良い一日を過ごしましょう!
年間第17水曜日
聖イグナチオ−ロヨラ−司祭 (記)
-----
<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:44-46)
天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。
また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。
高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マタイによる福音 13:44-46)
イエスは数々の例え話を通して『神の国』の奥義について話されたのです。
その目的は何だったのでしょうか。
イエスは神の国の為に生まれ、生き、死んだのです。
イエスの人生にとって神の国は中心的や絶対的な課題だったのです。
その為、イエスの例え話は、日常の経験から出発して、秘められた真理を理解させるようにするもので、今まで五感で感じられなかった事を感じるようにさせるのです。
確かに、この世界では、大変な値打ちを持つ宝物が存在しているのに、知られないままでいる事もあるでしょう。
同様に天の国も計り知れない価値が存在しているのに、その価値が知られないでいる事もありえます。
その価値がはっきり分かるのは、聖霊の力によって、私達の内なる神の御働きに私達が同意する時だけです。
イエスは忍耐強く私達の自由を尊重し、埋められた宝や隠された真珠のように、自分で真理を発見するように導いてくださいます。
宝を手にすれば、全く新しい人生が開けます。
天の国を見いだす者は大きな喜びを体験し、あらゆる宝の中で最高の宝を手に入れる事になります。
カトリック教会にとって七つの秘跡は素晴らしい宝の隠れた畑のようなものです。
この秘跡には神の愛の働きが一杯含まれています。
人間を動かすのは『愛』と『飢え』です。
もう一つは『王』、即ち権威、権力が人を動かします。
しかし、神の愛が歴史をつくったのです。
最高の宝である愛を目指して行動していきましょう。
マタイは宝と真珠の二つの例えを結び付け、一つの比喩のようにしています。
イエスは天の国を用例としてではなく、宝そのものとして述べられました。
つまり、全てに勝って神を求め、神の為に全てを犠牲にしてもよいとう希望と勇気に満ちた決意を述べようとしています。
Fr.Tadeo
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_234.htm#204
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
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2024年07月31日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
posted by marion at 11:32| 千葉 ☁| 本/雑誌
|

Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第17水曜日
聖イグナチオ−ロヨラ−司祭 (記)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:44-46)
13:44
天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。
13:45
また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。
13:46
高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。
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<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マタイによる福音 13:44-46)
イエスは数々の例え話を通して『神の国』の奥義について話されたのです。
その目的は何だったのでしょうか。
イエスは神の国の為に生まれ、生き、死んだのです。
イエスの人生にとって神の国は中心的や絶対的な課題だったのです。
その為、イエスの例え話は、日常の経験から出発して、秘められた真理を理解させるようにするもので、今まで五感で感じられなかった事を感じるようにさせるのです。
確かに、この世界では、大変な値打ちを持つ宝物が存在しているのに、知られないままでいる事もあるでしょう。
同様に天の国も計り知れない価値が存在しているのに、その価値が知られないでいる事もありえます。
その価値がはっきり分かるのは、聖霊の力によって、私達の内なる神の御働きに私達が同意する時だけです。
イエスは忍耐強く私達の自由を尊重し、埋められた宝や隠された真珠のように、自分で真理を発見するように導いてくださいます。
宝を手にすれば、全く新しい人生が開けます。
天の国を見いだす者は大きな喜びを体験し、あらゆる宝の中で最高の宝を手に入れる事になります。
カトリック教会にとって七つの秘跡は素晴らしい宝の隠れた畑のようなものです。
この秘跡には神の愛の働きが一杯含まれています。
人間を動かすのは『愛』と『飢え』です。
もう一つは『王』、即ち権威、権力が人を動かします。
しかし、神の愛が歴史をつくったのです。
最高の宝である愛を目指して行動していきましょう。
マタイは宝と真珠の二つの例えを結び付け、一つの比喩のようにしています。
イエスは天の国を用例としてではなく、宝そのものとして述べられました。
つまり、全てに勝って神を求め、神の為に全てを犠牲にしてもよいとう希望と勇気に満ちた決意を述べようとしています。
Fr.Tadeo
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_234.htm#204
より転載
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(エレミヤ書 15:10, 16-21)
15:10
ああ、わたしはわざわいだ。わが母よ、あなたは、なぜ、わたしを産んだのか。全国の人はわたしと争い、わたしを攻める。わたしは人に貸したこともなく、人に借りたこともないのに、皆わたしをのろう。
15:16
わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。
み言葉は、わたしに喜びとなり、
心の楽しみとなりました。
万軍の神、主よ、わたしは、あなたの名をもって
となえられている者です。
15:17
わたしは笑いさざめく人のつどいに
すわることなく、また喜ぶことをせず、
ただひとりですわっていました。
あなたの手がわたしの上にあり、
あなたが憤りをもって
わたしを満たされたからです。
15:18
どうしてわたしの痛みは止まらず、
傷は重くて、なおらないのですか。
あなたはわたしにとって、水がなくて人を欺く
谷川のようになられるのですか。
15:19
それゆえ主はこう仰せられる、
「もしあなたが帰ってくるならば、
もとのようにして、わたしの前に立たせよう。
もしあなたが、つまらないことを言うのをやめて、
貴重なことを言うならば、
わたしの口のようになる。
彼らはあなたの所に帰ってくる。
しかしあなたが彼らの所に帰るのではない。
15:20
わたしはあなたをこの民の前に、
堅固な青銅の城壁にする。
彼らがあなたを攻めても、
あなたに勝つことはできない。
わたしがあなたと共にいて、あなたを助け、
あなたを救うからであると、主は言われる。
15:21
わたしはあなたを悪人の手から救い、
無慈悲な人の手からあがなう」。
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/
☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html
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年間第17水曜日
聖イグナチオ−ロヨラ−司祭 (記)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:44-46)
13:44
天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。
13:45
また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。
13:46
高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。
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<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マタイによる福音 13:44-46)
イエスは数々の例え話を通して『神の国』の奥義について話されたのです。
その目的は何だったのでしょうか。
イエスは神の国の為に生まれ、生き、死んだのです。
イエスの人生にとって神の国は中心的や絶対的な課題だったのです。
その為、イエスの例え話は、日常の経験から出発して、秘められた真理を理解させるようにするもので、今まで五感で感じられなかった事を感じるようにさせるのです。
確かに、この世界では、大変な値打ちを持つ宝物が存在しているのに、知られないままでいる事もあるでしょう。
同様に天の国も計り知れない価値が存在しているのに、その価値が知られないでいる事もありえます。
その価値がはっきり分かるのは、聖霊の力によって、私達の内なる神の御働きに私達が同意する時だけです。
イエスは忍耐強く私達の自由を尊重し、埋められた宝や隠された真珠のように、自分で真理を発見するように導いてくださいます。
宝を手にすれば、全く新しい人生が開けます。
天の国を見いだす者は大きな喜びを体験し、あらゆる宝の中で最高の宝を手に入れる事になります。
カトリック教会にとって七つの秘跡は素晴らしい宝の隠れた畑のようなものです。
この秘跡には神の愛の働きが一杯含まれています。
人間を動かすのは『愛』と『飢え』です。
もう一つは『王』、即ち権威、権力が人を動かします。
しかし、神の愛が歴史をつくったのです。
最高の宝である愛を目指して行動していきましょう。
マタイは宝と真珠の二つの例えを結び付け、一つの比喩のようにしています。
イエスは天の国を用例としてではなく、宝そのものとして述べられました。
つまり、全てに勝って神を求め、神の為に全てを犠牲にしてもよいとう希望と勇気に満ちた決意を述べようとしています。
Fr.Tadeo
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_234.htm#204
より転載
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(エレミヤ書 15:10, 16-21)
15:10
ああ、わたしはわざわいだ。わが母よ、あなたは、なぜ、わたしを産んだのか。全国の人はわたしと争い、わたしを攻める。わたしは人に貸したこともなく、人に借りたこともないのに、皆わたしをのろう。
15:16
わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。
み言葉は、わたしに喜びとなり、
心の楽しみとなりました。
万軍の神、主よ、わたしは、あなたの名をもって
となえられている者です。
15:17
わたしは笑いさざめく人のつどいに
すわることなく、また喜ぶことをせず、
ただひとりですわっていました。
あなたの手がわたしの上にあり、
あなたが憤りをもって
わたしを満たされたからです。
15:18
どうしてわたしの痛みは止まらず、
傷は重くて、なおらないのですか。
あなたはわたしにとって、水がなくて人を欺く
谷川のようになられるのですか。
15:19
それゆえ主はこう仰せられる、
「もしあなたが帰ってくるならば、
もとのようにして、わたしの前に立たせよう。
もしあなたが、つまらないことを言うのをやめて、
貴重なことを言うならば、
わたしの口のようになる。
彼らはあなたの所に帰ってくる。
しかしあなたが彼らの所に帰るのではない。
15:20
わたしはあなたをこの民の前に、
堅固な青銅の城壁にする。
彼らがあなたを攻めても、
あなたに勝つことはできない。
わたしがあなたと共にいて、あなたを助け、
あなたを救うからであると、主は言われる。
15:21
わたしはあなたを悪人の手から救い、
無慈悲な人の手からあがなう」。
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/
☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html
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|

Today's Bible story *
July 31, 2024
Have a good day!
-----
Memorial of Saint Ignatius of Loyola, Priest
-----
Gospel : Matthew 13:44-46
44 “Again, the Kingdom of Heaven is like treasure hidden in the field, which a man found and hid. In his joy, he goes and sells all that he has and buys that field.
45 “Again, the Kingdom of Heaven is like a man who is a merchant seeking fine pearls,
46 who having found one pearl of great price, he went and sold all that he had and bought it.
-----
Jeremiah 15:10, 16-21
10 Woe is me, my mother, that you have borne me, a man of strife,
and a man of contention to the whole earth!
I have not lent, neither have men lent to me;
yet every one of them curses me.
16 Your words were found,
and I ate them.
Your words were to me a joy and the rejoicing of my heart,
for I am called by your name, Yahweh, God of Armies.
17 I didn’t sit in the assembly of those who make merry and rejoice.
I sat alone because of your hand,
for you have filled me with indignation.
18 Why is my pain perpetual,
and my wound incurable,
which refuses to be healed?
Will you indeed be to me as a deceitful brook,
like waters that fail?
19 Therefore Yahweh says,
“If you return, then I will bring you again,
that you may stand before me;
and if you take out the precious from the vile,
you will be as my mouth.
They will return to you,
but you will not return to them.
20 I will make you to this people a fortified bronze wall.
They will fight against you,
but they will not prevail against you;
for I am with you to save you
and to deliver you,” says Yahweh.
21 “I will deliver you out of the hand of the wicked,
and I will redeem you out of the hand of the terrible.”
-----
* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 31, 2024
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-july-31-2024
◇ Daily Readings July 31, 2024
http://www.usccb.org/bible/readings/073124.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
http://todaysbiblestory.seesaa.net/
-----
Have a good day!
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Memorial of Saint Ignatius of Loyola, Priest
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Gospel : Matthew 13:44-46
44 “Again, the Kingdom of Heaven is like treasure hidden in the field, which a man found and hid. In his joy, he goes and sells all that he has and buys that field.
45 “Again, the Kingdom of Heaven is like a man who is a merchant seeking fine pearls,
46 who having found one pearl of great price, he went and sold all that he had and bought it.
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Jeremiah 15:10, 16-21
10 Woe is me, my mother, that you have borne me, a man of strife,
and a man of contention to the whole earth!
I have not lent, neither have men lent to me;
yet every one of them curses me.
16 Your words were found,
and I ate them.
Your words were to me a joy and the rejoicing of my heart,
for I am called by your name, Yahweh, God of Armies.
17 I didn’t sit in the assembly of those who make merry and rejoice.
I sat alone because of your hand,
for you have filled me with indignation.
18 Why is my pain perpetual,
and my wound incurable,
which refuses to be healed?
Will you indeed be to me as a deceitful brook,
like waters that fail?
19 Therefore Yahweh says,
“If you return, then I will bring you again,
that you may stand before me;
and if you take out the precious from the vile,
you will be as my mouth.
They will return to you,
but you will not return to them.
20 I will make you to this people a fortified bronze wall.
They will fight against you,
but they will not prevail against you;
for I am with you to save you
and to deliver you,” says Yahweh.
21 “I will deliver you out of the hand of the wicked,
and I will redeem you out of the hand of the terrible.”
