今日 10月21日(水)も良い日でありますように。
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☆今日の聖書物語
ルカによる福音 12:39-48
このことを、わきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、自分の家に押し入らせはしないであろう。
あなたがたも用意していなさい。思いがけない時に人の子が来るからである」。
するとペテロが言った、「主よ、この譬を話しておられるのはわたしたちのためなのですか。それとも、みんなの者のためなのですか」。
そこで主が言われた、「主人が、召使たちの上に立てて、時に応じて定めの食事をそなえさせる忠実な思慮深い家令は、いったいだれであろう。
主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。
よく言っておくが、主人はその僕を立てて自分の全財産を管理させるであろう。
しかし、もしその僕が、主人の帰りがおそいと心の中で思い、男女の召使たちを打ちたたき、そして食べたり、飲んだりして酔いはじめるならば、
その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰って来るであろう。そして、彼を厳罰に処して、不忠実なものたちと同じ目にあわせるであろう。
主人のこころを知っていながら、それに従って用意もせず勤めもしなかった僕は、多くむち打たれるであろう。
しかし、知らずに打たれるようなことをした者は、打たれ方が少ないだろう。多く与えられた者からは多く求められ、多く任せられた者からは更に多く要求されるのである。
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☆今日の『み言葉』
ルカによる福音 12:39-48
「人の子は思いがけない時に来る」。これはもちろん終末の出来事のことが言われているのであろう。しかしイエスが私たちのところに来られるというのは、日常の人間の時間の中に突然神の時が訪れる、そういうことも表していると言える。神の時、つまりイエスが私たちに働きかける時は突然訪れるのだ。
日常生活において、人間の計算を超えたところで、イエスは私たちのところに来られ、私たちに働きかけ、話しかけ、導いてくださる。時にはそれは、自分の無力さを痛感し自信やプライドが大きく揺らぐ時かもしれない。または優しさや愛に触れ、心が大きく動かされる時かもしれない。とにかく、イエスが私たちのところに来てくださるのは、私たちの予想を越えた思いがけない時なのだ。
私たちにとって大切なのは、このイエスの働きかけに気づけるかどうか、そしてそれに応えられるかどうかということだ。私たちは多くの場合、それに気づかずにただ嘆いたり、素通りしたりしていることが多いのかもしれない。いつイエス様が来られてもいつでも対応できるように、いつでも準備ができている生活を送ることが大切だ。勝負は日常生活にある。いつも神様とつながっている生活、神様を中心にした生き方、それを心がけていきたい。
Tsujiie
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_306.htm#235
より転載
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◇ October 21, 2015 Daily Mass Reading
http://ccc.usccb.org/cccradio/NABPodcasts/15_10_21.mp3
◇ Daily Readings October 21, 2015
http://www.usccb.org/bible/readings/102115.cfm
†主の平安
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2015年10月21日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
posted by marion at 11:30| 千葉 ☁| 本/雑誌
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