良い一日を過ごしましょう!
年間第3金曜日
聖ヨハネ・ボスコ司祭(記)
-----
<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 4:26-34)
また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。
夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。
実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」。
また言われた、「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。
それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、
まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。
イエスはこのような多くの譬で、人々の聞く力にしたがって、御言を語られた。
譬によらないでは語られなかったが、自分の弟子たちには、ひそかにすべてのことを解き明かされた。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 4:26-34)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_49_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 4:26-34)
小銭を入れてジュースも、お菓子も、ラーメンなどもすぐに手に入る生活に慣れているインスタント時代の私たちには、「待つ」こと、静かに待って見守るということに困難を感じています。
何でも「早く」得られることに期待しがちな私たちにとって、イエスのこのたとえ話は印象的です。
急な変化と結果はめったにないことを諭させるたとえです。
人生の変化・・聖変化には人間の活動やイニシアチブよりも人間の開きと協力が要ります。
後は神様のペースに委ねるほかはないのでは・・と思います。
早く人を「信者にする」焦りが、「信じない信者」を生み出すこととなり、この現状は日本でも見られるのではないでしょうか。
「実る」までのステップは、決して飛ばせるものではないのです。
じっくりと「福音化」をせずに進もうとするならば、「秘蹟化」も上手く行かないのは当然のことと言えます。
天の国は人間に働かれる神様の業ですが、神様のスピードには永遠の余裕があります。
op
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_152.htm#49
より転載
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
-----
2025年01月31日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
posted by marion at 11:32| 千葉 ☀| 本/雑誌
|

Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第3金曜日
聖ヨハネ・ボスコ司祭(記)
-----
<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 4:26-34)
4:26
また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。
4:27
夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
4:28
地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。
4:29
実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」。
4:30
また言われた、「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。
4:31
それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、
4:32
まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。
4:33
イエスはこのような多くの譬で、人々の聞く力にしたがって、御言を語られた。
4:34
譬によらないでは語られなかったが、自分の弟子たちには、ひそかにすべてのことを解き明かされた。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 4:26-34)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_49_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 4:26-34)
小銭を入れてジュースも、お菓子も、ラーメンなどもすぐに手に入る生活に慣れているインスタント時代の私たちには、「待つ」こと、静かに待って見守るということに困難を感じています。
何でも「早く」得られることに期待しがちな私たちにとって、イエスのこのたとえ話は印象的です。
急な変化と結果はめったにないことを諭させるたとえです。
人生の変化・・聖変化には人間の活動やイニシアチブよりも人間の開きと協力が要ります。
後は神様のペースに委ねるほかはないのでは・・と思います。
早く人を「信者にする」焦りが、「信じない信者」を生み出すこととなり、この現状は日本でも見られるのではないでしょうか。
「実る」までのステップは、決して飛ばせるものではないのです。
じっくりと「福音化」をせずに進もうとするならば、「秘蹟化」も上手く行かないのは当然のことと言えます。
天の国は人間に働かれる神様の業ですが、神様のスピードには永遠の余裕があります。
op
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_152.htm#49
より転載
-----
(ヘブル人への手紙 10:32-39)
10:32
あなたがたは、光に照されたのち、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してほしい。
10:33
そしられ苦しめられて見せ物にされたこともあれば、このようなめに会った人々の仲間にされたこともあった。
10:34
さらに獄に入れられた人々を思いやり、また、もっとまさった永遠の宝を持っていることを知って、自分の財産が奪われても喜んでそれを忍んだ。
10:35
だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。
10:36
神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。
10:37
「もうしばらくすれば、
きたるべきかたがお見えになる。
遅くなることはない。
10:38
わが義人は、信仰によって生きる。
もし信仰を捨てるなら、
わたしのたましいはこれを喜ばない」。
10:39
しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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年間第3金曜日
聖ヨハネ・ボスコ司祭(記)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 4:26-34)
4:26
また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。
4:27
夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
4:28
地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。
4:29
実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」。
4:30
また言われた、「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。
4:31
それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、
4:32
まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。
4:33
イエスはこのような多くの譬で、人々の聞く力にしたがって、御言を語られた。
4:34
譬によらないでは語られなかったが、自分の弟子たちには、ひそかにすべてのことを解き明かされた。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 4:26-34)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_49_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 4:26-34)
小銭を入れてジュースも、お菓子も、ラーメンなどもすぐに手に入る生活に慣れているインスタント時代の私たちには、「待つ」こと、静かに待って見守るということに困難を感じています。
何でも「早く」得られることに期待しがちな私たちにとって、イエスのこのたとえ話は印象的です。
急な変化と結果はめったにないことを諭させるたとえです。
人生の変化・・聖変化には人間の活動やイニシアチブよりも人間の開きと協力が要ります。
後は神様のペースに委ねるほかはないのでは・・と思います。
早く人を「信者にする」焦りが、「信じない信者」を生み出すこととなり、この現状は日本でも見られるのではないでしょうか。
「実る」までのステップは、決して飛ばせるものではないのです。
じっくりと「福音化」をせずに進もうとするならば、「秘蹟化」も上手く行かないのは当然のことと言えます。
天の国は人間に働かれる神様の業ですが、神様のスピードには永遠の余裕があります。
op
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_152.htm#49
より転載
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(ヘブル人への手紙 10:32-39)
10:32
あなたがたは、光に照されたのち、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してほしい。
10:33
そしられ苦しめられて見せ物にされたこともあれば、このようなめに会った人々の仲間にされたこともあった。
10:34
さらに獄に入れられた人々を思いやり、また、もっとまさった永遠の宝を持っていることを知って、自分の財産が奪われても喜んでそれを忍んだ。
10:35
だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。
10:36
神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。
10:37
「もうしばらくすれば、
きたるべきかたがお見えになる。
遅くなることはない。
10:38
わが義人は、信仰によって生きる。
もし信仰を捨てるなら、
わたしのたましいはこれを喜ばない」。
10:39
しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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|

Today's Bible story *
January 31, 2025
Have a good day!
-----
Memorial of Saint John Bosco, Priest
-----
Gospel : Mark 4:26-34
26 He said, “God’s Kingdom is as if a man should cast seed on the earth,
27 and should sleep and rise night and day, and the seed should spring up and grow, though he doesn’t know how.
28 For the earth bears fruit by itself: first the blade, then the ear, then the full grain in the ear.
29 But when the fruit is ripe, immediately he puts in the sickle, because the harvest has come.”
30 He said, “How will we liken God’s Kingdom? Or with what parable will we illustrate it?
31 It’s like a grain of mustard seed, which, when it is sown in the earth, though it is less than all the seeds that are on the earth,
32 yet when it is sown, grows up and becomes greater than all the herbs, and puts out great branches, so that the birds of the sky can lodge under its shadow.”
33 With many such parables he spoke the word to them, as they were able to hear it.
34 Without a parable he didn’t speak to them; but privately to his own disciples he explained everything.
-----
Hebrews 10:32-39
32 But remember the former days, in which, after you were enlightened, you endured a great struggle with sufferings:
33 partly, being exposed to both reproaches and oppressions, and partly, becoming partakers with those who were treated so.
34 For you both had compassion on me in my chains and joyfully accepted the plundering of your possessions, knowing that you have for yourselves a better possession and an enduring one in the heavens.
35 Therefore don’t throw away your boldness, which has a great reward.
36 For you need endurance so that, having done the will of God, you may receive the promise.
37 “In a very little while,
he who comes will come and will not wait.
38 But the righteous one will live by faith.
If he shrinks back, my soul has no pleasure in him.”
39 But we are not of those who shrink back to destruction, but of those who have faith to the saving of the soul.
-----
* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 31, 2025
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-january-31-2025
◇ Daily Readings January 31, 2025
https://www.usccb.org/bible/readings/013125.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
https://todaysbiblestory.seesaa.net/
-----
Have a good day!
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Memorial of Saint John Bosco, Priest
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Gospel : Mark 4:26-34
26 He said, “God’s Kingdom is as if a man should cast seed on the earth,
27 and should sleep and rise night and day, and the seed should spring up and grow, though he doesn’t know how.
28 For the earth bears fruit by itself: first the blade, then the ear, then the full grain in the ear.
29 But when the fruit is ripe, immediately he puts in the sickle, because the harvest has come.”
30 He said, “How will we liken God’s Kingdom? Or with what parable will we illustrate it?
31 It’s like a grain of mustard seed, which, when it is sown in the earth, though it is less than all the seeds that are on the earth,
32 yet when it is sown, grows up and becomes greater than all the herbs, and puts out great branches, so that the birds of the sky can lodge under its shadow.”
33 With many such parables he spoke the word to them, as they were able to hear it.
34 Without a parable he didn’t speak to them; but privately to his own disciples he explained everything.
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Hebrews 10:32-39
32 But remember the former days, in which, after you were enlightened, you endured a great struggle with sufferings:
33 partly, being exposed to both reproaches and oppressions, and partly, becoming partakers with those who were treated so.
34 For you both had compassion on me in my chains and joyfully accepted the plundering of your possessions, knowing that you have for yourselves a better possession and an enduring one in the heavens.
35 Therefore don’t throw away your boldness, which has a great reward.
36 For you need endurance so that, having done the will of God, you may receive the promise.
37 “In a very little while,
he who comes will come and will not wait.
38 But the righteous one will live by faith.
If he shrinks back, my soul has no pleasure in him.”
39 But we are not of those who shrink back to destruction, but of those who have faith to the saving of the soul.
-----
* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 31, 2025
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-january-31-2025
◇ Daily Readings January 31, 2025
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|

2025年01月30日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
年間第3木曜日
-----
<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 4:21-25)
また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。
なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。
聞く耳のある者は聞くがよい」。
また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。
だれでも、持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 4:21-25)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_48_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 4:21-25)
今日のこの福音は昨日の箇所の続きで、イエス様は人々に神の言葉を聴く人の姿勢について話されています。
だからこの箇所は、ただそのまま抜き出して考えようとすると、書かれてある言葉の意味はわかるとしても、イエス様の言わんとすることの意味がわかり辛くなってしまうところでもあります。
イエス様がここで言われている「ともしび」は神様のみ言葉のことだととらえることが出来ます。
神様の言葉を聴く人は、それを胸に秘めて隠したりすると意味がないということでしょう。
そうするのではなくて、神の言葉を実行して人々に表されるべきだとイエス様は諭しておられるのです。
更に神の言葉は人の心の中の隠れているものを照らし出す力を持っていることも私たちに悟らせています。
「何を聞いているか注意しなさい」と言われます。
神の言葉に耳を傾けているか、それをちゃんと聴いているかどうか振り返りを促されます。
自分の聴きたいことだけ、自分の耳に心地よいことだけを聴こうとすると、神様の言葉はあまり聞こえてこなくなるわけです。
神様の言葉を聴く耳を持つ人、持っている人になりなさいと、イエス様は私たちに訴えておられるのが聞こえますか?
mickey sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_151.htm#48
より転載
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
-----
年間第3木曜日
-----
<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 4:21-25)
また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。
なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。
聞く耳のある者は聞くがよい」。
また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。
だれでも、持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 4:21-25)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_48_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 4:21-25)
今日のこの福音は昨日の箇所の続きで、イエス様は人々に神の言葉を聴く人の姿勢について話されています。
だからこの箇所は、ただそのまま抜き出して考えようとすると、書かれてある言葉の意味はわかるとしても、イエス様の言わんとすることの意味がわかり辛くなってしまうところでもあります。
イエス様がここで言われている「ともしび」は神様のみ言葉のことだととらえることが出来ます。
神様の言葉を聴く人は、それを胸に秘めて隠したりすると意味がないということでしょう。
そうするのではなくて、神の言葉を実行して人々に表されるべきだとイエス様は諭しておられるのです。
更に神の言葉は人の心の中の隠れているものを照らし出す力を持っていることも私たちに悟らせています。
「何を聞いているか注意しなさい」と言われます。
神の言葉に耳を傾けているか、それをちゃんと聴いているかどうか振り返りを促されます。
自分の聴きたいことだけ、自分の耳に心地よいことだけを聴こうとすると、神様の言葉はあまり聞こえてこなくなるわけです。
神様の言葉を聴く耳を持つ人、持っている人になりなさいと、イエス様は私たちに訴えておられるのが聞こえますか?
mickey sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_151.htm#48
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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* 口語訳聖書
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Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第3木曜日
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 4:21-25)
4:21
また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。
4:22
なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。
4:23
聞く耳のある者は聞くがよい」。
4:24
また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。
4:25
だれでも、持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 4:21-25)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_48_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 4:21-25)
今日のこの福音は昨日の箇所の続きで、イエス様は人々に神の言葉を聴く人の姿勢について話されています。
だからこの箇所は、ただそのまま抜き出して考えようとすると、書かれてある言葉の意味はわかるとしても、イエス様の言わんとすることの意味がわかり辛くなってしまうところでもあります。
イエス様がここで言われている「ともしび」は神様のみ言葉のことだととらえることが出来ます。
神様の言葉を聴く人は、それを胸に秘めて隠したりすると意味がないということでしょう。
そうするのではなくて、神の言葉を実行して人々に表されるべきだとイエス様は諭しておられるのです。
更に神の言葉は人の心の中の隠れているものを照らし出す力を持っていることも私たちに悟らせています。
「何を聞いているか注意しなさい」と言われます。
神の言葉に耳を傾けているか、それをちゃんと聴いているかどうか振り返りを促されます。
自分の聴きたいことだけ、自分の耳に心地よいことだけを聴こうとすると、神様の言葉はあまり聞こえてこなくなるわけです。
神様の言葉を聴く耳を持つ人、持っている人になりなさいと、イエス様は私たちに訴えておられるのが聞こえますか?
mickey sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_151.htm#48
より転載
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(ヘブル人への手紙 10:19-25)
10:19
兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、
10:20
彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、
10:21
さらに、神の家を治める大いなる祭司があるのだから、
10:22
心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。
10:23
また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを、動くことなくしっかりと持ち続け、
10:24
愛と善行とを励むように互に努め、
10:25
ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。
-----
†主の平安
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年間第3木曜日
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(マルコによる福音 4:21-25)
4:21
また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。
4:22
なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。
4:23
聞く耳のある者は聞くがよい」。
4:24
また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。
4:25
だれでも、持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 4:21-25)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_48_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 4:21-25)
今日のこの福音は昨日の箇所の続きで、イエス様は人々に神の言葉を聴く人の姿勢について話されています。
だからこの箇所は、ただそのまま抜き出して考えようとすると、書かれてある言葉の意味はわかるとしても、イエス様の言わんとすることの意味がわかり辛くなってしまうところでもあります。
イエス様がここで言われている「ともしび」は神様のみ言葉のことだととらえることが出来ます。
神様の言葉を聴く人は、それを胸に秘めて隠したりすると意味がないということでしょう。
そうするのではなくて、神の言葉を実行して人々に表されるべきだとイエス様は諭しておられるのです。
更に神の言葉は人の心の中の隠れているものを照らし出す力を持っていることも私たちに悟らせています。
「何を聞いているか注意しなさい」と言われます。
神の言葉に耳を傾けているか、それをちゃんと聴いているかどうか振り返りを促されます。
自分の聴きたいことだけ、自分の耳に心地よいことだけを聴こうとすると、神様の言葉はあまり聞こえてこなくなるわけです。
神様の言葉を聴く耳を持つ人、持っている人になりなさいと、イエス様は私たちに訴えておられるのが聞こえますか?
mickey sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_151.htm#48
より転載
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(ヘブル人への手紙 10:19-25)
10:19
兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、
10:20
彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、
10:21
さらに、神の家を治める大いなる祭司があるのだから、
10:22
心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。
10:23
また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを、動くことなくしっかりと持ち続け、
10:24
愛と善行とを励むように互に努め、
10:25
ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。
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†主の平安
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Today's Bible story *
January 30, 2025
Have a good day!