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* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 31, 2024
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-july-31-2024
◇ Daily Readings July 31, 2024
http://www.usccb.org/bible/readings/073124.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
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◇ Today's Bible Story
http://todaysbiblestory.seesaa.net/
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2024年07月30日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
年間第17火曜日
(聖ペトロ・クリソロゴ司教教会博士)
-----
<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:36-43)
それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。すると弟子たちは、みもとにきて言った、「畑の毒麦の譬を説明してください」。
イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。
畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。
それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。
だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。
人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、
炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マタイによる福音 13:36-43)
「畑によい種を蒔くのは人の子」すなはち、ご自分のこととイエス様は仰っています。
この世に生まれながら悪い人はいません。
一人残らず神様の御心によって生まれてくるのです。
神様は理性と自由意志とを備えた霊魂を人間に与えてくださいました。
これによって人間は進歩し、発展して行けるのですが、神様を憎む悪魔は人間を神様から引き離そうとやっきになっているのです。
その結果、ある人たちは、本来より良いほうを選ぶための自由意志を悪用して、神様にさからっているのです。
それでも神様は人を見捨てず、いろいろな方法でたち直そうとしますが、自分の方から神様をすててしまう者には「燃え盛る炉の中に投げ込ませる」と言わざるをえないのです。
私たちはいつも神様に忠実であるように努めましょう。
RSDB
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_233.htm#203
より転載
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
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年間第17火曜日
(聖ペトロ・クリソロゴ司教教会博士)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:36-43)
それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。すると弟子たちは、みもとにきて言った、「畑の毒麦の譬を説明してください」。
イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。
畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。
それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。
だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。
人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、
炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。
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<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マタイによる福音 13:36-43)
「畑によい種を蒔くのは人の子」すなはち、ご自分のこととイエス様は仰っています。
この世に生まれながら悪い人はいません。
一人残らず神様の御心によって生まれてくるのです。
神様は理性と自由意志とを備えた霊魂を人間に与えてくださいました。
これによって人間は進歩し、発展して行けるのですが、神様を憎む悪魔は人間を神様から引き離そうとやっきになっているのです。
その結果、ある人たちは、本来より良いほうを選ぶための自由意志を悪用して、神様にさからっているのです。
それでも神様は人を見捨てず、いろいろな方法でたち直そうとしますが、自分の方から神様をすててしまう者には「燃え盛る炉の中に投げ込ませる」と言わざるをえないのです。
私たちはいつも神様に忠実であるように努めましょう。
RSDB
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_233.htm#203
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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posted by marion at 11:32| 千葉 ☀| 本/雑誌
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Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第17火曜日
(聖ペトロ・クリソロゴ司教教会博士)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:36-43)
13:36
それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。すると弟子たちは、みもとにきて言った、「畑の毒麦の譬を説明してください」。
13:37
イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。
13:38
畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。
13:39
それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。
13:40
だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。
13:41
人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、
13:42
炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
13:43
そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。
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<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マタイによる福音 13:36-43)
「畑によい種を蒔くのは人の子」すなはち、ご自分のこととイエス様は仰っています。
この世に生まれながら悪い人はいません。
一人残らず神様の御心によって生まれてくるのです。
神様は理性と自由意志とを備えた霊魂を人間に与えてくださいました。
これによって人間は進歩し、発展して行けるのですが、神様を憎む悪魔は人間を神様から引き離そうとやっきになっているのです。
その結果、ある人たちは、本来より良いほうを選ぶための自由意志を悪用して、神様にさからっているのです。
それでも神様は人を見捨てず、いろいろな方法でたち直そうとしますが、自分の方から神様をすててしまう者には「燃え盛る炉の中に投げ込ませる」と言わざるをえないのです。
私たちはいつも神様に忠実であるように努めましょう。
RSDB
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_233.htm#203
より転載
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(エレミヤ書 14:17b-22)
14:17b
『わたしの目は夜も昼も絶えず涙を流す。
わが民の娘であるおとめが大きな傷と
重い打撃によって滅ぼされるからである。
14:18
わたしが出て畑に行くと、
つるぎで殺された者がある。
町にはいると、ききんで病んでいる者がある。
預言者も祭司も共にその地にさまよって、
知るところがない』」。
14:19
あなたはまったくユダを捨てられたのですか。
あなたの心はシオンをきらわれるのですか。
あなたはわれわれを撃ったのに、どうしていやしてはくださらないのですか。
われわれは平安を望んだが、良い事はこなかった。
いやされる時を望んだが、かえって恐怖が来た。
14:20
主よ、われわれは自分の悪と、
先祖のとがとを認めています。
われわれはあなたに罪を犯しました。
14:21
み名のために、われわれを捨てないでください。
あなたの栄えあるみ位を
はずかしめないでください。
あなたがわれわれにお立てになった契約を覚えて、
それを破らないでください。
14:22
異邦の偽りの神々のうちに、
雨を降らせうる者があるであろうか。
天が自分で夕立ちを降らすことができようか。
われわれの神、主よ、
あなたこそ、これをなさる方ではありませんか。
われわれの待ち望むのはあなたです。
あなたがこれらすべてのことをなさるからです。
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†主の平安
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(マタイによる福音 13:36-43)
13:36
それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。すると弟子たちは、みもとにきて言った、「畑の毒麦の譬を説明してください」。
13:37
イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。
13:38
畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。
13:39
それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。
13:40
だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。
13:41
人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、
13:42
炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
13:43
そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。
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<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マタイによる福音 13:36-43)
「畑によい種を蒔くのは人の子」すなはち、ご自分のこととイエス様は仰っています。
この世に生まれながら悪い人はいません。
一人残らず神様の御心によって生まれてくるのです。
神様は理性と自由意志とを備えた霊魂を人間に与えてくださいました。
これによって人間は進歩し、発展して行けるのですが、神様を憎む悪魔は人間を神様から引き離そうとやっきになっているのです。
その結果、ある人たちは、本来より良いほうを選ぶための自由意志を悪用して、神様にさからっているのです。
それでも神様は人を見捨てず、いろいろな方法でたち直そうとしますが、自分の方から神様をすててしまう者には「燃え盛る炉の中に投げ込ませる」と言わざるをえないのです。
私たちはいつも神様に忠実であるように努めましょう。
RSDB
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_233.htm#203
より転載
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(エレミヤ書 14:17b-22)
14:17b
『わたしの目は夜も昼も絶えず涙を流す。
わが民の娘であるおとめが大きな傷と
重い打撃によって滅ぼされるからである。
14:18
わたしが出て畑に行くと、
つるぎで殺された者がある。
町にはいると、ききんで病んでいる者がある。
預言者も祭司も共にその地にさまよって、
知るところがない』」。
14:19
あなたはまったくユダを捨てられたのですか。
あなたの心はシオンをきらわれるのですか。
あなたはわれわれを撃ったのに、どうしていやしてはくださらないのですか。
われわれは平安を望んだが、良い事はこなかった。
いやされる時を望んだが、かえって恐怖が来た。
14:20
主よ、われわれは自分の悪と、
先祖のとがとを認めています。
われわれはあなたに罪を犯しました。
14:21
み名のために、われわれを捨てないでください。
あなたの栄えあるみ位を
はずかしめないでください。
あなたがわれわれにお立てになった契約を覚えて、
それを破らないでください。
14:22
異邦の偽りの神々のうちに、
雨を降らせうる者があるであろうか。
天が自分で夕立ちを降らすことができようか。
われわれの神、主よ、
あなたこそ、これをなさる方ではありませんか。
われわれの待ち望むのはあなたです。
あなたがこれらすべてのことをなさるからです。
-----
†主の平安
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* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/
☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html
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posted by marion at 00:32| 千葉 ☁| 本/雑誌
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Today's Bible story *
July 30, 2024
Have a good day!
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Tuesday of the Seventeenth Week in Ordinary Time
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Gospel : Matthew 13:36-43
36 Then Jesus sent the multitudes away, and went into the house. His disciples came to him, saying, “Explain to us the parable of the darnel weeds of the field.”
37 He answered them, “He who sows the good seed is the Son of Man,
38 the field is the world, the good seeds are the children of the Kingdom, and the darnel weeds are the children of the evil one.
39 The enemy who sowed them is the devil. The harvest is the end of the age, and the reapers are angels.
40 As therefore the darnel weeds are gathered up and burned with fire; so will it be at the end of this age.
41 The Son of Man will send out his angels, and they will gather out of his Kingdom all things that cause stumbling and those who do iniquity,
42 and will cast them into the furnace of fire. There will be weeping and gnashing of teeth. 43 Then the righteous will shine like the sun in the Kingdom of their Father. He who has ears to hear, let him hear.
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Jeremiah 14:17b-22
17b “ ‘Let my eyes run down with tears night and day,
and let them not cease;
for the virgin daughter of my people is broken with a great breach,
with a very grievous wound.
18 If I go out into the field,
then behold, the slain with the sword!
If I enter into the city,
then behold, those who are sick with famine!
For both the prophet and the priest go about in the land,
and have no knowledge.’ ”
19 Have you utterly rejected Judah?
Has your soul loathed Zion?
Why have you struck us, and there is no healing for us?
We looked for peace, but no good came;
and for a time of healing, and behold, dismay!
20 We acknowledge, Yahweh, our wickedness,
and the iniquity of our fathers;
for we have sinned against you.
21 Do not abhor us, for your name’s sake.
Do not disgrace the throne of your glory.
Remember, and don’t break your covenant with us.
22 Are there any among the vanities of the nations that can cause rain?
Or can the sky give showers?
Aren’t you he, Yahweh our God?
Therefore we will wait for you;
for you have made all these things.
-----
* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 30, 2024
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-july-30-2024
◇ Daily Readings July 30, 2024
http://www.usccb.org/bible/readings/073024.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
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Have a good day!
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Tuesday of the Seventeenth Week in Ordinary Time
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Gospel : Matthew 13:36-43
36 Then Jesus sent the multitudes away, and went into the house. His disciples came to him, saying, “Explain to us the parable of the darnel weeds of the field.”
37 He answered them, “He who sows the good seed is the Son of Man,
38 the field is the world, the good seeds are the children of the Kingdom, and the darnel weeds are the children of the evil one.
39 The enemy who sowed them is the devil. The harvest is the end of the age, and the reapers are angels.
40 As therefore the darnel weeds are gathered up and burned with fire; so will it be at the end of this age.
41 The Son of Man will send out his angels, and they will gather out of his Kingdom all things that cause stumbling and those who do iniquity,
42 and will cast them into the furnace of fire. There will be weeping and gnashing of teeth. 43 Then the righteous will shine like the sun in the Kingdom of their Father. He who has ears to hear, let him hear.
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Jeremiah 14:17b-22
17b “ ‘Let my eyes run down with tears night and day,
and let them not cease;
for the virgin daughter of my people is broken with a great breach,
with a very grievous wound.
18 If I go out into the field,
then behold, the slain with the sword!
If I enter into the city,
then behold, those who are sick with famine!
For both the prophet and the priest go about in the land,
and have no knowledge.’ ”
19 Have you utterly rejected Judah?
Has your soul loathed Zion?
Why have you struck us, and there is no healing for us?
We looked for peace, but no good came;
and for a time of healing, and behold, dismay!
20 We acknowledge, Yahweh, our wickedness,
and the iniquity of our fathers;
for we have sinned against you.
21 Do not abhor us, for your name’s sake.
Do not disgrace the throne of your glory.
Remember, and don’t break your covenant with us.
22 Are there any among the vanities of the nations that can cause rain?
Or can the sky give showers?
Aren’t you he, Yahweh our God?
Therefore we will wait for you;
for you have made all these things.
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2024年07月29日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
聖マルタ、聖マリア、聖ラザロ(記)
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<今日の聖書物語 *>
(ヨハネによる福音 11:19-27)
大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。
マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。
マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。
しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。
イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。
マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。
---
または、(ルカによる福音 10:38-42)
一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 11:19-27)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc7_35_1.mp3
み言葉について
(ヨハネによる福音 11:19-27)
イエスさまは、ラザロが死んで四日目にラザロ家をようやく訪れました。
マリアは「あなたが神にお願いになることは、何でもかなえられると、私は確信しています。」と言います。
「私は復活であり、いのちである・・・」とのイエスさまの言葉を聴いて「あなたが、この世に来られるはずの神の子、メシアであることを、私は信じております」と100点満点の答えをした彼女でした。
しかしラザロのお墓の前では、“四日”という現実の前に、石を取り除けるのをためらう彼女でした。
彼女の“頭の中の信仰”と“現実の生活の中の信仰”のちぐはぐさは、私たち人間誰しもが持っているものです。
大切なのは“信仰の弱さ”を気づいても、ガッカリしないでイエス様を見続けることです。
Tanaka
---
イエス様を迎えに出て行くマルタ。
イエス様を家に迎え入れ、いろいろのもてなしのためにせわしく立ち働くマルタ。
イエス様に対するホスピタリティーに溢れる聖マルタの記念日です。
イエス様は、今日も私たちのもとを尋ねてこられます。
子供の姿でしょうか、あるいは病気の人の姿かも知れません。
家族、友人、そばにいる人々の中におられるキリストの姿に気付いて、聖マルタのようにそのキリストに仕え、真心込めて愛の奉仕に努めることができるよう、彼女の取次ぎを求めて祈りましょう。
mickey sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C7_31.htm#35
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
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聖マルタ、聖マリア、聖ラザロ(記)
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<今日の聖書物語 *>
(ヨハネによる福音 11:19-27)
大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。
マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。
マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。
しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。
イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。
マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。
---
または、(ルカによる福音 10:38-42)
一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 11:19-27)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc7_35_1.mp3
み言葉について
(ヨハネによる福音 11:19-27)
イエスさまは、ラザロが死んで四日目にラザロ家をようやく訪れました。
マリアは「あなたが神にお願いになることは、何でもかなえられると、私は確信しています。」と言います。
「私は復活であり、いのちである・・・」とのイエスさまの言葉を聴いて「あなたが、この世に来られるはずの神の子、メシアであることを、私は信じております」と100点満点の答えをした彼女でした。
しかしラザロのお墓の前では、“四日”という現実の前に、石を取り除けるのをためらう彼女でした。
彼女の“頭の中の信仰”と“現実の生活の中の信仰”のちぐはぐさは、私たち人間誰しもが持っているものです。
大切なのは“信仰の弱さ”を気づいても、ガッカリしないでイエス様を見続けることです。
Tanaka
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イエス様を迎えに出て行くマルタ。
イエス様を家に迎え入れ、いろいろのもてなしのためにせわしく立ち働くマルタ。
イエス様に対するホスピタリティーに溢れる聖マルタの記念日です。
イエス様は、今日も私たちのもとを尋ねてこられます。
子供の姿でしょうか、あるいは病気の人の姿かも知れません。
家族、友人、そばにいる人々の中におられるキリストの姿に気付いて、聖マルタのようにそのキリストに仕え、真心込めて愛の奉仕に努めることができるよう、彼女の取次ぎを求めて祈りましょう。
mickey sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C7_31.htm#35
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
聖マルタ、聖マリア、聖ラザロ(記)
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<今日の聖書物語 *>
(ヨハネによる福音 11:19-27)
11:19
大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。
11:20
マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。
11:21
マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。
11:22
しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。
11:23
イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。
11:24
マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
11:25
イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
11:26
また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
11:27
マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。
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または、(ルカによる福音 10:38-42)
10:38
一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
10:39
この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
10:40
ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
10:41
主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
10:42
しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 11:19-27)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc7_35_1.mp3
み言葉について
(ヨハネによる福音 11:19-27)
イエスさまは、ラザロが死んで四日目にラザロ家をようやく訪れました。
マリアは「あなたが神にお願いになることは、何でもかなえられると、私は確信しています。」と言います。
「私は復活であり、いのちである・・・」とのイエスさまの言葉を聴いて「あなたが、この世に来られるはずの神の子、メシアであることを、私は信じております」と100点満点の答えをした彼女でした。
しかしラザロのお墓の前では、“四日”という現実の前に、石を取り除けるのをためらう彼女でした。
彼女の“頭の中の信仰”と“現実の生活の中の信仰”のちぐはぐさは、私たち人間誰しもが持っているものです。
大切なのは“信仰の弱さ”を気づいても、ガッカリしないでイエス様を見続けることです。
Tanaka
---
イエス様を迎えに出て行くマルタ。
イエス様を家に迎え入れ、いろいろのもてなしのためにせわしく立ち働くマルタ。
イエス様に対するホスピタリティーに溢れる聖マルタの記念日です。
イエス様は、今日も私たちのもとを尋ねてこられます。
子供の姿でしょうか、あるいは病気の人の姿かも知れません。
家族、友人、そばにいる人々の中におられるキリストの姿に気付いて、聖マルタのようにそのキリストに仕え、真心込めて愛の奉仕に努めることができるよう、彼女の取次ぎを求めて祈りましょう。
mickey sdb
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より転載
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(ヨハネの第一の手紙 4:7-16)
4:7
愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。
4:8
愛さない者は、神を知らない。神は愛である。
4:9
神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
4:10
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
4:11
愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。
4:12
神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。
4:13
神が御霊をわたしたちに賜わったことによって、わたしたちが神におり、神がわたしたちにいますことを知る。
4:14
わたしたちは、父が御子を世の救主としておつかわしになったのを見て、そのあかしをするのである。
4:15
もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。
4:16
わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。
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†主の平安
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聖マルタ、聖マリア、聖ラザロ(記)
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<今日の聖書物語 *>
(ヨハネによる福音 11:19-27)
11:19
大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。
11:20
マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。
11:21
マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。
11:22
しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。
11:23
イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。
11:24
マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
11:25
イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
11:26
また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
11:27
マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。
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または、(ルカによる福音 10:38-42)
10:38
一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
10:39
この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
10:40
ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
10:41
主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
10:42
しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 11:19-27)
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み言葉について
(ヨハネによる福音 11:19-27)
イエスさまは、ラザロが死んで四日目にラザロ家をようやく訪れました。
マリアは「あなたが神にお願いになることは、何でもかなえられると、私は確信しています。」と言います。
「私は復活であり、いのちである・・・」とのイエスさまの言葉を聴いて「あなたが、この世に来られるはずの神の子、メシアであることを、私は信じております」と100点満点の答えをした彼女でした。
しかしラザロのお墓の前では、“四日”という現実の前に、石を取り除けるのをためらう彼女でした。
彼女の“頭の中の信仰”と“現実の生活の中の信仰”のちぐはぐさは、私たち人間誰しもが持っているものです。
大切なのは“信仰の弱さ”を気づいても、ガッカリしないでイエス様を見続けることです。
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イエス様を迎えに出て行くマルタ。
イエス様を家に迎え入れ、いろいろのもてなしのためにせわしく立ち働くマルタ。
イエス様に対するホスピタリティーに溢れる聖マルタの記念日です。
イエス様は、今日も私たちのもとを尋ねてこられます。
子供の姿でしょうか、あるいは病気の人の姿かも知れません。
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(ヨハネの第一の手紙 4:7-16)
4:7
愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。
4:8
愛さない者は、神を知らない。神は愛である。
4:9
神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
4:10
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
4:11
愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。
4:12
神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。
4:13
神が御霊をわたしたちに賜わったことによって、わたしたちが神におり、神がわたしたちにいますことを知る。
4:14
わたしたちは、父が御子を世の救主としておつかわしになったのを見て、そのあかしをするのである。
4:15
もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。
4:16
わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。
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†主の平安
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posted by marion at 00:32| 千葉 ☁| 本/雑誌
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Today's Bible story *
July 29, 2024
Have a good day!
