今日 5月25日(月)も良い日でありますように。
(聖ベダ司教教会博士)
(聖グレゴリオ7世教皇)
(聖マリア・マグダレナ −パッジ− おとめ)
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☆今日の聖書物語
マルコによる福音 10:17-27
イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。
イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。
いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。
すると、彼は言った、「先生、それらの事はみな、小さい時から守っております」。
イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
それから、イエスは見まわして、弟子たちに言われた、「財産のある者が神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」。
弟子たちはこの言葉に驚き怪しんだ。イエスは更に言われた、「子たちよ、神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう。
富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
すると彼らはますます驚いて、互に言った、「それでは、だれが救われることができるのだろう」。
イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。
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☆今日の『み言葉』
マルコによる福音 10:17-27
昨晩、全ての仕事を終え、疲れきった身体に鞭打って5人分の夕食の皿洗いをしました。「誰もやらなければ、しょうがない」って、兄弟愛のありがたみにブツクサ文句を言っていたのも束の間、「でも…人間やっぱり、自分が疲れた時だからこそ謙虚になって、人の笑顔をつくれるような事を進んでやらないといけないよなぁ〜」って思いつつ皿を洗っていると、『行って、持っているものをことごとく売り、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を蓄えることになる。それから、私に従いなさい』と言う福音の箇所が脳裏に飛び込んできたのです。
一日の司牧で自分の持っているものをことごとく使い切った後、自分の中には疲れだけが残っている“もう何もしたくない状態”……でした。「私は疲れたけれども、他の人の笑顔がつくれるならば…」って思えた時に、「もうちょっとやってみよう!」と皿洗いに力が沸いてきた!!!……「今日一日、ことごとく持っているものを使ってくれたよね…でも、もうちょっと“善い”ことをしてくれる???」という働きかけが、辛く感じる時(=らくだが針の穴を通る痛み)にこそイエス様から起こるから、それに応えてみる……!イエス様の事を金持ちの青年は「善い」と言った理由が、昨晩、なんだか理解できました。
『持っているものをことごとく施しなさい……それから、私に従いなさい』とイエス様は言います。全てを使い切って何もなくなった後にこそ、本当にイエス様に従っていくことも出来てくるのでしょうね……きっと……。
FR.NAO
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_178.htm#75
より転載
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◇ May 25, 2015 Daily Mass Reading
http://ccc.usccb.org/cccradio/NABPodcasts/15_05_25.mp3
◇ Daily Readings May 25, 2015
http://www.usccb.org/bible/readings/052515.cfm
†主の平安
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2015年05月25日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
posted by marion at 11:30| 千葉 ☁| 本/雑誌
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