-----
Thursday of the Third Week in Ordinary Time
-----
Gospel : Mark 4:21-25
21 He said to them, “Is a lamp brought to be put under a basket or under a bed? Isn’t it put on a stand?
22 For there is nothing hidden except that it should be made known, neither was anything made secret but that it should come to light.
23 If any man has ears to hear, let him hear.”
24 He said to them, “Take heed what you hear. With whatever measure you measure, it will be measured to you; and more will be given to you who hear.
25 For whoever has, to him more will be given; and he who doesn’t have, even that which he has will be taken away from him.”
-----
Hebrews 10:19-25
19 Having therefore, brothers, boldness to enter into the holy place by the blood of Jesus,
20 by the way which he dedicated for us, a new and living way, through the veil, that is to say, his flesh,
21 and having a great priest over God’s house,
22 let’s draw near with a true heart in fullness of faith, having our hearts sprinkled from an evil conscience and having our body washed with pure water,
23 let’s hold fast the confession of our hope without wavering; for he who promised is faithful.
24 Let’s consider how to provoke one another to love and good works,
25 not forsaking our own assembling together, as the custom of some is, but exhorting one another, and so much the more as you see the Day approaching.
-----
* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 30, 2025
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-january-30-2025
◇ Daily Readings January 30, 2025
https://www.usccb.org/bible/readings/013025.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
https://todaysbiblestory.seesaa.net/
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Have a good day!
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Thursday of the Third Week in Ordinary Time
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Gospel : Mark 4:21-25
21 He said to them, “Is a lamp brought to be put under a basket or under a bed? Isn’t it put on a stand?
22 For there is nothing hidden except that it should be made known, neither was anything made secret but that it should come to light.
23 If any man has ears to hear, let him hear.”
24 He said to them, “Take heed what you hear. With whatever measure you measure, it will be measured to you; and more will be given to you who hear.
25 For whoever has, to him more will be given; and he who doesn’t have, even that which he has will be taken away from him.”
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Hebrews 10:19-25
19 Having therefore, brothers, boldness to enter into the holy place by the blood of Jesus,
20 by the way which he dedicated for us, a new and living way, through the veil, that is to say, his flesh,
21 and having a great priest over God’s house,
22 let’s draw near with a true heart in fullness of faith, having our hearts sprinkled from an evil conscience and having our body washed with pure water,
23 let’s hold fast the confession of our hope without wavering; for he who promised is faithful.
24 Let’s consider how to provoke one another to love and good works,
25 not forsaking our own assembling together, as the custom of some is, but exhorting one another, and so much the more as you see the Day approaching.
-----
* The World English Bible
https://ebible.org/web/
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◇ Daily Readings January 30, 2025
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2025年01月29日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
年間第3水曜日
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 4:1-20)
イエスはまたも、海べで教えはじめられた。おびただしい群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわったまま、海上におられ、群衆はみな海に沿って陸地にいた。
イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、
「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。
まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。
ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。
そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。
イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。
そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。
それは
『彼らは見るには見るが、認めず、
聞くには聞くが、悟らず、
悔い改めてゆるされることがない』ためである」。
また彼らに言われた、「あなたがたはこの譬がわからないのか。それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。
種まきは御言をまくのである。
道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。
同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、
自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、
世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。
また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マルコによる福音 4:1-20)
小学生の頃、学校の裏にあった荒れ放題の畑を長い時間をかけてきれいな畑にしたことがあります。
畑にはなったものの、石だらけ。
たくさんの小石を取り除く作業が続きました。
石も拾い終わり、一人ひとりうねを作ってサツマイモを植えました。
秋には収穫祭(サツマイモ料理ばかりですが)がありました。
次の年は各自好きな花の種を植え、育てました。
とてもなつかしい思い出です。
さて、今日の福音は種まきのたとえ話です。
ある種は道端に、ある種は石地に、ある種は茨の中、そしてある種は良い土地へと落ちていきます。
なかなか成長していかないのは、種にとって土地が大切だからです。
良い土地に落ちた種はたくさんの実をつけます。
福音の後半には、このたとえの説明があります。
もう一度じっくり読んでみましょう。・・・私たちにも御言葉が蒔かれています。
実り多いものとなりますよう、ただ聞くだけでなく、その御言葉を生きる者として生活していきたいものです。
TH
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_150.htm#47
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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年間第3水曜日
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 4:1-20)
イエスはまたも、海べで教えはじめられた。おびただしい群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわったまま、海上におられ、群衆はみな海に沿って陸地にいた。
イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、
「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。
まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。
ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。
そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。
イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。
そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。
それは
『彼らは見るには見るが、認めず、
聞くには聞くが、悟らず、
悔い改めてゆるされることがない』ためである」。
また彼らに言われた、「あなたがたはこの譬がわからないのか。それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。
種まきは御言をまくのである。
道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。
同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、
自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、
世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。
また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マルコによる福音 4:1-20)
小学生の頃、学校の裏にあった荒れ放題の畑を長い時間をかけてきれいな畑にしたことがあります。
畑にはなったものの、石だらけ。
たくさんの小石を取り除く作業が続きました。
石も拾い終わり、一人ひとりうねを作ってサツマイモを植えました。
秋には収穫祭(サツマイモ料理ばかりですが)がありました。
次の年は各自好きな花の種を植え、育てました。
とてもなつかしい思い出です。
さて、今日の福音は種まきのたとえ話です。
ある種は道端に、ある種は石地に、ある種は茨の中、そしてある種は良い土地へと落ちていきます。
なかなか成長していかないのは、種にとって土地が大切だからです。
良い土地に落ちた種はたくさんの実をつけます。
福音の後半には、このたとえの説明があります。
もう一度じっくり読んでみましょう。・・・私たちにも御言葉が蒔かれています。
実り多いものとなりますよう、ただ聞くだけでなく、その御言葉を生きる者として生活していきたいものです。
TH
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_150.htm#47
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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* 口語訳聖書
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Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第3水曜日
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 4:1-20)
4:1
イエスはまたも、海べで教えはじめられた。おびただしい群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわったまま、海上におられ、群衆はみな海に沿って陸地にいた。
4:2
イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、
4:3
「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。
4:4
まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
4:5
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
4:6
日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
4:7
ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。
4:8
ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。
4:9
そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。
4:10
イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。
4:11
そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。
4:12
それは
『彼らは見るには見るが、認めず、
聞くには聞くが、悟らず、
悔い改めてゆるされることがない』ためである」。
4:13
また彼らに言われた、「あなたがたはこの譬がわからないのか。それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。
4:14
種まきは御言をまくのである。
4:15
道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。
4:16
同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、
4:17
自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
4:18
また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、
4:19
世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。
4:20
また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マルコによる福音 4:1-20)
小学生の頃、学校の裏にあった荒れ放題の畑を長い時間をかけてきれいな畑にしたことがあります。
畑にはなったものの、石だらけ。
たくさんの小石を取り除く作業が続きました。
石も拾い終わり、一人ひとりうねを作ってサツマイモを植えました。
秋には収穫祭(サツマイモ料理ばかりですが)がありました。
次の年は各自好きな花の種を植え、育てました。
とてもなつかしい思い出です。
さて、今日の福音は種まきのたとえ話です。
ある種は道端に、ある種は石地に、ある種は茨の中、そしてある種は良い土地へと落ちていきます。
なかなか成長していかないのは、種にとって土地が大切だからです。
良い土地に落ちた種はたくさんの実をつけます。
福音の後半には、このたとえの説明があります。
もう一度じっくり読んでみましょう。・・・私たちにも御言葉が蒔かれています。
実り多いものとなりますよう、ただ聞くだけでなく、その御言葉を生きる者として生活していきたいものです。
TH
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_150.htm#47
より転載
-----
(ヘブル人への手紙 10:11-18)
10:11
こうして、すべての祭司は立って日ごとに儀式を行い、たびたび同じようないけにえをささげるが、それらは決して罪を除き去ることはできない。
10:12
しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
10:13
それから、敵をその足台とするときまで、待っておられる。
10:14
彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。
10:15
聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、
10:16
「わたしが、それらの日の後、
彼らに対して立てようとする契約はこれであると、
主が言われる。
わたしの律法を彼らの心に与え、
彼らの思いのうちに書きつけよう」
と言い、
10:17
さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べている。
10:18
これらのことに対するゆるしがある以上、罪のためのささげ物は、もはやあり得ない。
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†主の平安
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* 口語訳聖書
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年間第3水曜日
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 4:1-20)
4:1
イエスはまたも、海べで教えはじめられた。おびただしい群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわったまま、海上におられ、群衆はみな海に沿って陸地にいた。
4:2
イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、
4:3
「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。
4:4
まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
4:5
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
4:6
日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
4:7
ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。
4:8
ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。
4:9
そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。
4:10
イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。
4:11
そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。
4:12
それは
『彼らは見るには見るが、認めず、
聞くには聞くが、悟らず、
悔い改めてゆるされることがない』ためである」。
4:13
また彼らに言われた、「あなたがたはこの譬がわからないのか。それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。
4:14
種まきは御言をまくのである。
4:15
道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。
4:16
同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、
4:17
自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
4:18
また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、
4:19
世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。
4:20
また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マルコによる福音 4:1-20)
小学生の頃、学校の裏にあった荒れ放題の畑を長い時間をかけてきれいな畑にしたことがあります。
畑にはなったものの、石だらけ。
たくさんの小石を取り除く作業が続きました。
石も拾い終わり、一人ひとりうねを作ってサツマイモを植えました。
秋には収穫祭(サツマイモ料理ばかりですが)がありました。
次の年は各自好きな花の種を植え、育てました。
とてもなつかしい思い出です。
さて、今日の福音は種まきのたとえ話です。
ある種は道端に、ある種は石地に、ある種は茨の中、そしてある種は良い土地へと落ちていきます。
なかなか成長していかないのは、種にとって土地が大切だからです。
良い土地に落ちた種はたくさんの実をつけます。
福音の後半には、このたとえの説明があります。
もう一度じっくり読んでみましょう。・・・私たちにも御言葉が蒔かれています。
実り多いものとなりますよう、ただ聞くだけでなく、その御言葉を生きる者として生活していきたいものです。
TH
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_150.htm#47
より転載
-----
(ヘブル人への手紙 10:11-18)
10:11
こうして、すべての祭司は立って日ごとに儀式を行い、たびたび同じようないけにえをささげるが、それらは決して罪を除き去ることはできない。
10:12
しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
10:13
それから、敵をその足台とするときまで、待っておられる。
10:14
彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。
10:15
聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、
10:16
「わたしが、それらの日の後、
彼らに対して立てようとする契約はこれであると、
主が言われる。
わたしの律法を彼らの心に与え、
彼らの思いのうちに書きつけよう」
と言い、
10:17
さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べている。
10:18
これらのことに対するゆるしがある以上、罪のためのささげ物は、もはやあり得ない。
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†主の平安
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Today's Bible story *
January 29, 2025
Have a good day!
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Wednesday of the Third Week in Ordinary Time
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Gospel : Mark 4:1-20
1 Again he began to teach by the seaside. A great multitude was gathered to him, so that he entered into a boat in the sea and sat down. All the multitude were on the land by the sea.
2 He taught them many things in parables, and told them in his teaching,
3 “Listen! Behold, the farmer went out to sow.
4 As he sowed, some seed fell by the road, and the birds† came and devoured it.
5 Others fell on the rocky ground, where it had little soil, and immediately it sprang up, because it had no depth of soil.
6 When the sun had risen, it was scorched; and because it had no root, it withered away.
7 Others fell among the thorns, and the thorns grew up and choked it, and it yielded no fruit.
8 Others fell into the good ground and yielded fruit, growing up and increasing. Some produced thirty times, some sixty times, and some one hundred times as much.”
9 He said, “Whoever has ears to hear, let him hear.”
10 When he was alone, those who were around him with the twelve asked him about the parables.
11 He said to them, “To you is given the mystery of God’s Kingdom, but to those who are outside, all things are done in parables,
12 that ‘seeing they may see and not perceive, and hearing they may hear and not understand, lest perhaps they should turn again, and their sins should be forgiven them.’ ”
13 He said to them, “Don’t you understand this parable? How will you understand all of the parables?
14 The farmer sows the word.
15 The ones by the road are the ones where the word is sown; and when they have heard, immediately Satan comes and takes away the word which has been sown in them.
16 These in the same way are those who are sown on the rocky places, who, when they have heard the word, immediately receive it with joy.
17 They have no root in themselves, but are short-lived. When oppression or persecution arises because of the word, immediately they stumble.
18 Others are those who are sown among the thorns. These are those who have heard the word,
19 and the cares of this age, and the deceitfulness of riches, and the lusts of other things entering in choke the word, and it becomes unfruitful.
20 Those which were sown on the good ground are those who hear the word, accept it, and bear fruit, some thirty times, some sixty times, and some one hundred times.”
-----
Hebrews 10:11-18
11 Every priest indeed stands day by day serving and offering often the same sacrifices, which can never take away sins,
12 but he, when he had offered one sacrifice for sins forever, sat down on the right hand of God,
13 from that time waiting until his enemies are made the footstool of his feet.
14 For by one offering he has perfected forever those who are being sanctified.
15 The Holy Spirit also testifies to us, for after saying,
16 “This is the covenant that I will make with them
after those days,” says the Lord,
“I will put my laws on their heart,
I will also write them on their mind;”
then he says,
17 “I will remember their sins and their iniquities no more.”
18 Now where remission of these is, there is no more offering for sin.
-----
* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 29, 2025
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-january-29-2025
◇ Daily Readings January 29, 2025
https://www.usccb.org/bible/readings/012925.cfm
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◇ Today's Bible Story
https://todaysbiblestory.seesaa.net/
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Have a good day!
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Wednesday of the Third Week in Ordinary Time
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Gospel : Mark 4:1-20
1 Again he began to teach by the seaside. A great multitude was gathered to him, so that he entered into a boat in the sea and sat down. All the multitude were on the land by the sea.
2 He taught them many things in parables, and told them in his teaching,
3 “Listen! Behold, the farmer went out to sow.
4 As he sowed, some seed fell by the road, and the birds† came and devoured it.
5 Others fell on the rocky ground, where it had little soil, and immediately it sprang up, because it had no depth of soil.
6 When the sun had risen, it was scorched; and because it had no root, it withered away.
7 Others fell among the thorns, and the thorns grew up and choked it, and it yielded no fruit.
8 Others fell into the good ground and yielded fruit, growing up and increasing. Some produced thirty times, some sixty times, and some one hundred times as much.”
9 He said, “Whoever has ears to hear, let him hear.”
10 When he was alone, those who were around him with the twelve asked him about the parables.
11 He said to them, “To you is given the mystery of God’s Kingdom, but to those who are outside, all things are done in parables,
12 that ‘seeing they may see and not perceive, and hearing they may hear and not understand, lest perhaps they should turn again, and their sins should be forgiven them.’ ”
13 He said to them, “Don’t you understand this parable? How will you understand all of the parables?
14 The farmer sows the word.
15 The ones by the road are the ones where the word is sown; and when they have heard, immediately Satan comes and takes away the word which has been sown in them.
16 These in the same way are those who are sown on the rocky places, who, when they have heard the word, immediately receive it with joy.