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Memorial of Saints Martha, Mary, and Lazarus
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Gospel : John 11:19-27
19 Many of the Jews had joined the women around Martha and Mary, to console them concerning their brother.
20 Then when Martha heard that Jesus was coming, she went and met him, but Mary stayed in the house.
21 Therefore Martha said to Jesus, “Lord, if you would have been here, my brother wouldn’t have died.
22 Even now I know that whatever you ask of God, God will give you.”
23 Jesus said to her, “Your brother will rise again.”
24 Martha said to him, “I know that he will rise again in the resurrection at the last day.”
25 Jesus said to her, “I am the resurrection and the life. He who believes in me will still live, even if he dies.
26 Whoever lives and believes in me will never die. Do you believe this?”
27 She said to him, “Yes, Lord. I have come to believe that you are the Christ, God’s Son, he who comes into the world.”
-----
OR
Luke 10:38-42
38 As they went on their way, he entered into a certain village, and a certain woman named Martha received him into her house.
39 She had a sister called Mary, who also sat at Jesus’ feet and heard his word.
40 But Martha was distracted with much serving, and she came up to him, and said, “Lord, don’t you care that my sister left me to serve alone? Ask her therefore to help me.”
41 Jesus answered her, “Martha, Martha, you are anxious and troubled about many things,
42 but one thing is needed. Mary has chosen the good part, which will not be taken away from her.”
-----
1 John 4:7-16
7 Beloved, let’s love one another, for love is of God; and everyone who loves has been born of God and knows God.
8 He who doesn’t love doesn’t know God, for God is love.
9 By this God’s love was revealed in us, that God has sent his only born Son into the world that we might live through him.
10 In this is love, not that we loved God, but that he loved us, and sent his Son as the atoning sacrifice for our sins.
11 Beloved, if God loved us in this way, we also ought to love one another.
12 No one has seen God at any time. If we love one another, God remains in us, and his love has been perfected in us.
13 By this we know that we remain in him and he in us, because he has given us of his Spirit.
14 We have seen and testify that the Father has sent the Son as the Savior of the world.
15 Whoever confesses that Jesus is the Son of God, God remains in him, and he in God.
16 We know and have believed the love which God has for us. God is love, and he who remains in love remains in God, and God remains in him.
-----
Ephesians 4:1-6
1 I therefore, the prisoner in the Lord, beg you to walk worthily of the calling with which you were called,
2 with all lowliness and humility, with patience, bearing with one another in love,
3 being eager to keep the unity of the Spirit in the bond of peace.
4 There is one body and one Spirit, even as you also were called in one hope of your calling,
5 one Lord, one faith, one baptism,
6 one God and Father of all, who is over all and through all and in us all.
-----
* The World English Bible
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◇ Daily Mass Reading Podcast For July 29, 2024
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Have a good day!
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Memorial of Saints Martha, Mary, and Lazarus
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Gospel : John 11:19-27
19 Many of the Jews had joined the women around Martha and Mary, to console them concerning their brother.
20 Then when Martha heard that Jesus was coming, she went and met him, but Mary stayed in the house.
21 Therefore Martha said to Jesus, “Lord, if you would have been here, my brother wouldn’t have died.
22 Even now I know that whatever you ask of God, God will give you.”
23 Jesus said to her, “Your brother will rise again.”
24 Martha said to him, “I know that he will rise again in the resurrection at the last day.”
25 Jesus said to her, “I am the resurrection and the life. He who believes in me will still live, even if he dies.
26 Whoever lives and believes in me will never die. Do you believe this?”
27 She said to him, “Yes, Lord. I have come to believe that you are the Christ, God’s Son, he who comes into the world.”
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OR
Luke 10:38-42
38 As they went on their way, he entered into a certain village, and a certain woman named Martha received him into her house.
39 She had a sister called Mary, who also sat at Jesus’ feet and heard his word.
40 But Martha was distracted with much serving, and she came up to him, and said, “Lord, don’t you care that my sister left me to serve alone? Ask her therefore to help me.”
41 Jesus answered her, “Martha, Martha, you are anxious and troubled about many things,
42 but one thing is needed. Mary has chosen the good part, which will not be taken away from her.”
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1 John 4:7-16
7 Beloved, let’s love one another, for love is of God; and everyone who loves has been born of God and knows God.
8 He who doesn’t love doesn’t know God, for God is love.
9 By this God’s love was revealed in us, that God has sent his only born Son into the world that we might live through him.
10 In this is love, not that we loved God, but that he loved us, and sent his Son as the atoning sacrifice for our sins.
11 Beloved, if God loved us in this way, we also ought to love one another.
12 No one has seen God at any time. If we love one another, God remains in us, and his love has been perfected in us.
13 By this we know that we remain in him and he in us, because he has given us of his Spirit.
14 We have seen and testify that the Father has sent the Son as the Savior of the world.
15 Whoever confesses that Jesus is the Son of God, God remains in him, and he in God.
16 We know and have believed the love which God has for us. God is love, and he who remains in love remains in God, and God remains in him.
-----
Ephesians 4:1-6
1 I therefore, the prisoner in the Lord, beg you to walk worthily of the calling with which you were called,
2 with all lowliness and humility, with patience, bearing with one another in love,
3 being eager to keep the unity of the Spirit in the bond of peace.
4 There is one body and one Spirit, even as you also were called in one hope of your calling,
5 one Lord, one faith, one baptism,
6 one God and Father of all, who is over all and through all and in us all.
-----
* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 29, 2024
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-july-29-2024
◇ Daily Readings July 29, 2024
http://www.usccb.org/bible/readings/072924.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
http://todaysbiblestory.seesaa.net/
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2024年07月28日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
年間第17主日
-----
<今日の聖書物語 *>
(ヨハネによる福音 6:1-15)
そののち、イエスはガリラヤの海、すなわち、テベリヤ湖の向こう岸へ渡られた。
すると、大ぜいの群衆がイエスについてきた。病人たちになさっていたしるしを見たからである。
イエスは山に登って、弟子たちと一緒にそこで座につかれた。
時に、ユダヤ人の祭である過越が間近になっていた。
イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」。
これはピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった。
すると、ピリポはイエスに答えた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」。
弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、
「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。
イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。
そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。
人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」。
そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。
人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。
イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知って、ただひとり、また山に退かれた。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 6:1-15)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc9_38_1.mp3
み言葉について
(ヨハネによる福音 6:1-15)
http://fukuinhint.blog.fc2.com/blog-entry-1056.html
<こうじ神父 今週の説教>
(ヨハネによる福音 6:1-15)
http://blog.goo.ne.jp/knkouji/
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
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年間第17主日
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<今日の聖書物語 *>
(ヨハネによる福音 6:1-15)
そののち、イエスはガリラヤの海、すなわち、テベリヤ湖の向こう岸へ渡られた。
すると、大ぜいの群衆がイエスについてきた。病人たちになさっていたしるしを見たからである。
イエスは山に登って、弟子たちと一緒にそこで座につかれた。
時に、ユダヤ人の祭である過越が間近になっていた。
イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」。
これはピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった。
すると、ピリポはイエスに答えた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」。
弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、
「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。
イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。
そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。
人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」。
そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。
人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。
イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知って、ただひとり、また山に退かれた。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 6:1-15)
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み言葉について
(ヨハネによる福音 6:1-15)
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<こうじ神父 今週の説教>
(ヨハネによる福音 6:1-15)
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†主の平安
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Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第17主日
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<今日の聖書物語 *>
(ヨハネによる福音 6:1-15)
6:1
そののち、イエスはガリラヤの海、すなわち、テベリヤ湖の向こう岸へ渡られた。
6:2
すると、大ぜいの群衆がイエスについてきた。病人たちになさっていたしるしを見たからである。
6:3
イエスは山に登って、弟子たちと一緒にそこで座につかれた。
6:4
時に、ユダヤ人の祭である過越が間近になっていた。
6:5
イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」。
6:6
これはピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった。
6:7
すると、ピリポはイエスに答えた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」。
6:8
弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、
6:9
「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。
6:10
イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。
6:11
そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。
6:12
人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」。
6:13
そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。
6:14
人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。
6:15
イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知って、ただひとり、また山に退かれた。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 6:1-15)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc9_38_1.mp3
み言葉について
(ヨハネによる福音 6:1-15)
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<こうじ神父 今週の説教>
(ヨハネによる福音 6:1-15)
http://blog.goo.ne.jp/knkouji/
-----
(列王紀下 4:42-44)
4:42
その時、バアル・シャリシャから人がきて、初穂のパンと、大麦のパン二十個と、新穀一袋とを神の人のもとに持ってきたので、エリシャは「人々に与えて食べさせなさい」と言ったが、
4:43
その召使は言った、「どうしてこれを百人の前に供えるのですか」。しかし彼は言った、「人々に与えて食べさせなさい。主はこう言われる、『彼らは食べてなお余すであろう』」。
4:44
そこで彼はそれを彼らの前に供えたので、彼らは食べてなお余した。主の言葉のとおりであった。
-----
(エペソ人への手紙 4:1-6)
4:1
さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、
4:2
できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、 4:3平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。
4:4
からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。
4:5
主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。
4:6
すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/
☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html
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年間第17主日
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<今日の聖書物語 *>
(ヨハネによる福音 6:1-15)
6:1
そののち、イエスはガリラヤの海、すなわち、テベリヤ湖の向こう岸へ渡られた。
6:2
すると、大ぜいの群衆がイエスについてきた。病人たちになさっていたしるしを見たからである。
6:3
イエスは山に登って、弟子たちと一緒にそこで座につかれた。
6:4
時に、ユダヤ人の祭である過越が間近になっていた。
6:5
イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」。
6:6
これはピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった。
6:7
すると、ピリポはイエスに答えた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」。
6:8
弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、
6:9
「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。
6:10
イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。
6:11
そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。
6:12
人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」。
6:13
そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。
6:14
人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。
6:15
イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知って、ただひとり、また山に退かれた。
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<今日の『み言葉』>
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み言葉について
(ヨハネによる福音 6:1-15)
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(列王紀下 4:42-44)
4:42
その時、バアル・シャリシャから人がきて、初穂のパンと、大麦のパン二十個と、新穀一袋とを神の人のもとに持ってきたので、エリシャは「人々に与えて食べさせなさい」と言ったが、
4:43
その召使は言った、「どうしてこれを百人の前に供えるのですか」。しかし彼は言った、「人々に与えて食べさせなさい。主はこう言われる、『彼らは食べてなお余すであろう』」。
4:44
そこで彼はそれを彼らの前に供えたので、彼らは食べてなお余した。主の言葉のとおりであった。
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(エペソ人への手紙 4:1-6)
4:1
さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、
4:2
できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、 4:3平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。
4:4
からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。
4:5
主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。
4:6
すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。
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†主の平安
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Today's Bible story *
July 28, 2024
Have a good day!
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Seventeenth Sunday in Ordinary Time
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Gospel : John 6:1-15
1 After these things, Jesus went away to the other side of the sea of Galilee, which is also called the Sea of Tiberias.
2 A great multitude followed him, because they saw his signs which he did on those who were sick.
3 Jesus went up into the mountain, and he sat there with his disciples.
4 Now the Passover, the feast of the Jews, was at hand.
5 Jesus therefore, lifting up his eyes and seeing that a great multitude was coming to him, said to Philip, “Where are we to buy bread, that these may eat?”
6 He said this to test him, for he himself knew what he would do.
7 Philip answered him, “Two hundred denarii worth of bread is not sufficient for them, that every one of them may receive a little.”
8 One of his disciples, Andrew, Simon Peter’s brother, said to him,
9 “There is a boy here who has five barley loaves and two fish, but what are these among so many?”
10 Jesus said, “Have the people sit down.” Now there was much grass in that place. So the men sat down, in number about five thousand.
11 Jesus took the loaves, and having given thanks, he distributed to the disciples, and the disciples to those who were sitting down, likewise also of the fish as much as they desired.
12 When they were filled, he said to his disciples, “Gather up the broken pieces which are left over, that nothing be lost.”
13 So they gathered them up, and filled twelve baskets with broken pieces from the five barley loaves, which were left over by those who had eaten.
14 When therefore the people saw the sign which Jesus did, they said, “This is truly the prophet who comes into the world.”
15 Jesus therefore, perceiving that they were about to come and take him by force to make him king, withdrew again to the mountain by himself.
