesday of the Third Week of Easter

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Gospel : John 6:35-40

35 Jesus said to them, “I am the bread of life. He who comes to me will not be hungry, and he who believes in me will never be thirsty.

36 But I told you that you have seen me, and yet you don’t believe.

37 All those whom the Father gives me will come to me. He who comes to me I will in no way throw out.

38 For I have come down from heaven, not to do my own will, but the will of him who sent me.

39 This is the will of my Father who sent me, that of all he has given to me I should lose nothing, but should raise him up at the last day.

40 This is the will of the one who sent me, that everyone who sees the Son, and believes in him, should have eternal life; and I will raise him up at the last day.”

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Acts 8:1b-8

1b A great persecution arose against the assembly which was in Jerusalem in that day.

They were all scattered abroad throughout the regions of Judea and Samaria, except for the apostles.

2 Devout men buried Stephen, and lamented greatly over him.

3 But Saul ravaged the assembly, entering into every house, and dragged both men and women off to prison.

4 Therefore those who were scattered abroad went around preaching the word.

5 Philip went down to the city of Samaria, and proclaimed to them the Christ.

6 The multitudes listened with one accord to the things that were spoken by Philip, when they heard and saw the signs which he did.

7 For unclean spirits came out of many of those who had them. They came out, crying with a loud voice. Many who had been paralysed and lame were healed.

8 There was great joy in that city.

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* The World English Bible
http://ebible.org/web/

◇ April 21, 2021 Daily Mass Reading
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/2021-04-21-usccb-daily-mass-readings

◇ Daily Readings April 21, 2021
http://www.usccb.org/bible/readings/042121.cfm

◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
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◇ Today's Bible Story
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2021年04月20日

 Kyohno Seisho Monogatari (s)

今日も良い一日でありますように!

復活節第3火曜日

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<今日の聖書物語 *>

(ヨハネによる福音 6:30-35)

 彼らはイエスに言った、「わたしたちが見てあなたを信じるために、どんなしるしを行って下さいますか。どんなことをして下さいますか。

 わたしたちの先祖は荒野でマナを食べました。それは『天よりのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです」。

 そこでイエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。天からのパンをあなたがたに与えたのは、モーセではない。天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである。

 神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」。

 彼らはイエスに言った、「主よ、そのパンをいつもわたしたちに下さい」。

 イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。

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<今日の『み言葉』>

<今日の『み言葉』>

(ヨハネによる福音 6:30-35)

 「それでは、私たちが見てあなたを信じることが出来るように、どんなしるしを行ってくださいますか。」

 人々の神様に対する飢え、渇きが伺えます。

もっと信じたい、神様がちゃんとおられ、働かれているということを実感したい。

この思いは、わたしたちにもあるものではないでしょうか。

もっと力強く信じたい、神様の現存を感じられるようになりたい、と。

 ところで、ミサの度ごとに私たちは、御聖体を頂きます。

まさにこの御聖体の秘跡こそが、神様の現存を私たちに示すものであり、私たちの信仰を養う糧、恵であることを改めて思い出すようにしましょう。

 「私は命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない。」とイエス様は私たちにも言われます。

まだまだ信仰において飢え、渇きを感じるならば、もっと御聖体を深く味わい自分自身が神様と強く結ばれるように努めましょう。

mickey sdb

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_105.htm#137
より転載

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†主の平安

☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental

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