17 They have no root in themselves, but are short-lived. When oppression or persecution arises because of the word, immediately they stumble.
18 Others are those who are sown among the thorns. These are those who have heard the word,
19 and the cares of this age, and the deceitfulness of riches, and the lusts of other things entering in choke the word, and it becomes unfruitful.
20 Those which were sown on the good ground are those who hear the word, accept it, and bear fruit, some thirty times, some sixty times, and some one hundred times.”
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Hebrews 10:11-18
11 Every priest indeed stands day by day serving and offering often the same sacrifices, which can never take away sins,
12 but he, when he had offered one sacrifice for sins forever, sat down on the right hand of God,
13 from that time waiting until his enemies are made the footstool of his feet.
14 For by one offering he has perfected forever those who are being sanctified.
15 The Holy Spirit also testifies to us, for after saying,
16 “This is the covenant that I will make with them
after those days,” says the Lord,
“I will put my laws on their heart,
I will also write them on their mind;”
then he says,
17 “I will remember their sins and their iniquities no more.”
18 Now where remission of these is, there is no more offering for sin.
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* The World English Bible
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◇ Daily Readings January 29, 2025
https://www.usccb.org/bible/readings/012925.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
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posted by marion at 00:16| 千葉 ☀| 本/雑誌
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2025年01月28日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
年間第3火曜日
聖トマス・アクィナス司祭教会博士(記)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:31-35)
さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。
すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。
そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マルコによる福音 3:31-35)
イエスの身内は「彼は気が変になった」と告げられてイエスを連れ戻しに来ました。
この記事をして「身内でさえイエスにつまずいた」とする解釈がありますが、そうかもしれないし、そうでないかもしれません。
社会的には、身内の異常を告げられて放っておけるものではありません。
少なくともどんな状態かを確認に行くでしょう。
確認した後で、イエスがおかしくなったと思ったのなら、つまずきと言えるでしょうが、その点について聖書は詳細を語りません。
つまり、そんなこと(身内がつまずいたかどうか)には関心がありません。
重要なのは35節の結語であり、そのポイントは「行う」ということばです。
eno
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_149.htm#46
より転載
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
-----
年間第3火曜日
聖トマス・アクィナス司祭教会博士(記)
-----
<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:31-35)
さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。
すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。
そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マルコによる福音 3:31-35)
イエスの身内は「彼は気が変になった」と告げられてイエスを連れ戻しに来ました。
この記事をして「身内でさえイエスにつまずいた」とする解釈がありますが、そうかもしれないし、そうでないかもしれません。
社会的には、身内の異常を告げられて放っておけるものではありません。
少なくともどんな状態かを確認に行くでしょう。
確認した後で、イエスがおかしくなったと思ったのなら、つまずきと言えるでしょうが、その点について聖書は詳細を語りません。
つまり、そんなこと(身内がつまずいたかどうか)には関心がありません。
重要なのは35節の結語であり、そのポイントは「行う」ということばです。
eno
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_149.htm#46
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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* 口語訳聖書
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posted by marion at 11:32| 千葉 ☔| 本/雑誌
|

Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第3火曜日
聖トマス・アクィナス司祭教会博士(記)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:31-35)
3:31
さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
3:32
ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。
3:33
すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。
3:34
そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
3:35
神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マルコによる福音 3:31-35)
イエスの身内は「彼は気が変になった」と告げられてイエスを連れ戻しに来ました。
この記事をして「身内でさえイエスにつまずいた」とする解釈がありますが、そうかもしれないし、そうでないかもしれません。
社会的には、身内の異常を告げられて放っておけるものではありません。
少なくともどんな状態かを確認に行くでしょう。
確認した後で、イエスがおかしくなったと思ったのなら、つまずきと言えるでしょうが、その点について聖書は詳細を語りません。
つまり、そんなこと(身内がつまずいたかどうか)には関心がありません。
重要なのは35節の結語であり、そのポイントは「行う」ということばです。
eno
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_149.htm#46
より転載
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(ヘブル人への手紙 10:1-10)
10:1
いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているものではないから、年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。
10:2
もしできたとすれば、儀式にたずさわる者たちは、一度きよめられた以上、もはや罪の自覚がなくなるのであるから、ささげ物をすることがやんだはずではあるまいか。
10:3
しかし実際は、年ごとに、いけにえによって罪の思い出がよみがえって来るのである。
10:4
なぜなら、雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができないからである。
10:5
それだから、キリストがこの世にこられたとき、次のように言われた、
「あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、
わたしのために、からだを備えて下さった。
10:6
あなたは燔祭や罪祭を好まれなかった。
10:7
その時、わたしは言った、
『神よ、わたしにつき、
巻物の書物に書いてあるとおり、
見よ、御旨を行うためにまいりました』」。
10:8
ここで、初めに、「あなたは、いけにえとささげ物と燔祭と罪祭と(すなわち、律法に従ってささげられるもの)を望まれず、好まれもしなかった」とあり、
10:9
次に、「見よ、わたしは御旨を行うためにまいりました」とある。すなわち、彼は、後のものを立てるために、初めのものを廃止されたのである。
10:10
この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
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年間第3火曜日
聖トマス・アクィナス司祭教会博士(記)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:31-35)
3:31
さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
3:32
ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。
3:33
すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。
3:34
そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
3:35
神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉について
(マルコによる福音 3:31-35)
イエスの身内は「彼は気が変になった」と告げられてイエスを連れ戻しに来ました。
この記事をして「身内でさえイエスにつまずいた」とする解釈がありますが、そうかもしれないし、そうでないかもしれません。
社会的には、身内の異常を告げられて放っておけるものではありません。
少なくともどんな状態かを確認に行くでしょう。
確認した後で、イエスがおかしくなったと思ったのなら、つまずきと言えるでしょうが、その点について聖書は詳細を語りません。
つまり、そんなこと(身内がつまずいたかどうか)には関心がありません。
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(ヘブル人への手紙 10:1-10)
10:1
いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているものではないから、年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。
10:2
もしできたとすれば、儀式にたずさわる者たちは、一度きよめられた以上、もはや罪の自覚がなくなるのであるから、ささげ物をすることがやんだはずではあるまいか。
10:3
しかし実際は、年ごとに、いけにえによって罪の思い出がよみがえって来るのである。
10:4
なぜなら、雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができないからである。
10:5
それだから、キリストがこの世にこられたとき、次のように言われた、
「あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、
わたしのために、からだを備えて下さった。
10:6
あなたは燔祭や罪祭を好まれなかった。
10:7
その時、わたしは言った、
『神よ、わたしにつき、
巻物の書物に書いてあるとおり、
見よ、御旨を行うためにまいりました』」。
10:8
ここで、初めに、「あなたは、いけにえとささげ物と燔祭と罪祭と(すなわち、律法に従ってささげられるもの)を望まれず、好まれもしなかった」とあり、
10:9
次に、「見よ、わたしは御旨を行うためにまいりました」とある。すなわち、彼は、後のものを立てるために、初めのものを廃止されたのである。
10:10
この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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Today's Bible story *
January 28, 2025
Have a good day!
-----
Memorial of Saint Thomas Aquinas, Priest and Doctor of the Church
-----
Gospel : Mark 3:31-35
31 His mother and his brothers came, and standing outside, they sent to him, calling him.
32 A multitude was sitting around him, and they told him, “Behold, your mother, your brothers, and your sisters are outside looking for you.”
33 He answered them, “Who are my mother and my brothers?”
34 Looking around at those who sat around him, he said, “Behold, my mother and my brothers!
35 For whoever does the will of God is my brother, my sister, and mother.”
-----
Hebrews 10:1-10
1 For the law, having a shadow of the good to come, not the very image of the things, can never with the same sacrifices year by year, which they offer continually, make perfect those who draw near.
2 Or else wouldn’t they have ceased to be offered, because the worshipers, having been once cleansed, would have had no more consciousness of sins?
3 But in those sacrifices there is a yearly reminder of sins.
4 For it is impossible that the blood of bulls and goats should take away sins.
5 Therefore when he comes into the world, he says,
“You didn’t desire sacrifice and offering,
but you prepared a body for me.
6 You had no pleasure in whole burnt offerings and sacrifices for sin.
7 Then I said, ‘Behold, I have come (in the scroll of the book it is written of me)
to do your will, O God.’ ”
8 Previously saying, “Sacrifices and offerings and whole burnt offerings and sacrifices for sin you didn’t desire, neither had pleasure in them” (those which are offered according to the law),
9 then he has said, “Behold, I have come to do your will.” He takes away the first, that he may establish the second,
10 by which will we have been sanctified through the offering of the body of Jesus Christ once for all.
-----
* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 28, 2025
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-january-28-2025
◇ Daily Readings January 28, 2025
https://www.usccb.org/bible/readings/012825.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
https://todaysbiblestory.seesaa.net/
-----
Have a good day!
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Memorial of Saint Thomas Aquinas, Priest and Doctor of the Church
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Gospel : Mark 3:31-35
31 His mother and his brothers came, and standing outside, they sent to him, calling him.
32 A multitude was sitting around him, and they told him, “Behold, your mother, your brothers, and your sisters are outside looking for you.”
33 He answered them, “Who are my mother and my brothers?”
34 Looking around at those who sat around him, he said, “Behold, my mother and my brothers!
35 For whoever does the will of God is my brother, my sister, and mother.”
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Hebrews 10:1-10
1 For the law, having a shadow of the good to come, not the very image of the things, can never with the same sacrifices year by year, which they offer continually, make perfect those who draw near.
2 Or else wouldn’t they have ceased to be offered, because the worshipers, having been once cleansed, would have had no more consciousness of sins?
3 But in those sacrifices there is a yearly reminder of sins.
4 For it is impossible that the blood of bulls and goats should take away sins.
5 Therefore when he comes into the world, he says,
“You didn’t desire sacrifice and offering,
but you prepared a body for me.
6 You had no pleasure in whole burnt offerings and sacrifices for sin.
7 Then I said, ‘Behold, I have come (in the scroll of the book it is written of me)
to do your will, O God.’ ”
8 Previously saying, “Sacrifices and offerings and whole burnt offerings and sacrifices for sin you didn’t desire, neither had pleasure in them” (those which are offered according to the law),
9 then he has said, “Behold, I have come to do your will.” He takes away the first, that he may establish the second,
10 by which will we have been sanctified through the offering of the body of Jesus Christ once for all.
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* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 28, 2025
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-january-28-2025
◇ Daily Readings January 28, 2025
https://www.usccb.org/bible/readings/012825.cfm
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2025年01月27日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
年間第3月曜日
(聖アンジェラ・メリチおとめ)
-----
<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:22-30)
また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。
そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。
もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。
また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。
もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。
だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。
よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。
しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。
そう言われたのは、彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言っていたからである。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:22-30)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_45_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:22-30)
今日の福音のエピソードの中で、イエスは「どんな罪もすべて赦されるが、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」ときわめて厳しい言葉を残されている。
冒涜と訳されたギリシア語は、宗教的には「けがす」という意味で、ほとんど「神をけがす」ことを指している。
イエスは「聖霊をけがす罪」だけは赦されないと言われた。
それでは「聖霊を汚す赦されざる罪」とは何だろう。
一言で言えば「頑なに改心を拒む」ことである。
拒むにはいろいろ訳があるだろう。ある人は絶望し、ある人は思い上がって神の救いの手を拒むかもしれない。
人間の恐ろしさは神の救いの手を拒む自由があるということである。
ここでシスチーナ礼拝堂のミケランジェロの最後の審判の絵を思い起こしたい。
向かって左下に地獄に落ちていく人々が描かれているが、そこに筋骨逞しい天使が落ちていく人間を鎖で引き上げている構図がある。(ちなみに天使に羽など生えていない。また世の中全体が男も長髪の時代に、短髪の格闘技に出そうな青年である。)
その天使の手にある鎖をよく見るとそれは、ロザリオである。
人間という者は、所詮、罪の重荷で落ちていく、それを神の恵みが引っ張り上げていく、ミケランジェロの神学が見事に描かれている。
私たちは全能の神を信じているという。
この神の全能さを、私たちはどこに見ているのだろう。
天地創造の話をイメージする人は多いだろう。
しかし神の全能は、自由であるがゆえに罪深く、下へ下へと落ちていく人間を、がっちり引き上げてくださる恵みのうちに、むしろ現わされているのである。
赦されない罪の話に不安を感じる人は、救いの恵みに現われる神の全能を思い起して欲しい。
村上康助sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_148.htm#45
より転載
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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年間第3月曜日
(聖アンジェラ・メリチおとめ)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:22-30)
また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。
そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。
もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。
また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。
もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。
だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。
よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。
しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。
そう言われたのは、彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言っていたからである。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:22-30)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_45_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:22-30)
今日の福音のエピソードの中で、イエスは「どんな罪もすべて赦されるが、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」ときわめて厳しい言葉を残されている。
冒涜と訳されたギリシア語は、宗教的には「けがす」という意味で、ほとんど「神をけがす」ことを指している。
イエスは「聖霊をけがす罪」だけは赦されないと言われた。
それでは「聖霊を汚す赦されざる罪」とは何だろう。
一言で言えば「頑なに改心を拒む」ことである。
拒むにはいろいろ訳があるだろう。ある人は絶望し、ある人は思い上がって神の救いの手を拒むかもしれない。
人間の恐ろしさは神の救いの手を拒む自由があるということである。
ここでシスチーナ礼拝堂のミケランジェロの最後の審判の絵を思い起こしたい。
向かって左下に地獄に落ちていく人々が描かれているが、そこに筋骨逞しい天使が落ちていく人間を鎖で引き上げている構図がある。(ちなみに天使に羽など生えていない。また世の中全体が男も長髪の時代に、短髪の格闘技に出そうな青年である。)
その天使の手にある鎖をよく見るとそれは、ロザリオである。
人間という者は、所詮、罪の重荷で落ちていく、それを神の恵みが引っ張り上げていく、ミケランジェロの神学が見事に描かれている。
私たちは全能の神を信じているという。
この神の全能さを、私たちはどこに見ているのだろう。
天地創造の話をイメージする人は多いだろう。
しかし神の全能は、自由であるがゆえに罪深く、下へ下へと落ちていく人間を、がっちり引き上げてくださる恵みのうちに、むしろ現わされているのである。
赦されない罪の話に不安を感じる人は、救いの恵みに現われる神の全能を思い起して欲しい。
村上康助sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_148.htm#45
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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* 口語訳聖書
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Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第3月曜日
(聖アンジェラ・メリチおとめ)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:22-30)
3:22
また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。
3:23
そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。
3:24
もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。
3:25
また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。
3:26
もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。
3:27
だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。
3:28
よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。
3:29
しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。
3:30
そう言われたのは、彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言っていたからである。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:22-30)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_45_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:22-30)
今日の福音のエピソードの中で、イエスは「どんな罪もすべて赦されるが、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」ときわめて厳しい言葉を残されている。
冒涜と訳されたギリシア語は、宗教的には「けがす」という意味で、ほとんど「神をけがす」ことを指している。
イエスは「聖霊をけがす罪」だけは赦されないと言われた。
それでは「聖霊を汚す赦されざる罪」とは何だろう。
一言で言えば「頑なに改心を拒む」ことである。
拒むにはいろいろ訳があるだろう。ある人は絶望し、ある人は思い上がって神の救いの手を拒むかもしれない。
人間の恐ろしさは神の救いの手を拒む自由があるということである。
ここでシスチーナ礼拝堂のミケランジェロの最後の審判の絵を思い起こしたい。
向かって左下に地獄に落ちていく人々が描かれているが、そこに筋骨逞しい天使が落ちていく人間を鎖で引き上げている構図がある。(ちなみに天使に羽など生えていない。また世の中全体が男も長髪の時代に、短髪の格闘技に出そうな青年である。)
その天使の手にある鎖をよく見るとそれは、ロザリオである。
人間という者は、所詮、罪の重荷で落ちていく、それを神の恵みが引っ張り上げていく、ミケランジェロの神学が見事に描かれている。
私たちは全能の神を信じているという。
この神の全能さを、私たちはどこに見ているのだろう。
天地創造の話をイメージする人は多いだろう。
しかし神の全能は、自由であるがゆえに罪深く、下へ下へと落ちていく人間を、がっちり引き上げてくださる恵みのうちに、むしろ現わされているのである。
赦されない罪の話に不安を感じる人は、救いの恵みに現われる神の全能を思い起して欲しい。
村上康助sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_148.htm#45
より転載
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(ヘブル人への手紙 9:15, 24-28)
9:15
それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。
9:24
ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。
9:25
大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。
9:26
もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。
9:27
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、
9:28
キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。
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†主の平安
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年間第3月曜日
(聖アンジェラ・メリチおとめ)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:22-30)
3:22
また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。
3:23
そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。
3:24
もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。
3:25
また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。
3:26
もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。
3:27
だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。
3:28
よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。
3:29
しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。
3:30
そう言われたのは、彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言っていたからである。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:22-30)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_45_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:22-30)
今日の福音のエピソードの中で、イエスは「どんな罪もすべて赦されるが、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う」ときわめて厳しい言葉を残されている。
冒涜と訳されたギリシア語は、宗教的には「けがす」という意味で、ほとんど「神をけがす」ことを指している。
イエスは「聖霊をけがす罪」だけは赦されないと言われた。
それでは「聖霊を汚す赦されざる罪」とは何だろう。
一言で言えば「頑なに改心を拒む」ことである。
拒むにはいろいろ訳があるだろう。ある人は絶望し、ある人は思い上がって神の救いの手を拒むかもしれない。
人間の恐ろしさは神の救いの手を拒む自由があるということである。
ここでシスチーナ礼拝堂のミケランジェロの最後の審判の絵を思い起こしたい。
向かって左下に地獄に落ちていく人々が描かれているが、そこに筋骨逞しい天使が落ちていく人間を鎖で引き上げている構図がある。(ちなみに天使に羽など生えていない。また世の中全体が男も長髪の時代に、短髪の格闘技に出そうな青年である。)
その天使の手にある鎖をよく見るとそれは、ロザリオである。
人間という者は、所詮、罪の重荷で落ちていく、それを神の恵みが引っ張り上げていく、ミケランジェロの神学が見事に描かれている。
私たちは全能の神を信じているという。
この神の全能さを、私たちはどこに見ているのだろう。
天地創造の話をイメージする人は多いだろう。
しかし神の全能は、自由であるがゆえに罪深く、下へ下へと落ちていく人間を、がっちり引き上げてくださる恵みのうちに、むしろ現わされているのである。
赦されない罪の話に不安を感じる人は、救いの恵みに現われる神の全能を思い起して欲しい。
村上康助sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_148.htm#45
より転載
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(ヘブル人への手紙 9:15, 24-28)
9:15
それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。
9:24
ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。
9:25
大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。
9:26
もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。
9:27
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、
9:28
キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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posted by marion at 00:31| 千葉 ☀| 本/雑誌
|

Today's Bible story *
January 27, 2025
Have a good day!