-----
2 Kings 4:42-44
42 A man from Baal Shalishah came, and brought the man of God some bread of the first fruits: twenty loaves of barley and fresh ears of grain in his sack. Elisha said, “Give to the people, that they may eat.”
43 His servant said, “What, should I set this before a hundred men?”
But he said, “Give it to the people, that they may eat; for Yahweh says, ‘They will eat, and will have some left over.’ ”
44 So he set it before them and they ate and had some left over, according to Yahweh’s word.
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Ephesians 4:1-6
1 I therefore, the prisoner in the Lord, beg you to walk worthily of the calling with which you were called,
2 with all lowliness and humility, with patience, bearing with one another in love,
3 being eager to keep the unity of the Spirit in the bond of peace.
4 There is one body and one Spirit, even as you also were called in one hope of your calling,
5 one Lord, one faith, one baptism,
6 one God and Father of all, who is over all and through all and in us all.
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* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 28, 2024
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-july-28-2024
◇ Daily Readings July 28, 2024
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◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
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Have a good day!
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Seventeenth Sunday in Ordinary Time
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Gospel : John 6:1-15
1 After these things, Jesus went away to the other side of the sea of Galilee, which is also called the Sea of Tiberias.
2 A great multitude followed him, because they saw his signs which he did on those who were sick.
3 Jesus went up into the mountain, and he sat there with his disciples.
4 Now the Passover, the feast of the Jews, was at hand.
5 Jesus therefore, lifting up his eyes and seeing that a great multitude was coming to him, said to Philip, “Where are we to buy bread, that these may eat?”
6 He said this to test him, for he himself knew what he would do.
7 Philip answered him, “Two hundred denarii worth of bread is not sufficient for them, that every one of them may receive a little.”
8 One of his disciples, Andrew, Simon Peter’s brother, said to him,
9 “There is a boy here who has five barley loaves and two fish, but what are these among so many?”
10 Jesus said, “Have the people sit down.” Now there was much grass in that place. So the men sat down, in number about five thousand.
11 Jesus took the loaves, and having given thanks, he distributed to the disciples, and the disciples to those who were sitting down, likewise also of the fish as much as they desired.
12 When they were filled, he said to his disciples, “Gather up the broken pieces which are left over, that nothing be lost.”
13 So they gathered them up, and filled twelve baskets with broken pieces from the five barley loaves, which were left over by those who had eaten.
14 When therefore the people saw the sign which Jesus did, they said, “This is truly the prophet who comes into the world.”
15 Jesus therefore, perceiving that they were about to come and take him by force to make him king, withdrew again to the mountain by himself.
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2 Kings 4:42-44
42 A man from Baal Shalishah came, and brought the man of God some bread of the first fruits: twenty loaves of barley and fresh ears of grain in his sack. Elisha said, “Give to the people, that they may eat.”
43 His servant said, “What, should I set this before a hundred men?”
But he said, “Give it to the people, that they may eat; for Yahweh says, ‘They will eat, and will have some left over.’ ”
44 So he set it before them and they ate and had some left over, according to Yahweh’s word.
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Ephesians 4:1-6
1 I therefore, the prisoner in the Lord, beg you to walk worthily of the calling with which you were called,
2 with all lowliness and humility, with patience, bearing with one another in love,
3 being eager to keep the unity of the Spirit in the bond of peace.
4 There is one body and one Spirit, even as you also were called in one hope of your calling,
5 one Lord, one faith, one baptism,
6 one God and Father of all, who is over all and through all and in us all.
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* The World English Bible
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2024年07月27日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
年間第16土曜日
(聖母の土曜日)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:24-30)
また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 13:24-30)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_201_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 13:24-30)
確認しましょう。
まず、天の国は死後の世界ではありません。
完成を見るには「世の終わり」を待たなければならないとしても、今、私たちが実感できるものとして天の国(=神の国)はあるはずです。
しかし、それは私たちが抱いている幻想とは裏腹に「悪い者が紛れ込んでいる」だけでなく、この状態が世の終わりまで続く…というのです。
これは、どういう事でしょうか。この例え話を読んだとき、自分は一体どちらに当たると考えましたか。
良い麦でしょうか。毒麦でしょうか。
あるいは、良い麦と信じているが、実際には悪い麦なのでは…と、自信を失っているのでしょうか。
「毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない」ということは、麦と毒麦は似ているということです。
見分けがつかないということです。ですから、私たちがすべきことは、しっかりと見分けがつくように「良い実を結ぶ」こと。
そして、自分には見分ける力が無いにも拘らず、他人を「毒麦」と決め付けたりしないことです。
eno
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_231.htm#201
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
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年間第16土曜日
(聖母の土曜日)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:24-30)
また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 13:24-30)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_201_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 13:24-30)
確認しましょう。
まず、天の国は死後の世界ではありません。
完成を見るには「世の終わり」を待たなければならないとしても、今、私たちが実感できるものとして天の国(=神の国)はあるはずです。
しかし、それは私たちが抱いている幻想とは裏腹に「悪い者が紛れ込んでいる」だけでなく、この状態が世の終わりまで続く…というのです。
これは、どういう事でしょうか。この例え話を読んだとき、自分は一体どちらに当たると考えましたか。
良い麦でしょうか。毒麦でしょうか。
あるいは、良い麦と信じているが、実際には悪い麦なのでは…と、自信を失っているのでしょうか。
「毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない」ということは、麦と毒麦は似ているということです。
見分けがつかないということです。ですから、私たちがすべきことは、しっかりと見分けがつくように「良い実を結ぶ」こと。
そして、自分には見分ける力が無いにも拘らず、他人を「毒麦」と決め付けたりしないことです。
eno
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_231.htm#201
より転載
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
-----
posted by marion at 11:32| 千葉 ☁| 本/雑誌
|

Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第16土曜日
(聖母の土曜日)
-----
<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:24-30)
13:24
また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
13:25
人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
13:26
芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
13:27
僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
13:28
主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
13:29
彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
13:30
収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 13:24-30)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_201_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 13:24-30)
確認しましょう。
まず、天の国は死後の世界ではありません。
完成を見るには「世の終わり」を待たなければならないとしても、今、私たちが実感できるものとして天の国(=神の国)はあるはずです。
しかし、それは私たちが抱いている幻想とは裏腹に「悪い者が紛れ込んでいる」だけでなく、この状態が世の終わりまで続く…というのです。
これは、どういう事でしょうか。この例え話を読んだとき、自分は一体どちらに当たると考えましたか。
良い麦でしょうか。毒麦でしょうか。
あるいは、良い麦と信じているが、実際には悪い麦なのでは…と、自信を失っているのでしょうか。
「毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない」ということは、麦と毒麦は似ているということです。
見分けがつかないということです。ですから、私たちがすべきことは、しっかりと見分けがつくように「良い実を結ぶ」こと。
そして、自分には見分ける力が無いにも拘らず、他人を「毒麦」と決め付けたりしないことです。
eno
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_231.htm#201
より転載
-----
(エレミヤ書 7:1-11)
7:1
主からエレミヤに臨んだ言葉はこうである。
7:2
「主の家の門に立ち、その所で、この言葉をのべて言え、主を拝むために、この門をはいるユダのすべての人よ、主の言葉を聞け。
7:3
万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、あなたがたの道とあなたがたの行いを改めるならば、わたしはあなたがたをこの所に住まわせる。
7:4
あなたがたは、『これは主の神殿だ、主の神殿だ、主の神殿だ』という偽りの言葉を頼みとしてはならない。
7:5
もしあなたがたが、まことに、その道と行いを改めて、互に公正を行い、
7:6
寄留の他国人と、みなしごと、やもめをしえたげることなく、罪のない人の血をこの所に流すことなく、また、ほかの神々に従って自ら害をまねくことをしないならば、
7:7
わたしはあなたがたを、わたしが昔あなたがたの先祖に与えたこの地に永遠に住まわせる。
7:8
見よ、あなたがたは偽りの言葉を頼みとしているが、それはむだである。
7:9
あなたがたは盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、あなたがたが以前には知らなかった他の神々に従いながら、
7:10
わたしの名をもって、となえられるこの家に来てわたしの前に立ち、『われわれは救われた』と言い、しかもすべてこれら憎むべきことを行うのは、どうしたことか。
7:11
わたしの名をもって、となえられるこの家が、あなたがたの目には盗賊の巣と見えるのか。わたし自身、そう見たと主は言われる
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/
☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html
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年間第16土曜日
(聖母の土曜日)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:24-30)
13:24
また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
13:25
人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
13:26
芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
13:27
僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
13:28
主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
13:29
彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
13:30
収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 13:24-30)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_201_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 13:24-30)
確認しましょう。
まず、天の国は死後の世界ではありません。
完成を見るには「世の終わり」を待たなければならないとしても、今、私たちが実感できるものとして天の国(=神の国)はあるはずです。
しかし、それは私たちが抱いている幻想とは裏腹に「悪い者が紛れ込んでいる」だけでなく、この状態が世の終わりまで続く…というのです。
これは、どういう事でしょうか。この例え話を読んだとき、自分は一体どちらに当たると考えましたか。
良い麦でしょうか。毒麦でしょうか。
あるいは、良い麦と信じているが、実際には悪い麦なのでは…と、自信を失っているのでしょうか。
「毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない」ということは、麦と毒麦は似ているということです。
見分けがつかないということです。ですから、私たちがすべきことは、しっかりと見分けがつくように「良い実を結ぶ」こと。
そして、自分には見分ける力が無いにも拘らず、他人を「毒麦」と決め付けたりしないことです。
eno
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(エレミヤ書 7:1-11)
7:1
主からエレミヤに臨んだ言葉はこうである。
7:2
「主の家の門に立ち、その所で、この言葉をのべて言え、主を拝むために、この門をはいるユダのすべての人よ、主の言葉を聞け。
7:3
万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、あなたがたの道とあなたがたの行いを改めるならば、わたしはあなたがたをこの所に住まわせる。
7:4
あなたがたは、『これは主の神殿だ、主の神殿だ、主の神殿だ』という偽りの言葉を頼みとしてはならない。
7:5
もしあなたがたが、まことに、その道と行いを改めて、互に公正を行い、
7:6
寄留の他国人と、みなしごと、やもめをしえたげることなく、罪のない人の血をこの所に流すことなく、また、ほかの神々に従って自ら害をまねくことをしないならば、
7:7
わたしはあなたがたを、わたしが昔あなたがたの先祖に与えたこの地に永遠に住まわせる。
7:8
見よ、あなたがたは偽りの言葉を頼みとしているが、それはむだである。
7:9
あなたがたは盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、あなたがたが以前には知らなかった他の神々に従いながら、
7:10
わたしの名をもって、となえられるこの家に来てわたしの前に立ち、『われわれは救われた』と言い、しかもすべてこれら憎むべきことを行うのは、どうしたことか。
7:11
わたしの名をもって、となえられるこの家が、あなたがたの目には盗賊の巣と見えるのか。わたし自身、そう見たと主は言われる
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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* 口語訳聖書
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Today's Bible story *
July 27, 2024
Have a good day!
-----
Saturday of the Sixteenth Week in Ordinary Time
-----
Gospel : Matthew 13:24-30
24 He set another parable before them, saying, “The Kingdom of Heaven is like a man who sowed good seed in his field,
25 but while people slept, his enemy came and sowed darnel weeds also among the wheat, and went away.
26 But when the blade sprang up and produced grain, then the darnel weeds appeared also.
27 The servants of the householder came and said to him, ‘Sir, didn’t you sow good seed in your field? Where did these darnel weeds come from?’
28 “He said to them, ‘An enemy has done this.’
“The servants asked him, ‘Do you want us to go and gather them up?’
29 “But he said, ‘No, lest perhaps while you gather up the darnel weeds, you root up the wheat with them.
30 Let both grow together until the harvest, and in the harvest time I will tell the reapers, “First, gather up the darnel weeds, and bind them in bundles to burn them; but gather the wheat into my barn.” ’ ”
-----
Jeremiah 7:1-11
1 The word that came to Jeremiah from Yahweh, saying,
2 “Stand in the gate of Yahweh’s house, and proclaim this word there, and say, ‘Hear Yahweh’s word, all you of Judah, who enter in at these gates to worship Yahweh.’ ”
3 Yahweh of Armies, the God of Israel says, “Amend your ways and your doings, and I will cause you to dwell in this place.
4 Don’t trust in lying words, saying, ‘Yahweh’s temple, Yahweh’s temple, Yahweh’s temple, are these.’
5 For if you thoroughly amend your ways and your doings, if you thoroughly execute justice between a man and his neighbor;
6 if you don’t oppress the foreigner, the fatherless, and the widow, and don’t shed innocent blood in this place, and don’t walk after other gods to your own hurt,
7 then I will cause you to dwell in this place, in the land that I gave to your fathers, from of old even forever more.
8 Behold, you trust in lying words that can’t profit.
9 Will you steal, murder, commit adultery, swear falsely, burn incense to Baal, and walk after other gods that you have not known,
10 then come and stand before me in this house, which is called by my name, and say, ‘We are delivered,’ that you may do all these abominations?
11 Has this house, which is called by my name, become a den of robbers in your eyes? Behold, I myself have seen it,” says Yahweh.
-----
* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 27, 2024
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-july-27-2024
◇ Daily Readings July 27, 2024
http://www.usccb.org/bible/readings/072724.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
http://todaysbiblestory.seesaa.net/
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Have a good day!
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Saturday of the Sixteenth Week in Ordinary Time
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Gospel : Matthew 13:24-30
24 He set another parable before them, saying, “The Kingdom of Heaven is like a man who sowed good seed in his field,
25 but while people slept, his enemy came and sowed darnel weeds also among the wheat, and went away.
26 But when the blade sprang up and produced grain, then the darnel weeds appeared also.
27 The servants of the householder came and said to him, ‘Sir, didn’t you sow good seed in your field? Where did these darnel weeds come from?’
28 “He said to them, ‘An enemy has done this.’
“The servants asked him, ‘Do you want us to go and gather them up?’
29 “But he said, ‘No, lest perhaps while you gather up the darnel weeds, you root up the wheat with them.
30 Let both grow together until the harvest, and in the harvest time I will tell the reapers, “First, gather up the darnel weeds, and bind them in bundles to burn them; but gather the wheat into my barn.” ’ ”
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Jeremiah 7:1-11
1 The word that came to Jeremiah from Yahweh, saying,
2 “Stand in the gate of Yahweh’s house, and proclaim this word there, and say, ‘Hear Yahweh’s word, all you of Judah, who enter in at these gates to worship Yahweh.’ ”
3 Yahweh of Armies, the God of Israel says, “Amend your ways and your doings, and I will cause you to dwell in this place.
4 Don’t trust in lying words, saying, ‘Yahweh’s temple, Yahweh’s temple, Yahweh’s temple, are these.’
5 For if you thoroughly amend your ways and your doings, if you thoroughly execute justice between a man and his neighbor;
6 if you don’t oppress the foreigner, the fatherless, and the widow, and don’t shed innocent blood in this place, and don’t walk after other gods to your own hurt,
7 then I will cause you to dwell in this place, in the land that I gave to your fathers, from of old even forever more.
8 Behold, you trust in lying words that can’t profit.
9 Will you steal, murder, commit adultery, swear falsely, burn incense to Baal, and walk after other gods that you have not known,
10 then come and stand before me in this house, which is called by my name, and say, ‘We are delivered,’ that you may do all these abominations?
11 Has this house, which is called by my name, become a den of robbers in your eyes? Behold, I myself have seen it,” says Yahweh.
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* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 27, 2024
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◇ Daily Readings July 27, 2024
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2024年07月26日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
年間第16金曜日
聖マリアの両親 聖ヨアキムと聖アンナ(記)
-----
<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:18-23)
そこで、種まきの譬を聞きなさい。
だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。
石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。
その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。
13:23
また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 13:18-23)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_200_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 13:18-23)
きょうの福音は種まきの喩えの解釈に当る部分である。
主イエスは人々に多くの喩えを語られたが、その解釈をされたのは、この種まきの喩えと毒麦の喩えだけである。
ある聖書学者は、これはイエスのものではなく、おそらく非常に古い初期の教会の解釈がここにある、いうなれば初期の教会の事情があると考えている。
それはともあれ、この喩えの真意は聞くことの重要性であろう。三通りの聞き方があげられている。み言葉を心の中に受け入れても育たないことがあるのだ。
「道端」、「石地」、「茨の中」に蒔かれた種である。一時的な情熱、この世のものへのわずらい、迫害の恐れ、などが、一度は喜んで受けいれたみ言葉を枯渇させてしまうのである。
戦後数年、わが国でもキリスト教に帰依する者は多かった。日本はキリスト教国になるとまで思われたほどであった。
しかし経済的に奇跡の復興を遂げていく間に、その熱狂はいつしか消えて、かわりに今の無関心が残った。
それでも70代、80代の世代に洗礼を受けた人々は多いはずだ。主イエスは、この人々が帰ってくる日を待っておられる。
そのために私たちに何ができるだろうか。小教区の司牧の目を、ここにもしっかり向けていきたい。
村上康助 sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_230.htm#200
より転載
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
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年間第16金曜日
聖マリアの両親 聖ヨアキムと聖アンナ(記)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:18-23)
そこで、種まきの譬を聞きなさい。
だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。
石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。
その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。
13:23
また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 13:18-23)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_200_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 13:18-23)
きょうの福音は種まきの喩えの解釈に当る部分である。
主イエスは人々に多くの喩えを語られたが、その解釈をされたのは、この種まきの喩えと毒麦の喩えだけである。
ある聖書学者は、これはイエスのものではなく、おそらく非常に古い初期の教会の解釈がここにある、いうなれば初期の教会の事情があると考えている。
それはともあれ、この喩えの真意は聞くことの重要性であろう。三通りの聞き方があげられている。み言葉を心の中に受け入れても育たないことがあるのだ。
「道端」、「石地」、「茨の中」に蒔かれた種である。一時的な情熱、この世のものへのわずらい、迫害の恐れ、などが、一度は喜んで受けいれたみ言葉を枯渇させてしまうのである。
戦後数年、わが国でもキリスト教に帰依する者は多かった。日本はキリスト教国になるとまで思われたほどであった。
しかし経済的に奇跡の復興を遂げていく間に、その熱狂はいつしか消えて、かわりに今の無関心が残った。
それでも70代、80代の世代に洗礼を受けた人々は多いはずだ。主イエスは、この人々が帰ってくる日を待っておられる。
そのために私たちに何ができるだろうか。小教区の司牧の目を、ここにもしっかり向けていきたい。
村上康助 sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_230.htm#200
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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posted by marion at 11:32| 千葉 ☁| 本/雑誌
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Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第16金曜日
聖マリアの両親 聖ヨアキムと聖アンナ(記)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:18-23)
13:18
そこで、種まきの譬を聞きなさい。
13:19
だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。
13:20
石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。
13:21
その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
13:22
また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。
13:23
また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 13:18-23)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_200_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 13:18-23)
きょうの福音は種まきの喩えの解釈に当る部分である。
主イエスは人々に多くの喩えを語られたが、その解釈をされたのは、この種まきの喩えと毒麦の喩えだけである。
ある聖書学者は、これはイエスのものではなく、おそらく非常に古い初期の教会の解釈がここにある、いうなれば初期の教会の事情があると考えている。
それはともあれ、この喩えの真意は聞くことの重要性であろう。三通りの聞き方があげられている。み言葉を心の中に受け入れても育たないことがあるのだ。
「道端」、「石地」、「茨の中」に蒔かれた種である。一時的な情熱、この世のものへのわずらい、迫害の恐れ、などが、一度は喜んで受けいれたみ言葉を枯渇させてしまうのである。
戦後数年、わが国でもキリスト教に帰依する者は多かった。日本はキリスト教国になるとまで思われたほどであった。
しかし経済的に奇跡の復興を遂げていく間に、その熱狂はいつしか消えて、かわりに今の無関心が残った。
それでも70代、80代の世代に洗礼を受けた人々は多いはずだ。主イエスは、この人々が帰ってくる日を待っておられる。
そのために私たちに何ができるだろうか。小教区の司牧の目を、ここにもしっかり向けていきたい。
村上康助 sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_230.htm#200
より転載
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(エレミヤ書 3:14-17)
3:14
主は言われる、背信の子らよ、帰れ。
わたしはあなたがたの夫だからである。
町からひとり、氏族からふたりを取って、
あなたがたをシオンへ連れて行こう。
3:15
わたしは自分の心にかなう牧者たちをあなたがたに与える。彼らは知識と悟りとをもってあなたがたを養う。
3:16
主は言われる、あなたがたが地に増して多くなるとき、その日には、人々はかさねて「主の契約の箱」と言わず、これを思い出さず、これを覚えず、これを尋ねず、これを作らない。
3:17
そのときエルサレムは主のみ位ととなえられ、万国の民はここに集まる。すなわち主の名のもとにエルサレムに集まり、かさねて、かたくなに自分の悪い心に従うことはしない。
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年間第16金曜日
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:18-23)
13:18
そこで、種まきの譬を聞きなさい。
13:19
だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。
13:20
石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。
13:21
その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
13:22
また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。
13:23
また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 13:18-23)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_200_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 13:18-23)
きょうの福音は種まきの喩えの解釈に当る部分である。
主イエスは人々に多くの喩えを語られたが、その解釈をされたのは、この種まきの喩えと毒麦の喩えだけである。
ある聖書学者は、これはイエスのものではなく、おそらく非常に古い初期の教会の解釈がここにある、いうなれば初期の教会の事情があると考えている。
それはともあれ、この喩えの真意は聞くことの重要性であろう。三通りの聞き方があげられている。み言葉を心の中に受け入れても育たないことがあるのだ。
「道端」、「石地」、「茨の中」に蒔かれた種である。一時的な情熱、この世のものへのわずらい、迫害の恐れ、などが、一度は喜んで受けいれたみ言葉を枯渇させてしまうのである。
戦後数年、わが国でもキリスト教に帰依する者は多かった。日本はキリスト教国になるとまで思われたほどであった。
しかし経済的に奇跡の復興を遂げていく間に、その熱狂はいつしか消えて、かわりに今の無関心が残った。
それでも70代、80代の世代に洗礼を受けた人々は多いはずだ。主イエスは、この人々が帰ってくる日を待っておられる。
そのために私たちに何ができるだろうか。小教区の司牧の目を、ここにもしっかり向けていきたい。
村上康助 sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_230.htm#200
より転載
-----
(エレミヤ書 3:14-17)
3:14
主は言われる、背信の子らよ、帰れ。
わたしはあなたがたの夫だからである。
町からひとり、氏族からふたりを取って、
あなたがたをシオンへ連れて行こう。
3:15
わたしは自分の心にかなう牧者たちをあなたがたに与える。彼らは知識と悟りとをもってあなたがたを養う。
3:16
主は言われる、あなたがたが地に増して多くなるとき、その日には、人々はかさねて「主の契約の箱」と言わず、これを思い出さず、これを覚えず、これを尋ねず、これを作らない。
3:17
そのときエルサレムは主のみ位ととなえられ、万国の民はここに集まる。すなわち主の名のもとにエルサレムに集まり、かさねて、かたくなに自分の悪い心に従うことはしない。
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†主の平安
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Today's Bible story *
July 26, 2024
Have a good day!
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Memorial of Saints Joachim and Anne, Parents of the Blessed Virgin Mary
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Gospel : Matthew 13:18-23
18 “Hear, then, the parable of the farmer.
19 When anyone hears the word of the Kingdom and doesn’t understand it, the evil one comes and snatches away that which has been sown in his heart. This is what was sown by the roadside.
20 What was sown on the rocky places, this is he who hears the word and immediately with joy receives it;
21 yet he has no root in himself, but endures for a while. When oppression or persecution arises because of the word, immediately he stumbles.
22 What was sown among the thorns, this is he who hears the word, but the cares of this age and the deceitfulness of riches choke the word, and he becomes unfruitful.
23 What was sown on the good ground, this is he who hears the word and understands it, who most certainly bears fruit and produces, some one hundred times as much, some sixty, and some thirty.”
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Jeremiah 3:14-17
14 “Return, backsliding children,” says Yahweh, “for I am a husband to you. I will take one of you from a city, and two from a family, and I will bring you to Zion.
15 I will give you shepherds according to my heart, who will feed you with knowledge and understanding.
16 It will come to pass, when you are multiplied and increased in the land in those days,” says Yahweh, “they will no longer say, ‘the ark of Yahweh’s covenant!’ It will not come to mind. They won’t remember it. They won’t miss it, nor will another be made.
17 At that time they will call Jerusalem ‘Yahweh’s Throne;’ and all the nations will be gathered to it, to Yahweh’s name, to Jerusalem. They will no longer walk after the stubbornness of their evil heart.
-----
* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 26, 2024
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-july-26-2024
◇ Daily Readings July 26, 2024
http://www.usccb.org/bible/readings/072624.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
http://todaysbiblestory.seesaa.net/
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Have a good day!
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Memorial of Saints Joachim and Anne, Parents of the Blessed Virgin Mary
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Gospel : Matthew 13:18-23
18 “Hear, then, the parable of the farmer.
19 When anyone hears the word of the Kingdom and doesn’t understand it, the evil one comes and snatches away that which has been sown in his heart. This is what was sown by the roadside.
20 What was sown on the rocky places, this is he who hears the word and immediately with joy receives it;
21 yet he has no root in himself, but endures for a while. When oppression or persecution arises because of the word, immediately he stumbles.
22 What was sown among the thorns, this is he who hears the word, but the cares of this age and the deceitfulness of riches choke the word, and he becomes unfruitful.
23 What was sown on the good ground, this is he who hears the word and understands it, who most certainly bears fruit and produces, some one hundred times as much, some sixty, and some thirty.”
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Jeremiah 3:14-17
14 “Return, backsliding children,” says Yahweh, “for I am a husband to you. I will take one of you from a city, and two from a family, and I will bring you to Zion.
15 I will give you shepherds according to my heart, who will feed you with knowledge and understanding.
16 It will come to pass, when you are multiplied and increased in the land in those days,” says Yahweh, “they will no longer say, ‘the ark of Yahweh’s covenant!’ It will not come to mind. They won’t remember it. They won’t miss it, nor will another be made.
17 At that time they will call Jerusalem ‘Yahweh’s Throne;’ and all the nations will be gathered to it, to Yahweh’s name, to Jerusalem. They will no longer walk after the stubbornness of their evil heart.