-----
Monday of the Third Week in Ordinary Time
-----
Gospel : Mark 3:22-30
22 The scribes who came down from Jerusalem said, “He has Beelzebul,” and, “By the prince of the demons he casts out the demons.”
23 He summoned them and said to them in parables, “How can Satan cast out Satan?
24 If a kingdom is divided against itself, that kingdom cannot stand.
25 If a house is divided against itself, that house cannot stand.
26 If Satan has risen up against himself, and is divided, he can’t stand, but has an end.
27 But no one can enter into the house of the strong man to plunder unless he first binds the strong man; then he will plunder his house.
28 “Most certainly I tell you, all sins of the descendants of man will be forgiven, including their blasphemies with which they may blaspheme;
29 but whoever may blaspheme against the Holy Spirit never has forgiveness, but is subject to eternal condemnation.”
30 --because they said, “He has an unclean spirit.”
-----
Hebrews 9:15, 24-28
15 For this reason he is the mediator of a new covenant, since a death has occurred for the redemption of the transgressions that were under the first covenant, that those who have been called may receive the promise of the eternal inheritance.
24 For Christ hasn’t entered into holy places made with hands, which are representations of the true, but into heaven itself, now to appear in the presence of God for us;
25 nor yet that he should offer himself often, as the high priest enters into the holy place year by year with blood not his own,
26 or else he must have suffered often since the foundation of the world. But now once at the end of the ages, he has been revealed to put away sin by the sacrifice of himself.
27 Inasmuch as it is appointed for men to die once, and after this, judgment,
28 so Christ also, having been offered once to bear the sins of many, will appear a second time, not to deal with sin, but to save those who are eagerly waiting for him.
-----
* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 27, 2025
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-january-27-2025
◇ Daily Readings January 27, 2025
https://www.usccb.org/bible/readings/012725.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
https://todaysbiblestory.seesaa.net/
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Have a good day!
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Monday of the Third Week in Ordinary Time
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Gospel : Mark 3:22-30
22 The scribes who came down from Jerusalem said, “He has Beelzebul,” and, “By the prince of the demons he casts out the demons.”
23 He summoned them and said to them in parables, “How can Satan cast out Satan?
24 If a kingdom is divided against itself, that kingdom cannot stand.
25 If a house is divided against itself, that house cannot stand.
26 If Satan has risen up against himself, and is divided, he can’t stand, but has an end.
27 But no one can enter into the house of the strong man to plunder unless he first binds the strong man; then he will plunder his house.
28 “Most certainly I tell you, all sins of the descendants of man will be forgiven, including their blasphemies with which they may blaspheme;
29 but whoever may blaspheme against the Holy Spirit never has forgiveness, but is subject to eternal condemnation.”
30 --because they said, “He has an unclean spirit.”
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Hebrews 9:15, 24-28
15 For this reason he is the mediator of a new covenant, since a death has occurred for the redemption of the transgressions that were under the first covenant, that those who have been called may receive the promise of the eternal inheritance.
24 For Christ hasn’t entered into holy places made with hands, which are representations of the true, but into heaven itself, now to appear in the presence of God for us;
25 nor yet that he should offer himself often, as the high priest enters into the holy place year by year with blood not his own,
26 or else he must have suffered often since the foundation of the world. But now once at the end of the ages, he has been revealed to put away sin by the sacrifice of himself.
27 Inasmuch as it is appointed for men to die once, and after this, judgment,
28 so Christ also, having been offered once to bear the sins of many, will appear a second time, not to deal with sin, but to save those who are eagerly waiting for him.
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* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 27, 2025
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2025年01月26日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
年間第3主日(神のことばの主日)、
世界こども助け合いの日
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<今日の聖書物語 *>
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、
御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、
テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。
すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります。
それからイエスは御霊の力に満ちあふれてガリラヤへ帰られると、そのうわさがその地方全体にひろまった。
イエスは諸会堂で教え、みんなの者から尊敬をお受けになった。
それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。
すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、
「主の御霊がわたしに宿っている。
貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、
わたしを聖別してくださったからである。
主はわたしをつかわして、
囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、
打ちひしがれている者に自由を得させ、
主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。
イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。
そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc5_13_1.mp3
み言葉について
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
http://fukuinhint.blog.fc2.com/blog-entry-1083.html
<こうじ神父 今週の説教>
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
https://blog.goo.ne.jp/knkouji/
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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年間第3主日(神のことばの主日)、
世界こども助け合いの日
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<今日の聖書物語 *>
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、
御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、
テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。
すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります。
それからイエスは御霊の力に満ちあふれてガリラヤへ帰られると、そのうわさがその地方全体にひろまった。
イエスは諸会堂で教え、みんなの者から尊敬をお受けになった。
それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。
すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、
「主の御霊がわたしに宿っている。
貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、
わたしを聖別してくださったからである。
主はわたしをつかわして、
囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、
打ちひしがれている者に自由を得させ、
主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。
イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。
そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc5_13_1.mp3
み言葉について
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
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<こうじ神父 今週の説教>
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第3主日(神のことばの主日)、
世界こども助け合いの日
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<今日の聖書物語 *>
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
1:1
わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、
1:2
御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、
1:3
テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。
1:4
すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります。
4:14
それからイエスは御霊の力に満ちあふれてガリラヤへ帰られると、そのうわさがその地方全体にひろまった。
4:15
イエスは諸会堂で教え、みんなの者から尊敬をお受けになった。
4:16
それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。
4:17
すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、
4:18
「主の御霊がわたしに宿っている。
貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、
わたしを聖別してくださったからである。
主はわたしをつかわして、
囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、
打ちひしがれている者に自由を得させ、
4:19
主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。
4:20
イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。
4:21
そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc5_13_1.mp3
み言葉について
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
http://fukuinhint.blog.fc2.com/blog-entry-1083.html
<こうじ神父 今週の説教>
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
https://blog.goo.ne.jp/knkouji/
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(ネヘミヤ記 8:2-4a, 5-6, 8-10)
8:2
祭司エズラは七月の一日に律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、
8:3
水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。民はみな律法の書に耳を傾けた。
8:4a
学者エズラはこの事のために、かねて設けた木の台の上に立った
8:5
エズラはすべての民の前にその書を開いた。彼はすべての民よりも高い所にいたからである。彼が書を開くと、すべての民は起立した。
8:6
エズラは大いなる神、主をほめ、民は皆その手をあげて、「アァメン、アァメン」と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した。
8:7
エシュア、バニ、セレビヤ、ヤミン、アックブ、シャベタイ、ホデヤ、マアセヤ、ケリタ、アザリヤ、ヨザバデ、ハナン、ペラヤおよびレビびとたちは民に律法を悟らせた。民はその所に立っていた。
8:8
彼らはその書、すなわち神の律法をめいりょうに読み、その意味を解き明かしてその読むところを悟らせた。
8:9
総督であるネヘミヤと、祭司であり、学者であるエズラと、民を教えるレビびとたちはすべての民に向かって「この日はあなたがたの神、主の聖なる日です。嘆いたり、泣いたりしてはならない」と言った。すべての民が律法の言葉を聞いて泣いたからである。
8:10
そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」。
-----
(コリント人への第一の手紙 12:12-30)
12:12
からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。
12:13
なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。
12:14
実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。
12:15
もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。
12:16
また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。
12:17
もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。
12:18
そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。
12:19
もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。
12:20
ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。
12:21
目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。
12:22
そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、
12:23
からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、
12:24
麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。
12:25
それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。
12:26
もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。
12:27
あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。
12:28
そして、神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語る者をおかれた。
12:29
みんなが使徒だろうか。みんなが預言者だろうか。みんなが教師だろうか。みんなが力あるわざを行う者だろうか。
12:30
みんながいやしの賜物を持っているのだろうか。みんなが異言を語るのだろうか。みんなが異言を解くのだろうか。
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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年間第3主日(神のことばの主日)、
世界こども助け合いの日
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<今日の聖書物語 *>
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
1:1
わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、
1:2
御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、
1:3
テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。
1:4
すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります。
4:14
それからイエスは御霊の力に満ちあふれてガリラヤへ帰られると、そのうわさがその地方全体にひろまった。
4:15
イエスは諸会堂で教え、みんなの者から尊敬をお受けになった。
4:16
それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。
4:17
すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、
4:18
「主の御霊がわたしに宿っている。
貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、
わたしを聖別してくださったからである。
主はわたしをつかわして、
囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、
打ちひしがれている者に自由を得させ、
4:19
主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。
4:20
イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。
4:21
そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc5_13_1.mp3
み言葉について
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
http://fukuinhint.blog.fc2.com/blog-entry-1083.html
<こうじ神父 今週の説教>
(ルカによる福音 1:1-4, 4:14-21)
https://blog.goo.ne.jp/knkouji/
-----
(ネヘミヤ記 8:2-4a, 5-6, 8-10)
8:2
祭司エズラは七月の一日に律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、
8:3
水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。民はみな律法の書に耳を傾けた。
8:4a
学者エズラはこの事のために、かねて設けた木の台の上に立った
8:5
エズラはすべての民の前にその書を開いた。彼はすべての民よりも高い所にいたからである。彼が書を開くと、すべての民は起立した。
8:6
エズラは大いなる神、主をほめ、民は皆その手をあげて、「アァメン、アァメン」と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した。
8:7
エシュア、バニ、セレビヤ、ヤミン、アックブ、シャベタイ、ホデヤ、マアセヤ、ケリタ、アザリヤ、ヨザバデ、ハナン、ペラヤおよびレビびとたちは民に律法を悟らせた。民はその所に立っていた。
8:8
彼らはその書、すなわち神の律法をめいりょうに読み、その意味を解き明かしてその読むところを悟らせた。
8:9
総督であるネヘミヤと、祭司であり、学者であるエズラと、民を教えるレビびとたちはすべての民に向かって「この日はあなたがたの神、主の聖なる日です。嘆いたり、泣いたりしてはならない」と言った。すべての民が律法の言葉を聞いて泣いたからである。
8:10
そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」。
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(コリント人への第一の手紙 12:12-30)
12:12
からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。
12:13
なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。
12:14
実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。
12:15
もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。
12:16
また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。
12:17
もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。
12:18
そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。
12:19
もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。
12:20
ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。
12:21
目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。
12:22
そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、
12:23
からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、
12:24
麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。
12:25
それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。
12:26
もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。
12:27
あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。
12:28
そして、神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語る者をおかれた。
12:29
みんなが使徒だろうか。みんなが預言者だろうか。みんなが教師だろうか。みんなが力あるわざを行う者だろうか。
12:30
みんながいやしの賜物を持っているのだろうか。みんなが異言を語るのだろうか。みんなが異言を解くのだろうか。
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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posted by marion at 00:32| 千葉 ☀| 本/雑誌
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Today's Bible story *
January 26, 2025
Have a good day!
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Third Sunday in Ordinary Time
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Gospel : Luke 1:1-4; 4:14-21
1 Since many have undertaken to set in order a narrative concerning those matters which have been fulfilled among us,
2 even as those who from the beginning were eyewitnesses and servants of the word delivered them to us,
3 it seemed good to me also, having traced the course of all things accurately from the first, to write to you in order, most excellent Theophilus;
4 that you might know the certainty concerning the things in which you were instructed.
14 Jesus returned in the power of the Spirit into Galilee, and news about him spread through all the surrounding area.
15 He taught in their synagogues, being glorified by all.
16 He came to Nazareth, where he had been brought up. He entered, as was his custom, into the synagogue on the Sabbath day, and stood up to read.
17 The book of the prophet Isaiah was handed to him. He opened the book, and found the place where it was written,
18 “The Spirit of the Lord is on me,
because he has anointed me to preach good news to the poor.
He has sent me to heal the broken hearted,
to proclaim release to the captives,
recovering of sight to the blind,
to deliver those who are crushed,
19 and to proclaim the acceptable year of the Lord.”
20 He closed the book, gave it back to the attendant, and sat down. The eyes of all in the synagogue were fastened on him.
21 He began to tell them, “Today, this Scripture has been fulfilled in your hearing.”
-----
Nehemiah 8:2-4a, 5-6, 8-10
2 Ezra the priest brought the law before the assembly, both men and women, and all who could hear with understanding, on the first day of the seventh month.
3 He read from it before the wide place that was in front of the water gate from early morning until midday, in the presence of the men and the women, and of those who could understand. The ears of all the people were attentive to the book of the law.
4a Ezra the scribe stood on a pulpit of wood, which they had made for the purpose;
5 Ezra opened the book in the sight of all the people (for he was above all the people), and when he opened it, all the people stood up.
6 Then Ezra blessed Yahweh, the great God.
All the people answered, “Amen, Amen,” with the lifting up of their hands. They bowed their heads, and worshiped Yahweh with their faces to the ground.
8 They read in the book, in the law of God, distinctly; and they gave the sense, so that they understood the reading.
9 Nehemiah, who was the governor, Ezra the priest and scribe, and the Levites who taught the people said to all the people, “Today is holy to Yahweh your God. Don’t mourn, nor weep.” For all the people wept when they heard the words of the law.
10 Then he said to them, “Go your way. Eat the fat, drink the sweet, and send portions to him for whom nothing is prepared, for today is holy to our Lord. Don’t be grieved, for the joy of Yahweh is your strength.”
-----
1 Corinthians 12:12-30
12 For as the body is one and has many members, and all the members of the body, being many, are one body; so also is Christ.
13 For in one Spirit we were all baptized into one body, whether Jews or Greeks, whether bond or free; and were all given to drink into one Spirit.
14 For the body is not one member, but many.
15 If the foot would say, “Because I’m not the hand, I’m not part of the body,” it is not therefore not part of the body.
16 If the ear would say, “Because I’m not the eye, I’m not part of the body,” it’s not therefore not part of the body.
17 If the whole body were an eye, where would the hearing be? If the whole were hearing, where would the smelling be?
18 But now God has set the members, each one of them, in the body, just as he desired.
19 If they were all one member, where would the body be? 20 But now they are many members, but one body.
21 The eye can’t tell the hand, “I have no need for you,” or again the head to the feet, “I have no need for you.”
22 No, much rather, those members of the body which seem to be weaker are necessary.
23 Those parts of the body which we think to be less honorable, on those we bestow more abundant honor; and our unpresentable parts have more abundant modesty,
24 while our presentable parts have no such need. But God composed the body together, giving more abundant honor to the inferior part,
25 that there should be no division in the body, but that the members should have the same care for one another.
26 When one member suffers, all the members suffer with it. When one member is honored, all the members rejoice with it.
27 Now you are the body of Christ, and members individually.
28 God has set some in the assembly: first apostles, second prophets, third teachers, then miracle workers, then gifts of healings, helps, governments, and various kinds of languages.
29 Are all apostles? Are all prophets? Are all teachers? Are all miracle workers?
30 Do all have gifts of healings? Do all speak with various languages? Do all interpret?
-----
* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 26, 2025
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-january-26-2025
◇ Daily Readings January 26, 2025
https://www.usccb.org/bible/readings/012625.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
https://todaysbiblestory.seesaa.net/
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Have a good day!
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Third Sunday in Ordinary Time
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Gospel : Luke 1:1-4; 4:14-21
1 Since many have undertaken to set in order a narrative concerning those matters which have been fulfilled among us,
2 even as those who from the beginning were eyewitnesses and servants of the word delivered them to us,
3 it seemed good to me also, having traced the course of all things accurately from the first, to write to you in order, most excellent Theophilus;
4 that you might know the certainty concerning the things in which you were instructed.
14 Jesus returned in the power of the Spirit into Galilee, and news about him spread through all the surrounding area.
15 He taught in their synagogues, being glorified by all.
16 He came to Nazareth, where he had been brought up. He entered, as was his custom, into the synagogue on the Sabbath day, and stood up to read.
17 The book of the prophet Isaiah was handed to him. He opened the book, and found the place where it was written,
18 “The Spirit of the Lord is on me,
because he has anointed me to preach good news to the poor.
He has sent me to heal the broken hearted,
to proclaim release to the captives,
recovering of sight to the blind,
to deliver those who are crushed,
19 and to proclaim the acceptable year of the Lord.”
20 He closed the book, gave it back to the attendant, and sat down. The eyes of all in the synagogue were fastened on him.
21 He began to tell them, “Today, this Scripture has been fulfilled in your hearing.”
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Nehemiah 8:2-4a, 5-6, 8-10
2 Ezra the priest brought the law before the assembly, both men and women, and all who could hear with understanding, on the first day of the seventh month.
3 He read from it before the wide place that was in front of the water gate from early morning until midday, in the presence of the men and the women, and of those who could understand. The ears of all the people were attentive to the book of the law.
4a Ezra the scribe stood on a pulpit of wood, which they had made for the purpose;
5 Ezra opened the book in the sight of all the people (for he was above all the people), and when he opened it, all the people stood up.
6 Then Ezra blessed Yahweh, the great God.
All the people answered, “Amen, Amen,” with the lifting up of their hands. They bowed their heads, and worshiped Yahweh with their faces to the ground.
8 They read in the book, in the law of God, distinctly; and they gave the sense, so that they understood the reading.
9 Nehemiah, who was the governor, Ezra the priest and scribe, and the Levites who taught the people said to all the people, “Today is holy to Yahweh your God. Don’t mourn, nor weep.” For all the people wept when they heard the words of the law.
10 Then he said to them, “Go your way. Eat the fat, drink the sweet, and send portions to him for whom nothing is prepared, for today is holy to our Lord. Don’t be grieved, for the joy of Yahweh is your strength.”
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1 Corinthians 12:12-30
12 For as the body is one and has many members, and all the members of the body, being many, are one body; so also is Christ.
13 For in one Spirit we were all baptized into one body, whether Jews or Greeks, whether bond or free; and were all given to drink into one Spirit.
14 For the body is not one member, but many.
15 If the foot would say, “Because I’m not the hand, I’m not part of the body,” it is not therefore not part of the body.
16 If the ear would say, “Because I’m not the eye, I’m not part of the body,” it’s not therefore not part of the body.
17 If the whole body were an eye, where would the hearing be? If the whole were hearing, where would the smelling be?
18 But now God has set the members, each one of them, in the body, just as he desired.
19 If they were all one member, where would the body be? 20 But now they are many members, but one body.
21 The eye can’t tell the hand, “I have no need for you,” or again the head to the feet, “I have no need for you.”
22 No, much rather, those members of the body which seem to be weaker are necessary.
23 Those parts of the body which we think to be less honorable, on those we bestow more abundant honor; and our unpresentable parts have more abundant modesty,
24 while our presentable parts have no such need. But God composed the body together, giving more abundant honor to the inferior part,
25 that there should be no division in the body, but that the members should have the same care for one another.
26 When one member suffers, all the members suffer with it. When one member is honored, all the members rejoice with it.
27 Now you are the body of Christ, and members individually.
28 God has set some in the assembly: first apostles, second prophets, third teachers, then miracle workers, then gifts of healings, helps, governments, and various kinds of languages.
29 Are all apostles? Are all prophets? Are all teachers? Are all miracle workers?
30 Do all have gifts of healings? Do all speak with various languages? Do all interpret?
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* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 26, 2025
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2025年01月25日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
使徒聖パウロの回心(祝)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 16:15-18)
そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 16:15-18)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc7_12_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 16:15-18)
今日は、教会典礼と共に使徒聖パウロの回心を祝います。
この方の名はサウロ、ラテン語ではパウロと言われています。
彼はタルソス出身の本格的なユダヤ人でありました。
少年の時からエルサレムに遊学し、ガマリエルの膝下に、モーゼの律法や旧約聖書などをみっちり学んで、狂信的なユダヤ教徒となりました。
そのために、祖先伝来の習慣や考え方と違うキリスト教を蛇蝎ごとくきらい、その教会を絶滅させる事こそ自分の使命だと考えるようになりました。
ところでダマスコの有名な出来事は彼の回心の土台となりました。
「サウロ、サウロ、どうして私を迫害するのか」光線の中からおごそかな声が響いた。
「主よ、あなたは誰ですか」とサウロはおそれるその声に問いかけました。
「私はお前の迫害するイエスです。」
そのとき信仰の光がサウロの心の中をくまなく照らされました。
この恩恵のちぎりに、サウロの霊魂を固く閉ざしたからは粉々に砕かれ、以前の古いサウロは新しいパウロに生まれ変わりました。
自分が違っていた事に気づくと、パウロはじっとしていませんでした。
過去を反省すると同時に、新しい理想を目指して進もうとする行動の人でした。
すぐに彼は聞き返したのです。
「主よ、私はどうしたらいいのでしょうか」、「立って町へ行きなさい。お前のなすべき事はそこで知らせるであろう。」
パウロはこの答えに力を得え、立ち上がりました。
ダマスコでパウロはまる三日の間、何も食べずに、断食をしながら、深い痛快の涙と共に熱心な祈りを捧げました。
その後、キリストの名を伝えるために、選んだ器となりました。
その翌日からパウロはユダヤ教の会堂に出かけて、キリストが神の子であり、救い主である事をのべ始めました。
パウロの回心の物語は、私達を大きな希望で満たします。
彼はイエスの弟子を迫害し、非常に重大な過ちを犯していました。
それにもかかわらずイエスは彼をあわれみ、全時代を超える最も偉大な聖人の一人とされました。
彼の回心は、イエスの憐みと恵みが最悪の罪人さえも新しく造り変えてしまうという励ましのしるしです。
恵みは律法の業や自分の功徳に左右されず、ユダヤ人と異邦人の差別なく、あらゆる人、あらゆる時代に及びます。
Tadeo sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C7_12.htm#12
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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使徒聖パウロの回心(祝)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 16:15-18)
そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 16:15-18)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc7_12_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 16:15-18)
今日は、教会典礼と共に使徒聖パウロの回心を祝います。
この方の名はサウロ、ラテン語ではパウロと言われています。
彼はタルソス出身の本格的なユダヤ人でありました。
少年の時からエルサレムに遊学し、ガマリエルの膝下に、モーゼの律法や旧約聖書などをみっちり学んで、狂信的なユダヤ教徒となりました。
そのために、祖先伝来の習慣や考え方と違うキリスト教を蛇蝎ごとくきらい、その教会を絶滅させる事こそ自分の使命だと考えるようになりました。
ところでダマスコの有名な出来事は彼の回心の土台となりました。
「サウロ、サウロ、どうして私を迫害するのか」光線の中からおごそかな声が響いた。
「主よ、あなたは誰ですか」とサウロはおそれるその声に問いかけました。
「私はお前の迫害するイエスです。」
そのとき信仰の光がサウロの心の中をくまなく照らされました。
この恩恵のちぎりに、サウロの霊魂を固く閉ざしたからは粉々に砕かれ、以前の古いサウロは新しいパウロに生まれ変わりました。
自分が違っていた事に気づくと、パウロはじっとしていませんでした。
過去を反省すると同時に、新しい理想を目指して進もうとする行動の人でした。
すぐに彼は聞き返したのです。
「主よ、私はどうしたらいいのでしょうか」、「立って町へ行きなさい。お前のなすべき事はそこで知らせるであろう。」
パウロはこの答えに力を得え、立ち上がりました。
ダマスコでパウロはまる三日の間、何も食べずに、断食をしながら、深い痛快の涙と共に熱心な祈りを捧げました。
その後、キリストの名を伝えるために、選んだ器となりました。
その翌日からパウロはユダヤ教の会堂に出かけて、キリストが神の子であり、救い主である事をのべ始めました。
パウロの回心の物語は、私達を大きな希望で満たします。
彼はイエスの弟子を迫害し、非常に重大な過ちを犯していました。
それにもかかわらずイエスは彼をあわれみ、全時代を超える最も偉大な聖人の一人とされました。
彼の回心は、イエスの憐みと恵みが最悪の罪人さえも新しく造り変えてしまうという励ましのしるしです。
恵みは律法の業や自分の功徳に左右されず、ユダヤ人と異邦人の差別なく、あらゆる人、あらゆる時代に及びます。
Tadeo sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C7_12.htm#12
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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|

Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
使徒聖パウロの回心(祝)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 16:15-18)
16:15
そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
16:16
信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
16:17
信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
16:18
へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 16:15-18)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc7_12_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 16:15-18)
今日は、教会典礼と共に使徒聖パウロの回心を祝います。
この方の名はサウロ、ラテン語ではパウロと言われています。
彼はタルソス出身の本格的なユダヤ人でありました。
少年の時からエルサレムに遊学し、ガマリエルの膝下に、モーゼの律法や旧約聖書などをみっちり学んで、狂信的なユダヤ教徒となりました。
そのために、祖先伝来の習慣や考え方と違うキリスト教を蛇蝎ごとくきらい、その教会を絶滅させる事こそ自分の使命だと考えるようになりました。
ところでダマスコの有名な出来事は彼の回心の土台となりました。
「サウロ、サウロ、どうして私を迫害するのか」光線の中からおごそかな声が響いた。
「主よ、あなたは誰ですか」とサウロはおそれるその声に問いかけました。
「私はお前の迫害するイエスです。」
そのとき信仰の光がサウロの心の中をくまなく照らされました。
この恩恵のちぎりに、サウロの霊魂を固く閉ざしたからは粉々に砕かれ、以前の古いサウロは新しいパウロに生まれ変わりました。
自分が違っていた事に気づくと、パウロはじっとしていませんでした。
過去を反省すると同時に、新しい理想を目指して進もうとする行動の人でした。
すぐに彼は聞き返したのです。
「主よ、私はどうしたらいいのでしょうか」、「立って町へ行きなさい。お前のなすべき事はそこで知らせるであろう。」
パウロはこの答えに力を得え、立ち上がりました。
ダマスコでパウロはまる三日の間、何も食べずに、断食をしながら、深い痛快の涙と共に熱心な祈りを捧げました。
その後、キリストの名を伝えるために、選んだ器となりました。
その翌日からパウロはユダヤ教の会堂に出かけて、キリストが神の子であり、救い主である事をのべ始めました。
パウロの回心の物語は、私達を大きな希望で満たします。
彼はイエスの弟子を迫害し、非常に重大な過ちを犯していました。
それにもかかわらずイエスは彼をあわれみ、全時代を超える最も偉大な聖人の一人とされました。
彼の回心は、イエスの憐みと恵みが最悪の罪人さえも新しく造り変えてしまうという励ましのしるしです。
恵みは律法の業や自分の功徳に左右されず、ユダヤ人と異邦人の差別なく、あらゆる人、あらゆる時代に及びます。
Tadeo sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C7_12.htm#12
より転載
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(使徒行伝 22:3-16)
22:3
そこで彼は言葉をついで言った、「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。
22:4
そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。
22:5
このことは、大祭司も長老たち一同も、証明するところである。さらにわたしは、この人たちからダマスコの同志たちへあてた手紙をもらって、その地にいる者たちを縛りあげ、エルサレムにひっぱってきて、処罰するため、出かけて行った。
22:6
旅をつづけてダマスコの近くにきた時に、真昼ごろ、突然、つよい光が天からわたしをめぐり照した。
22:7
わたしは地に倒れた。そして、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と、呼びかける声を聞いた。
22:8
これに対してわたしは、『主よ、あなたはどなたですか』と言った。すると、その声が、『わたしは、あなたが迫害しているナザレ人イエスである』と答えた。
22:9
わたしと一緒にいた者たちは、その光は見たが、わたしに語りかけたかたの声は聞かなかった。
22:10
わたしが『主よ、わたしは何をしたらよいでしょうか』と尋ねたところ、主は言われた、『起きあがってダマスコに行きなさい。そうすれば、あなたがするように決めてある事が、すべてそこで告げられるであろう』。
22:11
わたしは、光の輝きで目がくらみ、何も見えなくなっていたので、連れの者たちに手を引かれながら、ダマスコに行った。
22:12
すると、律法に忠実で、ダマスコ在住のユダヤ人全体に評判のよいアナニヤという人が、
22:13
わたしのところにきて、そばに立ち、『兄弟サウロよ、見えるようになりなさい』と言った。するとその瞬間に、わたしの目が開いて、彼の姿が見えた。