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* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 26, 2024
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-july-26-2024
◇ Daily Readings July 26, 2024
http://www.usccb.org/bible/readings/072624.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
http://todaysbiblestory.seesaa.net/
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2024年07月25日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
聖ヤコブ使徒(祝)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 20:20-28)
そのとき、ゼベダイの子らの母が、その子らと一緒にイエスのもとにきてひざまずき、何事かをお願いした。
そこでイエスは彼女に言われた、「何をしてほしいのか」。彼女は言った、「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」。
イエスは答えて言われた、「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」。彼らは「できます」と答えた。
イエスは彼らに言われた、「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになろう。しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、わたしの父によって備えられている人々だけに許されることである」。
十人の者はこれを聞いて、このふたりの兄弟たちのことで憤慨した。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。
あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、
あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。
それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マタイによる福音 20:20-28)
数年前、サンチャゴ巡礼の機会に恵まれ、スペインのコンポステッラの大聖堂を訪れた。そこには、今日記念する聖ヤコボ使徒の遺体が収められているという。祭壇前には大きな香炉が吊るされ、ミサの終わりには、八人かがりで引かれるその香炉は、あたかも振子時計の振り子のように、祭壇前から左右に天井高く舞い上がる。香を入れて後、祭壇のすぐ傍から眺めたその様は実に壮観であった。
ところで、聖ヤコボはどんな人物だったのだろうか。
今日の福音では、イエスと弟子達とのある問答に対して、イエスは、「・・・わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた・・・」と言われている。短いフレーズだが、イエスをよく表していると思う。自己本位ではなく、いつも父に結ばれ、父の御旨を遂行するイエスの姿が。さらに、イエスは「・・・異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなた方の間では、そうであってはならない。・・・人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、・・・同じように。」と力説されている。
聖ヤコボという使徒は、このイエスの姿にあやかって、宣教の場においては、神と他者のためにとことん生きた人物ではなかろうか。殉教、それはこの世の思いを捨て、しかしという方向転換をしてイエス・キリストに徹底的にしたがった生き方を生き抜いて行く時に生まれて来るのではなかろうか。
わたしたちも聖ヤコボ使徒の取り次ぎを願い、神の御旨に適った生き方が出来るようにしたい。
濱口秀昭
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C7_30.htm#34
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
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聖ヤコブ使徒(祝)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 20:20-28)
そのとき、ゼベダイの子らの母が、その子らと一緒にイエスのもとにきてひざまずき、何事かをお願いした。
そこでイエスは彼女に言われた、「何をしてほしいのか」。彼女は言った、「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」。
イエスは答えて言われた、「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」。彼らは「できます」と答えた。
イエスは彼らに言われた、「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになろう。しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、わたしの父によって備えられている人々だけに許されることである」。
十人の者はこれを聞いて、このふたりの兄弟たちのことで憤慨した。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。
あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、
あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。
それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マタイによる福音 20:20-28)
数年前、サンチャゴ巡礼の機会に恵まれ、スペインのコンポステッラの大聖堂を訪れた。そこには、今日記念する聖ヤコボ使徒の遺体が収められているという。祭壇前には大きな香炉が吊るされ、ミサの終わりには、八人かがりで引かれるその香炉は、あたかも振子時計の振り子のように、祭壇前から左右に天井高く舞い上がる。香を入れて後、祭壇のすぐ傍から眺めたその様は実に壮観であった。
ところで、聖ヤコボはどんな人物だったのだろうか。
今日の福音では、イエスと弟子達とのある問答に対して、イエスは、「・・・わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた・・・」と言われている。短いフレーズだが、イエスをよく表していると思う。自己本位ではなく、いつも父に結ばれ、父の御旨を遂行するイエスの姿が。さらに、イエスは「・・・異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなた方の間では、そうであってはならない。・・・人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、・・・同じように。」と力説されている。
聖ヤコボという使徒は、このイエスの姿にあやかって、宣教の場においては、神と他者のためにとことん生きた人物ではなかろうか。殉教、それはこの世の思いを捨て、しかしという方向転換をしてイエス・キリストに徹底的にしたがった生き方を生き抜いて行く時に生まれて来るのではなかろうか。
わたしたちも聖ヤコボ使徒の取り次ぎを願い、神の御旨に適った生き方が出来るようにしたい。
濱口秀昭
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C7_30.htm#34
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
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Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
聖ヤコブ使徒(祝)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 20:20-28)
20:20
そのとき、ゼベダイの子らの母が、その子らと一緒にイエスのもとにきてひざまずき、何事かをお願いした。
20:21
そこでイエスは彼女に言われた、「何をしてほしいのか」。彼女は言った、「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」。
20:22
イエスは答えて言われた、「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」。彼らは「できます」と答えた。
20:23
イエスは彼らに言われた、「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになろう。しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、わたしの父によって備えられている人々だけに許されることである」。
20:24
十人の者はこれを聞いて、このふたりの兄弟たちのことで憤慨した。
20:25
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。
20:26
あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、
20:27
あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。
20:28
それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マタイによる福音 20:20-28)
数年前、サンチャゴ巡礼の機会に恵まれ、スペインのコンポステッラの大聖堂を訪れた。そこには、今日記念する聖ヤコボ使徒の遺体が収められているという。祭壇前には大きな香炉が吊るされ、ミサの終わりには、八人かがりで引かれるその香炉は、あたかも振子時計の振り子のように、祭壇前から左右に天井高く舞い上がる。香を入れて後、祭壇のすぐ傍から眺めたその様は実に壮観であった。
ところで、聖ヤコボはどんな人物だったのだろうか。
今日の福音では、イエスと弟子達とのある問答に対して、イエスは、「・・・わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた・・・」と言われている。短いフレーズだが、イエスをよく表していると思う。自己本位ではなく、いつも父に結ばれ、父の御旨を遂行するイエスの姿が。さらに、イエスは「・・・異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなた方の間では、そうであってはならない。・・・人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、・・・同じように。」と力説されている。
聖ヤコボという使徒は、このイエスの姿にあやかって、宣教の場においては、神と他者のためにとことん生きた人物ではなかろうか。殉教、それはこの世の思いを捨て、しかしという方向転換をしてイエス・キリストに徹底的にしたがった生き方を生き抜いて行く時に生まれて来るのではなかろうか。
わたしたちも聖ヤコボ使徒の取り次ぎを願い、神の御旨に適った生き方が出来るようにしたい。
濱口秀昭
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C7_30.htm#34
より転載
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(コリント人への第二の手紙 4:7-15)
4:7
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。
4:8
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。
4:9
迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。
4:10
いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。
4:11
わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。
4:12
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのである。
4:13
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じている。それゆえに語るのである。
4:14
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエスと共によみがえらせ、そして、あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからである。
4:15
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/
☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html
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聖ヤコブ使徒(祝)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 20:20-28)
20:20
そのとき、ゼベダイの子らの母が、その子らと一緒にイエスのもとにきてひざまずき、何事かをお願いした。
20:21
そこでイエスは彼女に言われた、「何をしてほしいのか」。彼女は言った、「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」。
20:22
イエスは答えて言われた、「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」。彼らは「できます」と答えた。
20:23
イエスは彼らに言われた、「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになろう。しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、わたしの父によって備えられている人々だけに許されることである」。
20:24
十人の者はこれを聞いて、このふたりの兄弟たちのことで憤慨した。
20:25
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。
20:26
あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、
20:27
あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。
20:28
それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マタイによる福音 20:20-28)
数年前、サンチャゴ巡礼の機会に恵まれ、スペインのコンポステッラの大聖堂を訪れた。そこには、今日記念する聖ヤコボ使徒の遺体が収められているという。祭壇前には大きな香炉が吊るされ、ミサの終わりには、八人かがりで引かれるその香炉は、あたかも振子時計の振り子のように、祭壇前から左右に天井高く舞い上がる。香を入れて後、祭壇のすぐ傍から眺めたその様は実に壮観であった。
ところで、聖ヤコボはどんな人物だったのだろうか。
今日の福音では、イエスと弟子達とのある問答に対して、イエスは、「・・・わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた・・・」と言われている。短いフレーズだが、イエスをよく表していると思う。自己本位ではなく、いつも父に結ばれ、父の御旨を遂行するイエスの姿が。さらに、イエスは「・・・異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなた方の間では、そうであってはならない。・・・人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、・・・同じように。」と力説されている。
聖ヤコボという使徒は、このイエスの姿にあやかって、宣教の場においては、神と他者のためにとことん生きた人物ではなかろうか。殉教、それはこの世の思いを捨て、しかしという方向転換をしてイエス・キリストに徹底的にしたがった生き方を生き抜いて行く時に生まれて来るのではなかろうか。
わたしたちも聖ヤコボ使徒の取り次ぎを願い、神の御旨に適った生き方が出来るようにしたい。
濱口秀昭
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C7_30.htm#34
より転載
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(コリント人への第二の手紙 4:7-15)
4:7
しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。
4:8
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。
4:9
迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。
4:10
いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。
4:11
わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。
4:12
こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのである。
4:13
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じている。それゆえに語るのである。
4:14
それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエスと共によみがえらせ、そして、あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからである。
4:15
すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/
☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html
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Today's Bible story *
July 25, 2024
Have a good day!
-----
Feast of Saint James, Apostle
-----
Gospel : Matthew 20:20-28
20 Then the mother of the sons of Zebedee came to him with her sons, kneeling and asking a certain thing of him.
21 He said to her, “What do you want?”
She said to him, “Command that these, my two sons, may sit, one on your right hand and one on your left hand, in your Kingdom.”
22 But Jesus answered, “You don’t know what you are asking. Are you able to drink the cup that I am about to drink, and be baptized with the baptism that I am baptized with?”
They said to him, “We are able.”
23 He said to them, “You will indeed drink my cup, and be baptized with the baptism that I am baptized with; but to sit on my right hand and on my left hand is not mine to give, but it is for whom it has been prepared by my Father.”
24 When the ten heard it, they were indignant with the two brothers.
25 But Jesus summoned them, and said, “You know that the rulers of the nations lord it over them, and their great ones exercise authority over them.
26 It shall not be so among you; but whoever desires to become great among you shall be your servant.
27 Whoever desires to be first among you shall be your bondservant,
28 even as the Son of Man came not to be served, but to serve, and to give his life as a ransom for many.”
-----
2 Corinthians 4:7-15
7 But we have this treasure in clay vessels, that the exceeding greatness of the power may be of God and not from ourselves.
8 We are pressed on every side, yet not crushed; perplexed, yet not to despair;
9 pursued, yet not forsaken; struck down, yet not destroyed;
10 always carrying in the body the putting to death of the Lord Jesus, that the life of Jesus may also be revealed in our body.
11 For we who live are always delivered to death for Jesus’ sake, that the life also of Jesus may be revealed in our mortal flesh.
12 So then death works in us, but life in you.
13 But having the same spirit of faith, according to that which is written, “I believed, and therefore I spoke.” We also believe, and therefore we also speak,
14 knowing that he who raised the Lord Jesus will raise us also with Jesus, and will present us with you.
15 For all things are for your sakes, that the grace, being multiplied through the many, may cause the thanksgiving to abound to the glory of God.
-----
* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 25, 2024
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-july-25-2024
◇ Daily Readings July 25, 2024
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◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
http://todaysbiblestory.seesaa.net/
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Have a good day!
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Feast of Saint James, Apostle
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Gospel : Matthew 20:20-28
20 Then the mother of the sons of Zebedee came to him with her sons, kneeling and asking a certain thing of him.
21 He said to her, “What do you want?”
She said to him, “Command that these, my two sons, may sit, one on your right hand and one on your left hand, in your Kingdom.”
22 But Jesus answered, “You don’t know what you are asking. Are you able to drink the cup that I am about to drink, and be baptized with the baptism that I am baptized with?”
They said to him, “We are able.”
23 He said to them, “You will indeed drink my cup, and be baptized with the baptism that I am baptized with; but to sit on my right hand and on my left hand is not mine to give, but it is for whom it has been prepared by my Father.”
24 When the ten heard it, they were indignant with the two brothers.
25 But Jesus summoned them, and said, “You know that the rulers of the nations lord it over them, and their great ones exercise authority over them.
26 It shall not be so among you; but whoever desires to become great among you shall be your servant.
27 Whoever desires to be first among you shall be your bondservant,
28 even as the Son of Man came not to be served, but to serve, and to give his life as a ransom for many.”
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2 Corinthians 4:7-15
7 But we have this treasure in clay vessels, that the exceeding greatness of the power may be of God and not from ourselves.
8 We are pressed on every side, yet not crushed; perplexed, yet not to despair;
9 pursued, yet not forsaken; struck down, yet not destroyed;
10 always carrying in the body the putting to death of the Lord Jesus, that the life of Jesus may also be revealed in our body.
11 For we who live are always delivered to death for Jesus’ sake, that the life also of Jesus may be revealed in our mortal flesh.
12 So then death works in us, but life in you.
13 But having the same spirit of faith, according to that which is written, “I believed, and therefore I spoke.” We also believe, and therefore we also speak,
14 knowing that he who raised the Lord Jesus will raise us also with Jesus, and will present us with you.
15 For all things are for your sakes, that the grace, being multiplied through the many, may cause the thanksgiving to abound to the glory of God.
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* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 25, 2024
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-july-25-2024
◇ Daily Readings July 25, 2024
http://www.usccb.org/bible/readings/072524.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
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http://todaysbiblestory.seesaa.net/
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posted by marion at 00:17| 千葉 ☁| 本/雑誌
|

2024年07月24日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
年間第16水曜日
(聖シャーベル・マクルーフ司祭 )
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:1-9)
その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。
ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。
イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
耳のある者は聞くがよい」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 13:1-9)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_198_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 13:1-9)
「種を蒔く人」の喩えは、いつ読んでも、何回読んでも、よく考えさせられる喩え話ですね。
せっかく蒔かれる種ではありますが、道端や石地や、茨の中に落ちたりして、結局よい土の上に落ちることができるものは少なく、百倍にもなるものも少ない・・・。
だとすると、多くの実が結ばれるようにするためには、どうしたらいいのでしょうか。
種を蒔く人は、どこに種を蒔くかにもっと気をつけるべきだ、とも言えますが、たぶん第一の秘訣は、もっと多くの種を蒔く、というところにあるのではないかと思います。
毎日の生活の中で私たちが行う、励みの言葉、正直な微笑み、人のための苦労、模範になる勤勉さ、円満な人間関係など、それらの態度そのものが、私たちの蒔いている種です。その種はどこに落ちているのかよくわかりませんが、その種の量が多ければ多いほど、それだけ百倍になるものが増えることはまちがいない・・・・それは疑いもなく、確実なことだと、そう思います。
Achille Loro Piana
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_228.htm#198
より転載
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
-----
年間第16水曜日
(聖シャーベル・マクルーフ司祭 )
-----
<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:1-9)
その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。
ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。
イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
耳のある者は聞くがよい」。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 13:1-9)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_198_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 13:1-9)
「種を蒔く人」の喩えは、いつ読んでも、何回読んでも、よく考えさせられる喩え話ですね。
せっかく蒔かれる種ではありますが、道端や石地や、茨の中に落ちたりして、結局よい土の上に落ちることができるものは少なく、百倍にもなるものも少ない・・・。
だとすると、多くの実が結ばれるようにするためには、どうしたらいいのでしょうか。
種を蒔く人は、どこに種を蒔くかにもっと気をつけるべきだ、とも言えますが、たぶん第一の秘訣は、もっと多くの種を蒔く、というところにあるのではないかと思います。
毎日の生活の中で私たちが行う、励みの言葉、正直な微笑み、人のための苦労、模範になる勤勉さ、円満な人間関係など、それらの態度そのものが、私たちの蒔いている種です。その種はどこに落ちているのかよくわかりませんが、その種の量が多ければ多いほど、それだけ百倍になるものが増えることはまちがいない・・・・それは疑いもなく、確実なことだと、そう思います。
Achille Loro Piana
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_228.htm#198
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
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|

Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第16水曜日
(聖シャーベル・マクルーフ司祭 )
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:1-9)
13:1
その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。
13:2
ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。
13:3
イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
13:4
まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
13:5
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
13:6
日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
13:7
ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
13:8
ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
13:9
耳のある者は聞くがよい」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 13:1-9)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_198_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 13:1-9)
「種を蒔く人」の喩えは、いつ読んでも、何回読んでも、よく考えさせられる喩え話ですね。
せっかく蒔かれる種ではありますが、道端や石地や、茨の中に落ちたりして、結局よい土の上に落ちることができるものは少なく、百倍にもなるものも少ない・・・。
だとすると、多くの実が結ばれるようにするためには、どうしたらいいのでしょうか。
種を蒔く人は、どこに種を蒔くかにもっと気をつけるべきだ、とも言えますが、たぶん第一の秘訣は、もっと多くの種を蒔く、というところにあるのではないかと思います。
毎日の生活の中で私たちが行う、励みの言葉、正直な微笑み、人のための苦労、模範になる勤勉さ、円満な人間関係など、それらの態度そのものが、私たちの蒔いている種です。その種はどこに落ちているのかよくわかりませんが、その種の量が多ければ多いほど、それだけ百倍になるものが増えることはまちがいない・・・・それは疑いもなく、確実なことだと、そう思います。
Achille Loro Piana
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_228.htm#198
より転載
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(エレミヤ書 1:1, 4-10)
1:1
ベニヤミンの地アナトテの祭司のひとりである、ヒルキヤの子エレミヤの言葉。
1:4
主の言葉がわたしに臨んで言う、
1:5
「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、
あなたを知り、
あなたがまだ生れないさきに、
あなたを聖別し、
あなたを立てて万国の預言者とした」。
1:6
その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。
1:7
しかし主はわたしに言われた、
「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。
だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、
あなたに命じることをみな語らなければならない。
1:8
彼らを恐れてはならない、
わたしがあなたと共にいて、
あなたを救うからである」と主は仰せられる。
1:9
そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、主はわたしに言われた、
「見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。
1:10
見よ、わたしはきょう、
あなたを万民の上と、万国の上に立て、
あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、
あるいは滅ぼし、あるいは倒し、
あるいは建て、あるいは植えさせる」。
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/
☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html
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年間第16水曜日
(聖シャーベル・マクルーフ司祭 )
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 13:1-9)
13:1
その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。
13:2
ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。
13:3
イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
13:4
まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
13:5
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
13:6
日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
13:7
ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
13:8
ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
13:9
耳のある者は聞くがよい」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 13:1-9)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_198_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 13:1-9)
「種を蒔く人」の喩えは、いつ読んでも、何回読んでも、よく考えさせられる喩え話ですね。
せっかく蒔かれる種ではありますが、道端や石地や、茨の中に落ちたりして、結局よい土の上に落ちることができるものは少なく、百倍にもなるものも少ない・・・。
だとすると、多くの実が結ばれるようにするためには、どうしたらいいのでしょうか。
種を蒔く人は、どこに種を蒔くかにもっと気をつけるべきだ、とも言えますが、たぶん第一の秘訣は、もっと多くの種を蒔く、というところにあるのではないかと思います。
毎日の生活の中で私たちが行う、励みの言葉、正直な微笑み、人のための苦労、模範になる勤勉さ、円満な人間関係など、それらの態度そのものが、私たちの蒔いている種です。その種はどこに落ちているのかよくわかりませんが、その種の量が多ければ多いほど、それだけ百倍になるものが増えることはまちがいない・・・・それは疑いもなく、確実なことだと、そう思います。
Achille Loro Piana
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より転載
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(エレミヤ書 1:1, 4-10)
1:1
ベニヤミンの地アナトテの祭司のひとりである、ヒルキヤの子エレミヤの言葉。
1:4
主の言葉がわたしに臨んで言う、
1:5
「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、
あなたを知り、
あなたがまだ生れないさきに、
あなたを聖別し、
あなたを立てて万国の預言者とした」。
1:6
その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。
1:7
しかし主はわたしに言われた、
「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。
だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、
あなたに命じることをみな語らなければならない。
1:8
彼らを恐れてはならない、
わたしがあなたと共にいて、
あなたを救うからである」と主は仰せられる。
1:9
そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、主はわたしに言われた、
「見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。
1:10
見よ、わたしはきょう、
あなたを万民の上と、万国の上に立て、
あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、
あるいは滅ぼし、あるいは倒し、
あるいは建て、あるいは植えさせる」。
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†主の平安
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* 口語訳聖書
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posted by marion at 00:32| 千葉 ☁| 本/雑誌
|

Today's Bible story *
July 24, 2024
Have a good day!