22:14
彼は言った、『わたしたちの先祖の神が、あなたを選んでみ旨を知らせ、かの義人を見させ、その口から声をお聞かせになった。
22:15
それはあなたが、その見聞きした事につき、すべての人に対して、彼の証人になるためである。
22:16
そこで今、なんのためらうことがあろうか。すぐ立って、み名をとなえてバプテスマを受け、あなたの罪を洗い落しなさい』。
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†主の平安
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https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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使徒聖パウロの回心(祝)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 16:15-18)
16:15
そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
16:16
信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
16:17
信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
16:18
へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 16:15-18)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc7_12_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 16:15-18)
今日は、教会典礼と共に使徒聖パウロの回心を祝います。
この方の名はサウロ、ラテン語ではパウロと言われています。
彼はタルソス出身の本格的なユダヤ人でありました。
少年の時からエルサレムに遊学し、ガマリエルの膝下に、モーゼの律法や旧約聖書などをみっちり学んで、狂信的なユダヤ教徒となりました。
そのために、祖先伝来の習慣や考え方と違うキリスト教を蛇蝎ごとくきらい、その教会を絶滅させる事こそ自分の使命だと考えるようになりました。
ところでダマスコの有名な出来事は彼の回心の土台となりました。
「サウロ、サウロ、どうして私を迫害するのか」光線の中からおごそかな声が響いた。
「主よ、あなたは誰ですか」とサウロはおそれるその声に問いかけました。
「私はお前の迫害するイエスです。」
そのとき信仰の光がサウロの心の中をくまなく照らされました。
この恩恵のちぎりに、サウロの霊魂を固く閉ざしたからは粉々に砕かれ、以前の古いサウロは新しいパウロに生まれ変わりました。
自分が違っていた事に気づくと、パウロはじっとしていませんでした。
過去を反省すると同時に、新しい理想を目指して進もうとする行動の人でした。
すぐに彼は聞き返したのです。
「主よ、私はどうしたらいいのでしょうか」、「立って町へ行きなさい。お前のなすべき事はそこで知らせるであろう。」
パウロはこの答えに力を得え、立ち上がりました。
ダマスコでパウロはまる三日の間、何も食べずに、断食をしながら、深い痛快の涙と共に熱心な祈りを捧げました。
その後、キリストの名を伝えるために、選んだ器となりました。
その翌日からパウロはユダヤ教の会堂に出かけて、キリストが神の子であり、救い主である事をのべ始めました。
パウロの回心の物語は、私達を大きな希望で満たします。
彼はイエスの弟子を迫害し、非常に重大な過ちを犯していました。
それにもかかわらずイエスは彼をあわれみ、全時代を超える最も偉大な聖人の一人とされました。
彼の回心は、イエスの憐みと恵みが最悪の罪人さえも新しく造り変えてしまうという励ましのしるしです。
恵みは律法の業や自分の功徳に左右されず、ユダヤ人と異邦人の差別なく、あらゆる人、あらゆる時代に及びます。
Tadeo sdb
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C7_12.htm#12
より転載
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(使徒行伝 22:3-16)
22:3
そこで彼は言葉をついで言った、「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。
22:4
そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。
22:5
このことは、大祭司も長老たち一同も、証明するところである。さらにわたしは、この人たちからダマスコの同志たちへあてた手紙をもらって、その地にいる者たちを縛りあげ、エルサレムにひっぱってきて、処罰するため、出かけて行った。
22:6
旅をつづけてダマスコの近くにきた時に、真昼ごろ、突然、つよい光が天からわたしをめぐり照した。
22:7
わたしは地に倒れた。そして、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と、呼びかける声を聞いた。
22:8
これに対してわたしは、『主よ、あなたはどなたですか』と言った。すると、その声が、『わたしは、あなたが迫害しているナザレ人イエスである』と答えた。
22:9
わたしと一緒にいた者たちは、その光は見たが、わたしに語りかけたかたの声は聞かなかった。
22:10
わたしが『主よ、わたしは何をしたらよいでしょうか』と尋ねたところ、主は言われた、『起きあがってダマスコに行きなさい。そうすれば、あなたがするように決めてある事が、すべてそこで告げられるであろう』。
22:11
わたしは、光の輝きで目がくらみ、何も見えなくなっていたので、連れの者たちに手を引かれながら、ダマスコに行った。
22:12
すると、律法に忠実で、ダマスコ在住のユダヤ人全体に評判のよいアナニヤという人が、
22:13
わたしのところにきて、そばに立ち、『兄弟サウロよ、見えるようになりなさい』と言った。するとその瞬間に、わたしの目が開いて、彼の姿が見えた。
22:14
彼は言った、『わたしたちの先祖の神が、あなたを選んでみ旨を知らせ、かの義人を見させ、その口から声をお聞かせになった。
22:15
それはあなたが、その見聞きした事につき、すべての人に対して、彼の証人になるためである。
22:16
そこで今、なんのためらうことがあろうか。すぐ立って、み名をとなえてバプテスマを受け、あなたの罪を洗い落しなさい』。
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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posted by marion at 00:32| 千葉 ☀| 本/雑誌
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Today's Bible story *
January 25, 2025
Have a good day!
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Feast of the Conversion of Saint Paul, Apostle
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Gospel : Mark 16:15-18
15 He said to them, “Go into all the world and preach the Good News to the whole creation.
16 He who believes and is baptized will be saved; but he who disbelieves will be condemned.
17 These signs will accompany those who believe: in my name they will cast out demons; they will speak with new languages;
18 they will take up serpents; and if they drink any deadly thing, it will in no way hurt them; they will lay hands on the sick, and they will recover.”
-----
Acts 22:3-16
3 “I am indeed a Jew, born in Tarsus of Cilicia, but brought up in this city at the feet of Gamaliel, instructed according to the strict tradition of the law of our fathers, being zealous for God, even as you all are today.
4 I persecuted this Way to the death, binding and delivering into prisons both men and women,
5 as also the high priest and all the council of the elders testify, from whom also I received letters to the brothers, and traveled to Damascus to bring them also who were there to Jerusalem in bonds to be punished.
6 “As I made my journey and came close to Damascus, about noon suddenly a great light shone around me from the sky.
7 I fell to the ground and heard a voice saying to me, ‘Saul, Saul, why are you persecuting me?’
8 I answered, ‘Who are you, Lord?’ He said to me, ‘I am Jesus of Nazareth, whom you persecute.’
9 “Those who were with me indeed saw the light and were afraid, but they didn’t understand the voice of him who spoke to me.
10 I said, ‘What shall I do, Lord?’ The Lord said to me, ‘Arise, and go into Damascus. There you will be told about all things which are appointed for you to do.’
11 When I couldn’t see for the glory of that light, being led by the hand of those who were with me, I came into Damascus.
12 “One Ananias, a devout man according to the law, well reported of by all the Jews who lived in Damascus,
13 came to me, and standing by me said to me, ‘Brother Saul, receive your sight!’ In that very hour I looked up at him.
14 He said, ‘The God of our fathers has appointed you to know his will, and to see the Righteous One, and to hear a voice from his mouth.
15 For you will be a witness for him to all men of what you have seen and heard.
16 Now why do you wait? Arise, be baptized, and wash away your sins, calling on the name of the Lord.’
-----
* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 25, 2025
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-january-25-2025
◇ Daily Readings January 25, 2025
https://www.usccb.org/bible/readings/012525.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
https://todaysbiblestory.seesaa.net/
-----
Have a good day!
-----
Feast of the Conversion of Saint Paul, Apostle
-----
Gospel : Mark 16:15-18
15 He said to them, “Go into all the world and preach the Good News to the whole creation.
16 He who believes and is baptized will be saved; but he who disbelieves will be condemned.
17 These signs will accompany those who believe: in my name they will cast out demons; they will speak with new languages;
18 they will take up serpents; and if they drink any deadly thing, it will in no way hurt them; they will lay hands on the sick, and they will recover.”
-----
Acts 22:3-16
3 “I am indeed a Jew, born in Tarsus of Cilicia, but brought up in this city at the feet of Gamaliel, instructed according to the strict tradition of the law of our fathers, being zealous for God, even as you all are today.
4 I persecuted this Way to the death, binding and delivering into prisons both men and women,
5 as also the high priest and all the council of the elders testify, from whom also I received letters to the brothers, and traveled to Damascus to bring them also who were there to Jerusalem in bonds to be punished.
6 “As I made my journey and came close to Damascus, about noon suddenly a great light shone around me from the sky.
7 I fell to the ground and heard a voice saying to me, ‘Saul, Saul, why are you persecuting me?’
8 I answered, ‘Who are you, Lord?’ He said to me, ‘I am Jesus of Nazareth, whom you persecute.’
9 “Those who were with me indeed saw the light and were afraid, but they didn’t understand the voice of him who spoke to me.
10 I said, ‘What shall I do, Lord?’ The Lord said to me, ‘Arise, and go into Damascus. There you will be told about all things which are appointed for you to do.’
11 When I couldn’t see for the glory of that light, being led by the hand of those who were with me, I came into Damascus.
12 “One Ananias, a devout man according to the law, well reported of by all the Jews who lived in Damascus,
13 came to me, and standing by me said to me, ‘Brother Saul, receive your sight!’ In that very hour I looked up at him.
14 He said, ‘The God of our fathers has appointed you to know his will, and to see the Righteous One, and to hear a voice from his mouth.
15 For you will be a witness for him to all men of what you have seen and heard.
16 Now why do you wait? Arise, be baptized, and wash away your sins, calling on the name of the Lord.’
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* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 25, 2025
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-january-25-2025
◇ Daily Readings January 25, 2025
https://www.usccb.org/bible/readings/012525.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
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◇ Today's Bible Story
https://todaysbiblestory.seesaa.net/
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posted by marion at 00:17| 千葉 ☀| 本/雑誌
|

2025年01月24日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
年間第2金曜日
聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士(記)
-----
<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:13-19)
さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。
そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、
また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
こうして、この十二人をお立てになった。そしてシモンにペテロという名をつけ、
またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
つぎにアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、
それからイスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。
イエスが家にはいられると、
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:13-19)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_43_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:13-19)
今日の福音ではイエスが弟子たちを選ぶ場面が描かれています。
選ばれた12人は漁師であったり、徴税人であったり、「雷の子ら」と言われる兄弟であったりと、どうみても優れた存在だと思えません。
しかし、彼らはイエスが「これと思う人々」であったわけです。
私たち自身をふりかえってみましょう。なぜ自分が信仰を得たのでしょうか?
考えてみると何か特別だからとか何かに優れているからとかいうわけでは勿論ありません。
それでは、なぜでしょうか?
イエスが私たち一人ひとりを「これと思う人」として呼んでくださったからに他なりません。
信仰は神からの恵みです。
今日もう一度そのことを思い起こし、感謝のうちにこの喜びに生きる一日にしたいものです。
hiro
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_146.htm#43
より転載
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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年間第2金曜日
聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士(記)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:13-19)
さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。
そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、
また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
こうして、この十二人をお立てになった。そしてシモンにペテロという名をつけ、
またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
つぎにアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、
それからイスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。
イエスが家にはいられると、
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:13-19)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_43_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:13-19)
今日の福音ではイエスが弟子たちを選ぶ場面が描かれています。
選ばれた12人は漁師であったり、徴税人であったり、「雷の子ら」と言われる兄弟であったりと、どうみても優れた存在だと思えません。
しかし、彼らはイエスが「これと思う人々」であったわけです。
私たち自身をふりかえってみましょう。なぜ自分が信仰を得たのでしょうか?
考えてみると何か特別だからとか何かに優れているからとかいうわけでは勿論ありません。
それでは、なぜでしょうか?
イエスが私たち一人ひとりを「これと思う人」として呼んでくださったからに他なりません。
信仰は神からの恵みです。
今日もう一度そのことを思い起こし、感謝のうちにこの喜びに生きる一日にしたいものです。
hiro
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_146.htm#43
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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|

Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第2金曜日
聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士(記)
-----
<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:13-19)
3:13
さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。
3:14
そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、
3:15
また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
3:16
こうして、この十二人をお立てになった。そしてシモンにペテロという名をつけ、
3:17
またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
3:18
つぎにアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、
3:19
それからイスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。
イエスが家にはいられると、
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:13-19)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_43_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:13-19)
今日の福音ではイエスが弟子たちを選ぶ場面が描かれています。
選ばれた12人は漁師であったり、徴税人であったり、「雷の子ら」と言われる兄弟であったりと、どうみても優れた存在だと思えません。
しかし、彼らはイエスが「これと思う人々」であったわけです。
私たち自身をふりかえってみましょう。なぜ自分が信仰を得たのでしょうか?
考えてみると何か特別だからとか何かに優れているからとかいうわけでは勿論ありません。
それでは、なぜでしょうか?
イエスが私たち一人ひとりを「これと思う人」として呼んでくださったからに他なりません。
信仰は神からの恵みです。
今日もう一度そのことを思い起こし、感謝のうちにこの喜びに生きる一日にしたいものです。
hiro
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_146.htm#43
より転載
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(ヘブル人への手紙 8:6-13)
8:6
ところがキリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである。それは、さらにまさった約束に基いて立てられた、さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。
8:7
もし初めの契約に欠けたところがなかったなら、あとのものが立てられる余地はなかったであろう。
8:8
ところが、神は彼らを責めて言われた、
「主は言われる、見よ、
わたしがイスラエルの家およびユダの家と、
新しい契約を結ぶ日が来る。
8:9
それは、わたしが彼らの先祖たちの手をとって、
エジプトの地から導き出した日に、
彼らと結んだ契約のようなものではない。
彼らがわたしの契約にとどまることをしないので、
わたしも彼らをかえりみなかったからであると、
主が言われる。
8:10
わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。
すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、
彼らの心に書きつけよう。
こうして、わたしは彼らの神となり、
彼らはわたしの民となるであろう。
8:11
彼らは、それぞれ、その同胞に、
また、それぞれ、その兄弟に、
主を知れ、と言って教えることはなくなる。
なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、
彼らはことごとく、
わたしを知るようになるからである。
8:12
わたしは、彼らの不義をあわれみ、
もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。
8:13
神は、「新しい」と言われたことによって、初めの契約を古いとされたのである。年を経て古びたものは、やがて消えていく。
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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年間第2金曜日
聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士(記)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:13-19)
3:13
さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。
3:14
そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、
3:15
また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
3:16
こうして、この十二人をお立てになった。そしてシモンにペテロという名をつけ、
3:17
またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
3:18
つぎにアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、
3:19
それからイスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。
イエスが家にはいられると、
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:13-19)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_43_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:13-19)
今日の福音ではイエスが弟子たちを選ぶ場面が描かれています。
選ばれた12人は漁師であったり、徴税人であったり、「雷の子ら」と言われる兄弟であったりと、どうみても優れた存在だと思えません。
しかし、彼らはイエスが「これと思う人々」であったわけです。
私たち自身をふりかえってみましょう。なぜ自分が信仰を得たのでしょうか?
考えてみると何か特別だからとか何かに優れているからとかいうわけでは勿論ありません。
それでは、なぜでしょうか?
イエスが私たち一人ひとりを「これと思う人」として呼んでくださったからに他なりません。
信仰は神からの恵みです。
今日もう一度そのことを思い起こし、感謝のうちにこの喜びに生きる一日にしたいものです。
hiro
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_146.htm#43
より転載
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(ヘブル人への手紙 8:6-13)
8:6
ところがキリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである。それは、さらにまさった約束に基いて立てられた、さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。
8:7
もし初めの契約に欠けたところがなかったなら、あとのものが立てられる余地はなかったであろう。
8:8
ところが、神は彼らを責めて言われた、
「主は言われる、見よ、
わたしがイスラエルの家およびユダの家と、
新しい契約を結ぶ日が来る。
8:9
それは、わたしが彼らの先祖たちの手をとって、
エジプトの地から導き出した日に、
彼らと結んだ契約のようなものではない。
彼らがわたしの契約にとどまることをしないので、
わたしも彼らをかえりみなかったからであると、
主が言われる。
8:10
わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。
すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、
彼らの心に書きつけよう。
こうして、わたしは彼らの神となり、
彼らはわたしの民となるであろう。
8:11
彼らは、それぞれ、その同胞に、
また、それぞれ、その兄弟に、
主を知れ、と言って教えることはなくなる。
なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、
彼らはことごとく、
わたしを知るようになるからである。
8:12
わたしは、彼らの不義をあわれみ、
もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。
8:13
神は、「新しい」と言われたことによって、初めの契約を古いとされたのである。年を経て古びたものは、やがて消えていく。
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
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* 口語訳聖書
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|

Today's Bible story *
January 24, 2025
Have a good day!
-----
Memorial of Saint Francis de Sales, Bishop and Doctor of the Church
-----
Gospel : Mark 3:13-19
13 He went up into the mountain and called to himself those whom he wanted, and they went to him.
14 He appointed twelve, that they might be with him, and that he might send them out to preach
15 and to have authority to heal sicknesses and to cast out demons:
16 Simon (to whom he gave the name Peter);
17 James the son of Zebedee; and John, the brother of James, (whom he called Boanerges, which means, Sons of Thunder);
18 Andrew; Philip; Bartholomew; Matthew; Thomas; James, the son of Alphaeus; Thaddaeus; Simon the Zealot;
19 and Judas Iscariot, who also betrayed him.
-----
Hebrews 8:6-13
6 But now he has obtained a more excellent ministry, by as much as he is also the mediator of a better covenant, which on better promises has been given as law.
7 For if that first covenant had been faultless, then no place would have been sought for a second.
8 For finding fault with them, he said,
“Behold, the days are coming”, says the Lord,
“that I will make a new covenant with the house of Israel and with the house of Judah;
9 not according to the covenant that I made with their fathers
in the day that I took them by the hand to lead them out of the land of Egypt;
for they didn’t continue in my covenant,
and I disregarded them,” says the Lord.
10 “For this is the covenant that I will make with the house of Israel
after those days,” says the Lord:
“I will put my laws into their mind;
I will also write them on their heart.
I will be their God,
and they will be my people.
11 They will not teach every man his fellow citizen
and every man his brother, saying, ‘Know the Lord,’
for all will know me,
from their least to their greatest.
12 For I will be merciful to their unrighteousness.
I will remember their sins and lawless deeds no more.”
13 In that he says, “A new covenant”, he has made the first obsolete. But that which is becoming obsolete and grows aged is near to vanishing away.
-----
* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 24, 2025
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-january-24-2025
◇ Daily Readings January 24, 2025
https://www.usccb.org/bible/readings/012425.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
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◇ Today's Bible Story
https://todaysbiblestory.seesaa.net/
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Have a good day!
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Memorial of Saint Francis de Sales, Bishop and Doctor of the Church
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Gospel : Mark 3:13-19
13 He went up into the mountain and called to himself those whom he wanted, and they went to him.
14 He appointed twelve, that they might be with him, and that he might send them out to preach
15 and to have authority to heal sicknesses and to cast out demons:
16 Simon (to whom he gave the name Peter);
17 James the son of Zebedee; and John, the brother of James, (whom he called Boanerges, which means, Sons of Thunder);
18 Andrew; Philip; Bartholomew; Matthew; Thomas; James, the son of Alphaeus; Thaddaeus; Simon the Zealot;
19 and Judas Iscariot, who also betrayed him.
-----
Hebrews 8:6-13
6 But now he has obtained a more excellent ministry, by as much as he is also the mediator of a better covenant, which on better promises has been given as law.
7 For if that first covenant had been faultless, then no place would have been sought for a second.
8 For finding fault with them, he said,
“Behold, the days are coming”, says the Lord,
“that I will make a new covenant with the house of Israel and with the house of Judah;
9 not according to the covenant that I made with their fathers
in the day that I took them by the hand to lead them out of the land of Egypt;
for they didn’t continue in my covenant,
and I disregarded them,” says the Lord.
10 “For this is the covenant that I will make with the house of Israel
after those days,” says the Lord:
“I will put my laws into their mind;
I will also write them on their heart.
I will be their God,
and they will be my people.
11 They will not teach every man his fellow citizen
and every man his brother, saying, ‘Know the Lord,’
for all will know me,
from their least to their greatest.
12 For I will be merciful to their unrighteousness.
I will remember their sins and lawless deeds no more.”
13 In that he says, “A new covenant”, he has made the first obsolete. But that which is becoming obsolete and grows aged is near to vanishing away.
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* The World English Bible
https://ebible.org/web/
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posted by marion at 00:16| 千葉 ☁| 本/雑誌
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2025年01月23日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
年間第2木曜日
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:7-12)
それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、
エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。
イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。
それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。
また、けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで、「あなたこそ神の子です」と言った。
イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らをきびしく戒められた。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:7-12)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_42_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:7-12)
イエスの召命(の自覚)にもし、プロセスがあるとすると、一体どんなものだったのでしょうか?
理想の自分と現実の自分の間に罪に関わる葛藤はなかったものの、「神の子」と呼ばれるという自己超越の段階へ一足飛びで向かうことに待ったをかけられる様子が今日の福音で述べられています。
神の子として生きることがイエスの召命とするなら、彼はそのプロセスを自らの成熟の道程ととらえていたのかもしれません。
自らの類ない召命の完成にむけて、癒しや交わりそして神からの良き知らせを宣言するといった毎日の積み重ねを大事にされた姿が伝わってきます。
イエスはまだまだ、他の町や村に行かなくてはいけないのです。
まだまだ多くの人に神の愛を伝えなくてはいけないのです。
イエス自身の成功や挫折もそこには織り交ざっていることでしょう。
喜びも悲しみも、心地よさも疲れもひっくるめて、イエスは全部受け入れることを良しとしました。
自己超越の体験のまえに十字架があって、その道を今日も歩まれるイエスにわたしの小さな歩みを重ねたいと思います。
きっと力がいただけると信じながら。
若望
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_145.htm#42
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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年間第2木曜日
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:7-12)
それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、
エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。
イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。
それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。
また、けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで、「あなたこそ神の子です」と言った。
イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らをきびしく戒められた。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:7-12)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_42_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:7-12)
イエスの召命(の自覚)にもし、プロセスがあるとすると、一体どんなものだったのでしょうか?
理想の自分と現実の自分の間に罪に関わる葛藤はなかったものの、「神の子」と呼ばれるという自己超越の段階へ一足飛びで向かうことに待ったをかけられる様子が今日の福音で述べられています。
神の子として生きることがイエスの召命とするなら、彼はそのプロセスを自らの成熟の道程ととらえていたのかもしれません。
自らの類ない召命の完成にむけて、癒しや交わりそして神からの良き知らせを宣言するといった毎日の積み重ねを大事にされた姿が伝わってきます。
イエスはまだまだ、他の町や村に行かなくてはいけないのです。
まだまだ多くの人に神の愛を伝えなくてはいけないのです。
イエス自身の成功や挫折もそこには織り交ざっていることでしょう。
喜びも悲しみも、心地よさも疲れもひっくるめて、イエスは全部受け入れることを良しとしました。
自己超越の体験のまえに十字架があって、その道を今日も歩まれるイエスにわたしの小さな歩みを重ねたいと思います。
きっと力がいただけると信じながら。
若望
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_145.htm#42
より転載
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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posted by marion at 11:32| 千葉 ☁| 本/雑誌
|

Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第2木曜日
-----
<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:7-12)
3:7
それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、
3:8
エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。
3:9
イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。
3:10
それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。
3:11
また、けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで、「あなたこそ神の子です」と言った。
3:12
イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らをきびしく戒められた。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:7-12)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_42_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:7-12)
イエスの召命(の自覚)にもし、プロセスがあるとすると、一体どんなものだったのでしょうか?
理想の自分と現実の自分の間に罪に関わる葛藤はなかったものの、「神の子」と呼ばれるという自己超越の段階へ一足飛びで向かうことに待ったをかけられる様子が今日の福音で述べられています。
神の子として生きることがイエスの召命とするなら、彼はそのプロセスを自らの成熟の道程ととらえていたのかもしれません。
自らの類ない召命の完成にむけて、癒しや交わりそして神からの良き知らせを宣言するといった毎日の積み重ねを大事にされた姿が伝わってきます。
イエスはまだまだ、他の町や村に行かなくてはいけないのです。
まだまだ多くの人に神の愛を伝えなくてはいけないのです。
イエス自身の成功や挫折もそこには織り交ざっていることでしょう。
喜びも悲しみも、心地よさも疲れもひっくるめて、イエスは全部受け入れることを良しとしました。
自己超越の体験のまえに十字架があって、その道を今日も歩まれるイエスにわたしの小さな歩みを重ねたいと思います。
きっと力がいただけると信じながら。
若望
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_145.htm#42
より転載
-----
(ヘブル人への手紙 7:25--8:6)
7:25
そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。
7:26
このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。
7:27
彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。
7:28
律法は、弱さを身に負う人間を立てて大祭司とするが、律法の後にきた誓いの御言は、永遠に全うされた御子を立てて、大祭司としたのである。
8:1
以上述べたことの要点は、このような大祭司がわたしたちのためにおられ、天にあって大能者の御座の右に座し、
8:2
人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、ということである。
8:3
おおよそ、大祭司が立てられるのは、供え物やいけにえをささげるためにほかならない。したがって、この大祭司もまた、何かささぐべき物を持っておられねばならない。
8:4
そこで、もし彼が地上におられたなら、律法にしたがって供え物をささげる祭司たちが、現にいるのだから、彼は祭司ではあり得なかったであろう。
8:5
彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」と言われたのである。
8:6
ところがキリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである。それは、さらにまさった約束に基いて立てられた、さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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年間第2木曜日
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:7-12)
3:7
それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、
3:8
エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。
3:9
イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。
3:10
それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。
3:11
また、けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで、「あなたこそ神の子です」と言った。
3:12
イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らをきびしく戒められた。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:7-12)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_42_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:7-12)
イエスの召命(の自覚)にもし、プロセスがあるとすると、一体どんなものだったのでしょうか?
理想の自分と現実の自分の間に罪に関わる葛藤はなかったものの、「神の子」と呼ばれるという自己超越の段階へ一足飛びで向かうことに待ったをかけられる様子が今日の福音で述べられています。
神の子として生きることがイエスの召命とするなら、彼はそのプロセスを自らの成熟の道程ととらえていたのかもしれません。
自らの類ない召命の完成にむけて、癒しや交わりそして神からの良き知らせを宣言するといった毎日の積み重ねを大事にされた姿が伝わってきます。
イエスはまだまだ、他の町や村に行かなくてはいけないのです。
まだまだ多くの人に神の愛を伝えなくてはいけないのです。
イエス自身の成功や挫折もそこには織り交ざっていることでしょう。
喜びも悲しみも、心地よさも疲れもひっくるめて、イエスは全部受け入れることを良しとしました。
自己超越の体験のまえに十字架があって、その道を今日も歩まれるイエスにわたしの小さな歩みを重ねたいと思います。
きっと力がいただけると信じながら。
若望
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_145.htm#42
より転載
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(ヘブル人への手紙 7:25--8:6)
7:25
そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。
7:26
このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。
7:27
彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。
7:28
律法は、弱さを身に負う人間を立てて大祭司とするが、律法の後にきた誓いの御言は、永遠に全うされた御子を立てて、大祭司としたのである。
8:1
以上述べたことの要点は、このような大祭司がわたしたちのためにおられ、天にあって大能者の御座の右に座し、
8:2
人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、ということである。
8:3
おおよそ、大祭司が立てられるのは、供え物やいけにえをささげるためにほかならない。したがって、この大祭司もまた、何かささぐべき物を持っておられねばならない。
8:4
そこで、もし彼が地上におられたなら、律法にしたがって供え物をささげる祭司たちが、現にいるのだから、彼は祭司ではあり得なかったであろう。
8:5
彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」と言われたのである。
8:6
ところがキリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである。それは、さらにまさった約束に基いて立てられた、さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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posted by marion at 00:32| 千葉 ☀| 本/雑誌
|

Today's Bible story *
January 23, 2025
Have a good day!
-----
Thursday of the Second Week in Ordinary Time
-----
Gospel : Mark 3:7-12
7 Jesus withdrew to the sea with his disciples; and a great multitude followed him from Galilee, from Judea,
8 from Jerusalem, from Idumaea, beyond the Jordan, and those from around Tyre and Sidon. A great multitude, hearing what great things he did, came to him.
9 He spoke to his disciples that a little boat should stay near him because of the crowd, so that they wouldn’t press on him.
10 For he had healed many, so that as many as had diseases pressed on him that they might touch him.
11 The unclean spirits, whenever they saw him, fell down before him and cried, “You are the Son of God!”
12 He sternly warned them that they should not make him known.
-----
Hebrews 7:25--8:6
7:25 Therefore he is also able to save to the uttermost those who draw near to God through him, seeing that he lives forever to make intercession for them.
26 For such a high priest was fitting for us: holy, guiltless, undefiled, separated from sinners, and made higher than the heavens;
27 who doesn’t need, like those high priests, to offer up sacrifices daily, first for his own sins, and then for the sins of the people. For he did this once for all, when he offered up himself.
28 For the law appoints men as high priests who have weakness, but the word of the oath, which came after the law, appoints a Son forever who has been perfected.
8:1 Now in the things which we are saying, the main point is this: we have such a high priest, who sat down on the right hand of the throne of the Majesty in the heavens,
2 a servant of the sanctuary and of the true tabernacle which the Lord pitched, not man.
3 For every high priest is appointed to offer both gifts and sacrifices. Therefore it is necessary that this high priest also have something to offer.
4 For if he were on earth, he would not be a priest at all, seeing there are priests who offer the gifts according to the law,
5 who serve a copy and shadow of the heavenly things, even as Moses was warned by God when he was about to make the tabernacle, for he said, “See, you shall make everything according to the pattern that was shown to you on the mountain.”
6 But now he has obtained a more excellent ministry, by as much as he is also the mediator of a better covenant, which on better promises has been given as law.
-----
* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 23, 2025
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-january-23-2025
◇ Daily Readings January 23, 2025
https://www.usccb.org/bible/readings/012325.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
https://todaysbiblestory.seesaa.net/
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Have a good day!