-----
Wednesday of the Sixteenth Week in Ordinary Time
-----
Gospel : Matthew 13:1-9
1 On that day Jesus went out of the house and sat by the seaside.
2 Great multitudes gathered to him, so that he entered into a boat and sat; and all the multitude stood on the beach.
3 He spoke to them many things in parables, saying, “Behold, a farmer went out to sow.
4 As he sowed, some seeds fell by the roadside, and the birds came and devoured them.
5 Others fell on rocky ground, where they didn’t have much soil, and immediately they sprang up, because they had no depth of earth.
6 When the sun had risen, they were scorched. Because they had no root, they withered away.
7 Others fell among thorns. The thorns grew up and choked them.
8 Others fell on good soil and yielded fruit: some one hundred times as much, some sixty, and some thirty.
9 He who has ears to hear, let him hear.”
-----
Jeremiah 1:1, 4-10
1 The words of Jeremiah the son of Hilkiah, one of the priests who were in Anathoth in the land of Benjamin.
4 Now Yahweh’s word came to me, saying,
5 “Before I formed you in the womb, I knew you.
Before you were born, I sanctified you.
I have appointed you a prophet to the nations.”
6 Then I said, “Ah, Lord Yahweh! Behold, I don’t know how to speak; for I am a child.”
7 But Yahweh said to me, “Don’t say, ‘I am a child;’ for you must go to whomever I send you, and you must say whatever I command you.
8 Don’t be afraid because of them, for I am with you to rescue you,” says Yahweh.
9 Then Yahweh stretched out his hand and touched my mouth. Then Yahweh said to me, “Behold, I have put my words in your mouth.
10 Behold, I have today set you over the nations and over the kingdoms, to uproot and to tear down, to destroy and to overthrow, to build and to plant.”
-----
* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 24, 2024
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-july-24-2024
◇ Daily Readings July 24, 2024
http://www.usccb.org/bible/readings/072424.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
http://todaysbiblestory.seesaa.net/
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Have a good day!
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Wednesday of the Sixteenth Week in Ordinary Time
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Gospel : Matthew 13:1-9
1 On that day Jesus went out of the house and sat by the seaside.
2 Great multitudes gathered to him, so that he entered into a boat and sat; and all the multitude stood on the beach.
3 He spoke to them many things in parables, saying, “Behold, a farmer went out to sow.
4 As he sowed, some seeds fell by the roadside, and the birds came and devoured them.
5 Others fell on rocky ground, where they didn’t have much soil, and immediately they sprang up, because they had no depth of earth.
6 When the sun had risen, they were scorched. Because they had no root, they withered away.
7 Others fell among thorns. The thorns grew up and choked them.
8 Others fell on good soil and yielded fruit: some one hundred times as much, some sixty, and some thirty.
9 He who has ears to hear, let him hear.”
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Jeremiah 1:1, 4-10
1 The words of Jeremiah the son of Hilkiah, one of the priests who were in Anathoth in the land of Benjamin.
4 Now Yahweh’s word came to me, saying,
5 “Before I formed you in the womb, I knew you.
Before you were born, I sanctified you.
I have appointed you a prophet to the nations.”
6 Then I said, “Ah, Lord Yahweh! Behold, I don’t know how to speak; for I am a child.”
7 But Yahweh said to me, “Don’t say, ‘I am a child;’ for you must go to whomever I send you, and you must say whatever I command you.
8 Don’t be afraid because of them, for I am with you to rescue you,” says Yahweh.
9 Then Yahweh stretched out his hand and touched my mouth. Then Yahweh said to me, “Behold, I have put my words in your mouth.
10 Behold, I have today set you over the nations and over the kingdoms, to uproot and to tear down, to destroy and to overthrow, to build and to plant.”
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* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 24, 2024
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-july-24-2024
◇ Daily Readings July 24, 2024
http://www.usccb.org/bible/readings/072424.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
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|

2024年07月23日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
年間第16火曜日
(聖ビルジッタ修道女)
-----
<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 12:46-50)
イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた。
それで、ある人がイエスに言った、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。
イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」。
そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 12:46-50)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_197_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 12:46-50)
「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母なのである」
父なる神様の御心を行う人とはどういう人でしょうか?
何か立派な善行を積んだ人のことでしょうか?
品行方正で、性格のよい人のことでしょうか?
恐らくそうではありません。
イエスさまの弟子たちは、決して立派な人たちでもありませんでしたし、有名人でもありませんでした。
教養のある人も少なかった。
ただイエスさまの後に付いてきているだけです。
それ以外にありません。
イエスさまの後に従って、そして今このようにイエスさまの周りに座って、イエスさまの話に耳を傾けている。
ただそれだけです。
そしてそれが天の父なる神様の御心なのです。
ですから、私たちがイエスさまのあとに付き従い、みことばに耳を傾けているならば、私たちもイエスさまの弟子なのであり、それゆえイエスさまから、「わたしの母、わたしの兄弟」と呼ばれるのです。
わたしの家族、と言われるのです。
北川純二
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_227.htm#197
より転載
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
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年間第16火曜日
(聖ビルジッタ修道女)
-----
<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 12:46-50)
イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた。
それで、ある人がイエスに言った、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。
イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」。
そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 12:46-50)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_197_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 12:46-50)
「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母なのである」
父なる神様の御心を行う人とはどういう人でしょうか?
何か立派な善行を積んだ人のことでしょうか?
品行方正で、性格のよい人のことでしょうか?
恐らくそうではありません。
イエスさまの弟子たちは、決して立派な人たちでもありませんでしたし、有名人でもありませんでした。
教養のある人も少なかった。
ただイエスさまの後に付いてきているだけです。
それ以外にありません。
イエスさまの後に従って、そして今このようにイエスさまの周りに座って、イエスさまの話に耳を傾けている。
ただそれだけです。
そしてそれが天の父なる神様の御心なのです。
ですから、私たちがイエスさまのあとに付き従い、みことばに耳を傾けているならば、私たちもイエスさまの弟子なのであり、それゆえイエスさまから、「わたしの母、わたしの兄弟」と呼ばれるのです。
わたしの家族、と言われるのです。
北川純二
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_227.htm#197
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
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Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第16火曜日
(聖ビルジッタ修道女)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 12:46-50)
12:46
イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた。
12:47
それで、ある人がイエスに言った、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。
12:48
イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」。
12:49
そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
12:50
天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 12:46-50)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_197_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 12:46-50)
「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母なのである」
父なる神様の御心を行う人とはどういう人でしょうか?
何か立派な善行を積んだ人のことでしょうか?
品行方正で、性格のよい人のことでしょうか?
恐らくそうではありません。
イエスさまの弟子たちは、決して立派な人たちでもありませんでしたし、有名人でもありませんでした。
教養のある人も少なかった。
ただイエスさまの後に付いてきているだけです。
それ以外にありません。
イエスさまの後に従って、そして今このようにイエスさまの周りに座って、イエスさまの話に耳を傾けている。
ただそれだけです。
そしてそれが天の父なる神様の御心なのです。
ですから、私たちがイエスさまのあとに付き従い、みことばに耳を傾けているならば、私たちもイエスさまの弟子なのであり、それゆえイエスさまから、「わたしの母、わたしの兄弟」と呼ばれるのです。
わたしの家族、と言われるのです。
北川純二
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_227.htm#197
より転載
-----
(ミカ書 7:14-15, 18-20)
7:14
どうか、あなたのつえをもってあなたの民、
すなわち園の中の林にひとりおる
あなたの嗣業の羊を牧し、
いにしえの日のようにバシャンとギレアデで、
彼らを養ってください。
7:15
あなたがエジプトの国を出た時のように、
わたしはもろもろの不思議な事を彼らに示す。
7:18
だれかあなたのように不義をゆるし、
その嗣業の残れる者のために
とがを見過ごされる神があろうか。
神はいつくしみを喜ばれるので、
その怒りをながく保たず、
7:19
再びわれわれをあわれみ、
われわれの不義を足で踏みつけられる。
あなたはわれわれのもろもろの罪を
海の深みに投げ入れ、
7:20
昔からわれわれの先祖たちに誓われたように、
真実をヤコブに示し、
いつくしみをアブラハムに示される。
-----
†主の平安
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-----
年間第16火曜日
(聖ビルジッタ修道女)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 12:46-50)
12:46
イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた。
12:47
それで、ある人がイエスに言った、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。
12:48
イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」。
12:49
そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
12:50
天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 12:46-50)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_197_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 12:46-50)
「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母なのである」
父なる神様の御心を行う人とはどういう人でしょうか?
何か立派な善行を積んだ人のことでしょうか?
品行方正で、性格のよい人のことでしょうか?
恐らくそうではありません。
イエスさまの弟子たちは、決して立派な人たちでもありませんでしたし、有名人でもありませんでした。
教養のある人も少なかった。
ただイエスさまの後に付いてきているだけです。
それ以外にありません。
イエスさまの後に従って、そして今このようにイエスさまの周りに座って、イエスさまの話に耳を傾けている。
ただそれだけです。
そしてそれが天の父なる神様の御心なのです。
ですから、私たちがイエスさまのあとに付き従い、みことばに耳を傾けているならば、私たちもイエスさまの弟子なのであり、それゆえイエスさまから、「わたしの母、わたしの兄弟」と呼ばれるのです。
わたしの家族、と言われるのです。
北川純二
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_227.htm#197
より転載
-----
(ミカ書 7:14-15, 18-20)
7:14
どうか、あなたのつえをもってあなたの民、
すなわち園の中の林にひとりおる
あなたの嗣業の羊を牧し、
いにしえの日のようにバシャンとギレアデで、
彼らを養ってください。
7:15
あなたがエジプトの国を出た時のように、
わたしはもろもろの不思議な事を彼らに示す。
7:18
だれかあなたのように不義をゆるし、
その嗣業の残れる者のために
とがを見過ごされる神があろうか。
神はいつくしみを喜ばれるので、
その怒りをながく保たず、
7:19
再びわれわれをあわれみ、
われわれの不義を足で踏みつけられる。
あなたはわれわれのもろもろの罪を
海の深みに投げ入れ、
7:20
昔からわれわれの先祖たちに誓われたように、
真実をヤコブに示し、
いつくしみをアブラハムに示される。
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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Today's Bible story *
July 23, 2024
Have a good day!
-----
Tuesday of the Sixteenth Week in Ordinary Time
-----
Gospel : Matthew 12:46-50
46 While he was yet speaking to the multitudes, behold, his mother and his brothers stood outside, seeking to speak to him.
47 One said to him, “Behold, your mother and your brothers stand outside, seeking to speak to you.”
48 But he answered him who spoke to him, “Who is my mother? Who are my brothers?”
49 He stretched out his hand toward his disciples, and said, “Behold, my mother and my brothers!
50 For whoever does the will of my Father who is in heaven, he is my brother, and sister, and mother.”
-----
Micah 7:14-15, 18-20
14 Shepherd your people with your staff,
the flock of your heritage,
who dwell by themselves in a forest.
Let them feed in the middle of fertile pasture land,
in Bashan and Gilead, as in the days of old.
15 “As in the days of your coming out of the land of Egypt,
I will show them marvelous things.”
18 Who is a God like you, who pardons iniquity,
and passes over the disobedience of the remnant of his heritage?
He doesn’t retain his anger forever,
because he delights in loving kindness.
19 He will again have compassion on us.
He will tread our iniquities under foot.
You will cast all their sins into the depths of the sea.
20 You will give truth to Jacob,
and mercy to Abraham,
as you have sworn to our fathers from the days of old.
-----
* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 23, 2024
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-july-23-2024
◇ Daily Readings July 23, 2024
http://www.usccb.org/bible/readings/072324.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
http://todaysbiblestory.seesaa.net/
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Have a good day!
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Tuesday of the Sixteenth Week in Ordinary Time
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Gospel : Matthew 12:46-50
46 While he was yet speaking to the multitudes, behold, his mother and his brothers stood outside, seeking to speak to him.
47 One said to him, “Behold, your mother and your brothers stand outside, seeking to speak to you.”
48 But he answered him who spoke to him, “Who is my mother? Who are my brothers?”
49 He stretched out his hand toward his disciples, and said, “Behold, my mother and my brothers!
50 For whoever does the will of my Father who is in heaven, he is my brother, and sister, and mother.”
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Micah 7:14-15, 18-20
14 Shepherd your people with your staff,
the flock of your heritage,
who dwell by themselves in a forest.
Let them feed in the middle of fertile pasture land,
in Bashan and Gilead, as in the days of old.
15 “As in the days of your coming out of the land of Egypt,
I will show them marvelous things.”
18 Who is a God like you, who pardons iniquity,
and passes over the disobedience of the remnant of his heritage?
He doesn’t retain his anger forever,
because he delights in loving kindness.
19 He will again have compassion on us.
He will tread our iniquities under foot.
You will cast all their sins into the depths of the sea.
20 You will give truth to Jacob,
and mercy to Abraham,
as you have sworn to our fathers from the days of old.
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* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 23, 2024
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-july-23-2024
◇ Daily Readings July 23, 2024
http://www.usccb.org/bible/readings/072324.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
http://todaysbiblestory.seesaa.net/
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|

2024年07月22日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
聖マリア - マグダラ(祝)
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<今日の聖書物語 *>
(ヨハネによる福音 20:1-2, 11-18)
さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。
そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。
しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、
白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。
すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。
そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。
イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。
イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。
イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。
マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 20:1-2, 11-18)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc7_33_1.mp3
み言葉について
(ヨハネによる福音 20:1-2, 11-18)
マグダラのマリアと言えば、映画「ダビンチコード」で世の中でもかなり認識されるようになった聖女です。
大昔から、復活したイエスに一番初めに出会った人として、尊敬されると同時に嫉妬され、人間のごく自然な傾きから、イエスとマグダラのマリアのロマンスを語られもしてきました。
今日の朗読である復活のシーンは、とても心を動かされるところです。
復活したイエスを園丁だと思っているマリアが、自分の名前を呼ばれてイエスだと気づく。
私たちは、何か特別なことの中に真実があるとどこかで思ってしまっているような気がします。
しかし、本当に大切なことは特別なこと以上に日常の中にあり、日常の中で何気なく繰り返されていることに真実があることが多いようです。
数え切れないほどイエスから呼ばれたであろう自分の名前を呼ばれたとき、マリアが今自分が出会っているのが誰であるのかに気づいたということは、大切なことに気づく鍵はやはり日常の中にあることを、私たちに教えているように思われます。
そして、私たちも、何か特別なときであっても、日常で出会っているのと同じように神と出会うことになるのではないでしょうか。
John Goto
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C7_29.htm#33
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
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聖マリア - マグダラ(祝)
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<今日の聖書物語 *>
(ヨハネによる福音 20:1-2, 11-18)
さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。
そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。
しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、
白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。
すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。
そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。
イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。
イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。
イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。
マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 20:1-2, 11-18)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc7_33_1.mp3
み言葉について
(ヨハネによる福音 20:1-2, 11-18)
マグダラのマリアと言えば、映画「ダビンチコード」で世の中でもかなり認識されるようになった聖女です。
大昔から、復活したイエスに一番初めに出会った人として、尊敬されると同時に嫉妬され、人間のごく自然な傾きから、イエスとマグダラのマリアのロマンスを語られもしてきました。
今日の朗読である復活のシーンは、とても心を動かされるところです。
復活したイエスを園丁だと思っているマリアが、自分の名前を呼ばれてイエスだと気づく。
私たちは、何か特別なことの中に真実があるとどこかで思ってしまっているような気がします。
しかし、本当に大切なことは特別なこと以上に日常の中にあり、日常の中で何気なく繰り返されていることに真実があることが多いようです。
数え切れないほどイエスから呼ばれたであろう自分の名前を呼ばれたとき、マリアが今自分が出会っているのが誰であるのかに気づいたということは、大切なことに気づく鍵はやはり日常の中にあることを、私たちに教えているように思われます。
そして、私たちも、何か特別なときであっても、日常で出会っているのと同じように神と出会うことになるのではないでしょうか。
John Goto
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C7_29.htm#33
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
聖マリア - マグダラ(祝)
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<今日の聖書物語 *>
(ヨハネによる福音 20:1-2, 11-18)
20:1
さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。
20:2
そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。
20:11
しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、
20:12
白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。
20:13
すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。
20:14
そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。
20:15
イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。
20:16
イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。
20:17
イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。
20:18
マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 20:1-2, 11-18)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc7_33_1.mp3
み言葉について
(ヨハネによる福音 20:1-2, 11-18)
マグダラのマリアと言えば、映画「ダビンチコード」で世の中でもかなり認識されるようになった聖女です。
大昔から、復活したイエスに一番初めに出会った人として、尊敬されると同時に嫉妬され、人間のごく自然な傾きから、イエスとマグダラのマリアのロマンスを語られもしてきました。
今日の朗読である復活のシーンは、とても心を動かされるところです。
復活したイエスを園丁だと思っているマリアが、自分の名前を呼ばれてイエスだと気づく。
私たちは、何か特別なことの中に真実があるとどこかで思ってしまっているような気がします。
しかし、本当に大切なことは特別なこと以上に日常の中にあり、日常の中で何気なく繰り返されていることに真実があることが多いようです。
数え切れないほどイエスから呼ばれたであろう自分の名前を呼ばれたとき、マリアが今自分が出会っているのが誰であるのかに気づいたということは、大切なことに気づく鍵はやはり日常の中にあることを、私たちに教えているように思われます。
そして、私たちも、何か特別なときであっても、日常で出会っているのと同じように神と出会うことになるのではないでしょうか。
John Goto
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C7_29.htm#33
より転載
-----
(雅歌 3:1-4a)
3:1
わたしは夜、床の上で、
わが魂の愛する者をたずねた。
わたしは彼をたずねたが、見つからなかった。
わたしは彼を呼んだが、答がなかった。
3:2
「わたしは今起きて、町をまわり歩き、
街路や広場で、わが魂の愛する者をたずねよう」と、
彼をたずねたが、見つからなかった。
3:3
町をまわり歩く夜回りたちに出会ったので、
「あなたがたは、
わが魂の愛する者を見ましたか」と尋ねた。
3:4a
わたしが彼らと別れて行くとすぐ、
わが魂の愛する者に出会った。
-----
(コリント人への第二の手紙 5:14-17)
5:14
なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。わたしたちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。
5:15
そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。
5:16
それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。
5:17
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/
☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html
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聖マリア - マグダラ(祝)
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<今日の聖書物語 *>
(ヨハネによる福音 20:1-2, 11-18)
20:1
さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。
20:2
そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。
20:11
しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、
20:12
白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。
20:13
すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。
20:14
そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。
20:15
イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。
20:16
イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。
20:17
イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。
20:18
マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ヨハネによる福音 20:1-2, 11-18)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc7_33_1.mp3
み言葉について
(ヨハネによる福音 20:1-2, 11-18)
マグダラのマリアと言えば、映画「ダビンチコード」で世の中でもかなり認識されるようになった聖女です。
大昔から、復活したイエスに一番初めに出会った人として、尊敬されると同時に嫉妬され、人間のごく自然な傾きから、イエスとマグダラのマリアのロマンスを語られもしてきました。
今日の朗読である復活のシーンは、とても心を動かされるところです。
復活したイエスを園丁だと思っているマリアが、自分の名前を呼ばれてイエスだと気づく。
私たちは、何か特別なことの中に真実があるとどこかで思ってしまっているような気がします。
しかし、本当に大切なことは特別なこと以上に日常の中にあり、日常の中で何気なく繰り返されていることに真実があることが多いようです。
数え切れないほどイエスから呼ばれたであろう自分の名前を呼ばれたとき、マリアが今自分が出会っているのが誰であるのかに気づいたということは、大切なことに気づく鍵はやはり日常の中にあることを、私たちに教えているように思われます。
そして、私たちも、何か特別なときであっても、日常で出会っているのと同じように神と出会うことになるのではないでしょうか。
John Goto
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C7_29.htm#33
より転載
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(雅歌 3:1-4a)
3:1
わたしは夜、床の上で、
わが魂の愛する者をたずねた。
わたしは彼をたずねたが、見つからなかった。
わたしは彼を呼んだが、答がなかった。
3:2
「わたしは今起きて、町をまわり歩き、
街路や広場で、わが魂の愛する者をたずねよう」と、
彼をたずねたが、見つからなかった。
3:3
町をまわり歩く夜回りたちに出会ったので、
「あなたがたは、
わが魂の愛する者を見ましたか」と尋ねた。
3:4a
わたしが彼らと別れて行くとすぐ、
わが魂の愛する者に出会った。
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(コリント人への第二の手紙 5:14-17)
5:14
なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。わたしたちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。
5:15
そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。
5:16
それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。
5:17
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/
☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html
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Today's Bible story *
July 22, 2024
Have a good day!
-----
Feast of Saint Mary Magdalene
-----
Gospel : John 20:1-2, 11-18
1 Now on the first day of the week, Mary Magdalene went early, while it was still dark, to the tomb, and saw that the stone had been taken away from the tomb.
2 Therefore she ran and came to Simon Peter and to the other disciple whom Jesus loved, and said to them, “They have taken away the Lord out of the tomb, and we don’t know where they have laid him!”
11 But Mary was standing outside at the tomb weeping. So as she wept, she stooped and looked into the tomb,
12 and she saw two angels in white sitting, one at the head and one at the feet, where the body of Jesus had lain.
13 They asked her, “Woman, why are you weeping?”
She said to them, “Because they have taken away my Lord, and I don’t know where they have laid him.”
14 When she had said this, she turned around and saw Jesus standing, and didn’t know that it was Jesus.
15 Jesus said to her, “Woman, why are you weeping? Who are you looking for?”
She, supposing him to be the gardener, said to him, “Sir, if you have carried him away, tell me where you have laid him, and I will take him away.”
16 Jesus said to her, “Mary.”
She turned and said to him, “Rabboni!”† which is to say, “Teacher!”
17 Jesus said to her, “Don’t hold me, for I haven’t yet ascended to my Father; but go to my brothers and tell them, ‘I am ascending to my Father and your Father, to my God and your God.’ ”
18 Mary Magdalene came and told the disciples that she had seen the Lord, and that he had said these things to her.
-----
Song of Solomon 3:1-4b
1 By night on my bed,
I sought him whom my soul loves.
I sought him, but I didn’t find him.
2 I will get up now, and go about the city;
in the streets and in the squares I will seek him whom my soul loves.
I sought him, but I didn’t find him.
3 The watchmen who go about the city found me;
“Have you seen him whom my soul loves?”
4 I had scarcely passed from them,
when I found him whom my soul loves.
I held him, and would not let him go,
until I had brought him into my mother’s house,
into the room of her who conceived me.
-----
2 Corinthians 5:14-17
14 For the love of Christ compels us; because we judge thus: that one died for all, therefore all died.
15 He died for all, that those who live should no longer live to themselves, but to him who for their sakes died and rose again.
16 Therefore we know no one according to the flesh from now on. Even though we have known Christ according to the flesh, yet now we know him so no more.
17 Therefore if anyone is in Christ, he is a new creation. The old things have passed away. Behold, all things have become new.
-----
* The World English Bible
http://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For July 22, 2024
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Have a good day!
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Feast of Saint Mary Magdalene
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Gospel : John 20:1-2, 11-18
1 Now on the first day of the week, Mary Magdalene went early, while it was still dark, to the tomb, and saw that the stone had been taken away from the tomb.
2 Therefore she ran and came to Simon Peter and to the other disciple whom Jesus loved, and said to them, “They have taken away the Lord out of the tomb, and we don’t know where they have laid him!”
11 But Mary was standing outside at the tomb weeping. So as she wept, she stooped and looked into the tomb,
12 and she saw two angels in white sitting, one at the head and one at the feet, where the body of Jesus had lain.
13 They asked her, “Woman, why are you weeping?”
She said to them, “Because they have taken away my Lord, and I don’t know where they have laid him.”
14 When she had said this, she turned around and saw Jesus standing, and didn’t know that it was Jesus.
15 Jesus said to her, “Woman, why are you weeping? Who are you looking for?”
She, supposing him to be the gardener, said to him, “Sir, if you have carried him away, tell me where you have laid him, and I will take him away.”
16 Jesus said to her, “Mary.”
She turned and said to him, “Rabboni!”† which is to say, “Teacher!”
17 Jesus said to her, “Don’t hold me, for I haven’t yet ascended to my Father; but go to my brothers and tell them, ‘I am ascending to my Father and your Father, to my God and your God.’ ”
18 Mary Magdalene came and told the disciples that she had seen the Lord, and that he had said these things to her.
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Song of Solomon 3:1-4b
1 By night on my bed,
I sought him whom my soul loves.
I sought him, but I didn’t find him.
2 I will get up now, and go about the city;
in the streets and in the squares I will seek him whom my soul loves.
I sought him, but I didn’t find him.
3 The watchmen who go about the city found me;
“Have you seen him whom my soul loves?”
4 I had scarcely passed from them,
when I found him whom my soul loves.
I held him, and would not let him go,
until I had brought him into my mother’s house,
into the room of her who conceived me.
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2 Corinthians 5:14-17
14 For the love of Christ compels us; because we judge thus: that one died for all, therefore all died.
15 He died for all, that those who live should no longer live to themselves, but to him who for their sakes died and rose again.
16 Therefore we know no one according to the flesh from now on. Even though we have known Christ according to the flesh, yet now we know him so no more.
17 Therefore if anyone is in Christ, he is a new creation. The old things have passed away. Behold, all things have become new.
-----
* The World English Bible
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◇ Daily Mass Reading Podcast For July 22, 2024
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2024年07月21日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
おはようございます。
良い一日を過ごしましょう!
年間第16主日
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 6:30-34)
さて、使徒たちはイエスのもとに集まってきて、自分たちがしたことや教えたことを、みな報告した。
するとイエスは彼らに言われた、「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
そこで彼らは人を避け、舟に乗って寂しい所へ行った。
ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ、一せいに駆けつけ、彼らより先に着いた。
イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 6:30-34)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc9_37_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 6:30-34)
http://fukuinhint.blog.fc2.com/blog-entry-1055.html
<こうじ神父 今週の説教>
(マルコによる福音 6:30-34)
http://blog.goo.ne.jp/knkouji/
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
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良い一日を過ごしましょう!
年間第16主日
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 6:30-34)
さて、使徒たちはイエスのもとに集まってきて、自分たちがしたことや教えたことを、みな報告した。
するとイエスは彼らに言われた、「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
そこで彼らは人を避け、舟に乗って寂しい所へ行った。
ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ、一せいに駆けつけ、彼らより先に着いた。
イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 6:30-34)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc9_37_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 6:30-34)
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<こうじ神父 今週の説教>
(マルコによる福音 6:30-34)
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posted by marion at 11:32| 千葉 ☁| 本/雑誌
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