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Thursday of the Second Week in Ordinary Time
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Gospel : Mark 3:7-12
7 Jesus withdrew to the sea with his disciples; and a great multitude followed him from Galilee, from Judea,
8 from Jerusalem, from Idumaea, beyond the Jordan, and those from around Tyre and Sidon. A great multitude, hearing what great things he did, came to him.
9 He spoke to his disciples that a little boat should stay near him because of the crowd, so that they wouldn’t press on him.
10 For he had healed many, so that as many as had diseases pressed on him that they might touch him.
11 The unclean spirits, whenever they saw him, fell down before him and cried, “You are the Son of God!”
12 He sternly warned them that they should not make him known.
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Hebrews 7:25--8:6
7:25 Therefore he is also able to save to the uttermost those who draw near to God through him, seeing that he lives forever to make intercession for them.
26 For such a high priest was fitting for us: holy, guiltless, undefiled, separated from sinners, and made higher than the heavens;
27 who doesn’t need, like those high priests, to offer up sacrifices daily, first for his own sins, and then for the sins of the people. For he did this once for all, when he offered up himself.
28 For the law appoints men as high priests who have weakness, but the word of the oath, which came after the law, appoints a Son forever who has been perfected.
8:1 Now in the things which we are saying, the main point is this: we have such a high priest, who sat down on the right hand of the throne of the Majesty in the heavens,
2 a servant of the sanctuary and of the true tabernacle which the Lord pitched, not man.
3 For every high priest is appointed to offer both gifts and sacrifices. Therefore it is necessary that this high priest also have something to offer.
4 For if he were on earth, he would not be a priest at all, seeing there are priests who offer the gifts according to the law,
5 who serve a copy and shadow of the heavenly things, even as Moses was warned by God when he was about to make the tabernacle, for he said, “See, you shall make everything according to the pattern that was shown to you on the mountain.”
6 But now he has obtained a more excellent ministry, by as much as he is also the mediator of a better covenant, which on better promises has been given as law.
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* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 23, 2025
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-january-23-2025
◇ Daily Readings January 23, 2025
https://www.usccb.org/bible/readings/012325.cfm
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2025年01月22日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
年間第2水曜日
(聖ヴィンチェンツィオ助祭殉教者)
-----
<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:1-6)
イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人がいた。
人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人をいやされるかどうかをうかがっていた。
すると、イエスは片手のなえたその人に、「立って、中へ出てきなさい」と言い、
人々にむかって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは黙っていた。
イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。
パリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちと、なんとかしてイエスを殺そうと相談しはじめた。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:1-6)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_41_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:1-6)
今日の福音は、マルコ独特のイエス描写が印象的です。
「イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら・・・」イエスは怒りを感じています。
そして 怒りのこもったまなざしで人々を見回します。
「イエスが怒るのはちょっと都合が悪い・・・」と思われる方もいらっしゃると思いますが、イエスも怒るのです。
では、何に対して怒ったのか。人々のかたくなな心に対して。
では、かたくなさとは何か。人々のかたくなさとは、恐らくこういうことではないかと思います。
人々も、ファリサイ派の人々も、ヘロデ派の人々も、イエスの問い「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」に対する答えを知っているのです。
もちろん、善を行うことであり、命を救うことです。こんなことは誰でも分かる。
しかし、彼らは「黙っていた。」イエスを陥れるために。
彼らの中にはそれ以外の思いはありません。
片手が萎えて何年も辛い思いをしてきた人のことは眼中にありません。
いや、むしろ、その人の辛い人生を利用してイエスを試し、陥れようとしているのです。
イエスの怒りは この心のかたくなさに向けられていると考えられます。
私たちの心の動きに、似たようなことはないかどうか、もう一度反省したいものです。
John Goto
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_144.htm#41
より転載
-----
†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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年間第2水曜日
(聖ヴィンチェンツィオ助祭殉教者)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:1-6)
イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人がいた。
人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人をいやされるかどうかをうかがっていた。
すると、イエスは片手のなえたその人に、「立って、中へ出てきなさい」と言い、
人々にむかって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは黙っていた。
イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。
パリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちと、なんとかしてイエスを殺そうと相談しはじめた。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:1-6)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_41_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:1-6)
今日の福音は、マルコ独特のイエス描写が印象的です。
「イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら・・・」イエスは怒りを感じています。
そして 怒りのこもったまなざしで人々を見回します。
「イエスが怒るのはちょっと都合が悪い・・・」と思われる方もいらっしゃると思いますが、イエスも怒るのです。
では、何に対して怒ったのか。人々のかたくなな心に対して。
では、かたくなさとは何か。人々のかたくなさとは、恐らくこういうことではないかと思います。
人々も、ファリサイ派の人々も、ヘロデ派の人々も、イエスの問い「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」に対する答えを知っているのです。
もちろん、善を行うことであり、命を救うことです。こんなことは誰でも分かる。
しかし、彼らは「黙っていた。」イエスを陥れるために。
彼らの中にはそれ以外の思いはありません。
片手が萎えて何年も辛い思いをしてきた人のことは眼中にありません。
いや、むしろ、その人の辛い人生を利用してイエスを試し、陥れようとしているのです。
イエスの怒りは この心のかたくなさに向けられていると考えられます。
私たちの心の動きに、似たようなことはないかどうか、もう一度反省したいものです。
John Goto
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_144.htm#41
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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Kyohno Seisho Monogatari
良い一日を過ごしましょう!
年間第2水曜日
(聖ヴィンチェンツィオ助祭殉教者)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:1-6)
3:1
イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人がいた。
3:2
人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人をいやされるかどうかをうかがっていた。
3:3
すると、イエスは片手のなえたその人に、「立って、中へ出てきなさい」と言い、
3:4
人々にむかって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは黙っていた。
3:5
イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。
3:6
パリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちと、なんとかしてイエスを殺そうと相談しはじめた。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:1-6)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_41_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:1-6)
今日の福音は、マルコ独特のイエス描写が印象的です。
「イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら・・・」イエスは怒りを感じています。
そして 怒りのこもったまなざしで人々を見回します。
「イエスが怒るのはちょっと都合が悪い・・・」と思われる方もいらっしゃると思いますが、イエスも怒るのです。
では、何に対して怒ったのか。人々のかたくなな心に対して。
では、かたくなさとは何か。人々のかたくなさとは、恐らくこういうことではないかと思います。
人々も、ファリサイ派の人々も、ヘロデ派の人々も、イエスの問い「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」に対する答えを知っているのです。
もちろん、善を行うことであり、命を救うことです。こんなことは誰でも分かる。
しかし、彼らは「黙っていた。」イエスを陥れるために。
彼らの中にはそれ以外の思いはありません。
片手が萎えて何年も辛い思いをしてきた人のことは眼中にありません。
いや、むしろ、その人の辛い人生を利用してイエスを試し、陥れようとしているのです。
イエスの怒りは この心のかたくなさに向けられていると考えられます。
私たちの心の動きに、似たようなことはないかどうか、もう一度反省したいものです。
John Goto
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_144.htm#41
より転載
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(ヘブル人への手紙 7:1-3, 15-17)
7:1
このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司であったが、王たちを撃破して帰るアブラハムを迎えて祝福し、
7:2
それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。
7:3
彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。
7:15
そしてこの事は、メルキゼデクと同様な、ほかの祭司が立てられたことによって、ますます明白になる。
7:16
彼は、肉につける戒めの律法によらないで、朽ちることのないいのちの力によって立てられたのである。
7:17
それについては、聖書に「あなたこそは、永遠に、メルキゼデクに等しい祭司である」とあかしされている。
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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年間第2水曜日
(聖ヴィンチェンツィオ助祭殉教者)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:1-6)
3:1
イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人がいた。
3:2
人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人をいやされるかどうかをうかがっていた。
3:3
すると、イエスは片手のなえたその人に、「立って、中へ出てきなさい」と言い、
3:4
人々にむかって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは黙っていた。
3:5
イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。
3:6
パリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちと、なんとかしてイエスを殺そうと相談しはじめた。
-----
<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:1-6)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_41_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:1-6)
今日の福音は、マルコ独特のイエス描写が印象的です。
「イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら・・・」イエスは怒りを感じています。
そして 怒りのこもったまなざしで人々を見回します。
「イエスが怒るのはちょっと都合が悪い・・・」と思われる方もいらっしゃると思いますが、イエスも怒るのです。
では、何に対して怒ったのか。人々のかたくなな心に対して。
では、かたくなさとは何か。人々のかたくなさとは、恐らくこういうことではないかと思います。
人々も、ファリサイ派の人々も、ヘロデ派の人々も、イエスの問い「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」に対する答えを知っているのです。
もちろん、善を行うことであり、命を救うことです。こんなことは誰でも分かる。
しかし、彼らは「黙っていた。」イエスを陥れるために。
彼らの中にはそれ以外の思いはありません。
片手が萎えて何年も辛い思いをしてきた人のことは眼中にありません。
いや、むしろ、その人の辛い人生を利用してイエスを試し、陥れようとしているのです。
イエスの怒りは この心のかたくなさに向けられていると考えられます。
私たちの心の動きに、似たようなことはないかどうか、もう一度反省したいものです。
John Goto
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_144.htm#41
より転載
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(ヘブル人への手紙 7:1-3, 15-17)
7:1
このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司であったが、王たちを撃破して帰るアブラハムを迎えて祝福し、
7:2
それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。
7:3
彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。
7:15
そしてこの事は、メルキゼデクと同様な、ほかの祭司が立てられたことによって、ますます明白になる。
7:16
彼は、肉につける戒めの律法によらないで、朽ちることのないいのちの力によって立てられたのである。
7:17
それについては、聖書に「あなたこそは、永遠に、メルキゼデクに等しい祭司である」とあかしされている。
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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Today's Bible story *
January 22, 2025
Have a good day!
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Day of Prayer for the Legal Protection of Unborn Children
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Gospel : Mark 3:1-6
1 He entered again into the synagogue, and there was a man there whose hand was withered.
2 They watched him, whether he would heal him on the Sabbath day, that they might accuse him.
3 He said to the man whose hand was withered, “Stand up.”
4 He said to them, “Is it lawful on the Sabbath day to do good or to do harm? To save a life or to kill?” But they were silent.
5 When he had looked around at them with anger, being grieved at the hardening of their hearts, he said to the man, “Stretch out your hand.” He stretched it out, and his hand was restored as healthy as the other.
6 The Pharisees went out, and immediately conspired with the Herodians against him, how they might destroy him.
-----
Hebrews 7:1-3, 15-17
1 For this Melchizedek, king of Salem, priest of God Most High, who met Abraham returning from the slaughter of the kings and blessed him,
2 to whom also Abraham divided a tenth part of all (being first, by interpretation, “king of righteousness”, and then also “king of Salem”, which means “king of peace”,
3 without father, without mother, without genealogy, having neither beginning of days nor end of life, but made like the Son of God), remains a priest continually.
15 This is yet more abundantly evident, if after the likeness of Melchizedek there arises another priest,
16 who has been made, not after the law of a fleshly commandment, but after the power of an endless life;
17 for it is testified,
“You are a priest forever,
according to the order of Melchizedek.”
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* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 22, 2025
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-january-22-2025
◇ Daily Readings January 22, 2025
https://www.usccb.org/bible/readings/012225.cfm
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
◇ Today's Bible Story
https://todaysbiblestory.seesaa.net/
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Have a good day!
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Day of Prayer for the Legal Protection of Unborn Children
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Gospel : Mark 3:1-6
1 He entered again into the synagogue, and there was a man there whose hand was withered.
2 They watched him, whether he would heal him on the Sabbath day, that they might accuse him.
3 He said to the man whose hand was withered, “Stand up.”
4 He said to them, “Is it lawful on the Sabbath day to do good or to do harm? To save a life or to kill?” But they were silent.
5 When he had looked around at them with anger, being grieved at the hardening of their hearts, he said to the man, “Stretch out your hand.” He stretched it out, and his hand was restored as healthy as the other.
6 The Pharisees went out, and immediately conspired with the Herodians against him, how they might destroy him.
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Hebrews 7:1-3, 15-17
1 For this Melchizedek, king of Salem, priest of God Most High, who met Abraham returning from the slaughter of the kings and blessed him,
2 to whom also Abraham divided a tenth part of all (being first, by interpretation, “king of righteousness”, and then also “king of Salem”, which means “king of peace”,
3 without father, without mother, without genealogy, having neither beginning of days nor end of life, but made like the Son of God), remains a priest continually.
15 This is yet more abundantly evident, if after the likeness of Melchizedek there arises another priest,
16 who has been made, not after the law of a fleshly commandment, but after the power of an endless life;
17 for it is testified,
“You are a priest forever,
according to the order of Melchizedek.”
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* The World English Bible
https://ebible.org/web/
◇ Daily Mass Reading Podcast For January 22, 2025
https://bible.usccb.org/podcasts/audio/daily-mass-reading-podcast-january-22-2025
◇ Daily Readings January 22, 2025
https://www.usccb.org/bible/readings/012225.cfm
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posted by marion at 00:16| 千葉 ☁| 本/雑誌
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2025年01月21日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
良い一日を過ごしましょう!
年間第2火曜日
聖アグネスおとめ殉教者(記)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 2:23-28)
ある安息日に、イエスは麦畑の中をとおって行かれた。そのとき弟子たちが、歩きながら穂をつみはじめた。
すると、パリサイ人たちがイエスに言った、「いったい、彼らはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのですか」。
そこで彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが食物がなくて飢えたとき、ダビデが何をしたか、まだ読んだことがないのか。
すなわち、大祭司アビアタルの時、神の家にはいって、祭司たちのほか食べてはならぬ供えのパンを、自分も食べ、また供の者たちにも与えたではないか」。
また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。
それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 2:23-28)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_40_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 2:23-28)
安息日に守らなければならない規則がたくさんあります。なぜでしょう。
今日、わたしたちは主イエスが語る言葉に耳を傾けています。安息日は、人のために定められた。
人が安息日のためにあるのではない」と。
いつだったか「正しいことも愛をもって行いなさい」という言葉が心に響きました。
正しいことを規則通りに、決まっていることとして行うだけでなく、愛をもって・・・というのが大切でしょう。
わたしたちは主イエスの言葉に耳を傾けます。安息日の主でありますから。
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_143.htm#40
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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年間第2火曜日
聖アグネスおとめ殉教者(記)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 2:23-28)
ある安息日に、イエスは麦畑の中をとおって行かれた。そのとき弟子たちが、歩きながら穂をつみはじめた。
すると、パリサイ人たちがイエスに言った、「いったい、彼らはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのですか」。
そこで彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが食物がなくて飢えたとき、ダビデが何をしたか、まだ読んだことがないのか。
すなわち、大祭司アビアタルの時、神の家にはいって、祭司たちのほか食べてはならぬ供えのパンを、自分も食べ、また供の者たちにも与えたではないか」。
また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。
それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 2:23-28)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_40_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 2:23-28)
安息日に守らなければならない規則がたくさんあります。なぜでしょう。
今日、わたしたちは主イエスが語る言葉に耳を傾けています。安息日は、人のために定められた。
人が安息日のためにあるのではない」と。
いつだったか「正しいことも愛をもって行いなさい」という言葉が心に響きました。
正しいことを規則通りに、決まっていることとして行うだけでなく、愛をもって・・・というのが大切でしょう。
わたしたちは主イエスの言葉に耳を傾けます。安息日の主でありますから。
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_143.htm#40
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/
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posted by marion at 11:32| 千葉 ☔| 本/雑誌
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