今日 10月24日(土)も良い日でありますように。
(聖アントニオ・マリア・クラレ司教)
(聖母の土曜日)
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☆今日の聖書物語
ルカによる福音 13:1-9
ちょうどその時、ある人々がきて、ピラトがガリラヤ人たちの血を流し、それを彼らの犠牲の血に混ぜたことを、イエスに知らせた。
そこでイエスは答えて言われた、「それらのガリラヤ人が、そのような災難にあったからといって、他のすべてのガリラヤ人以上に罪が深かったと思うのか。
あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。
また、シロアムの塔が倒れたためにおし殺されたあの十八人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか。
あなたがたに言うが、そうではない。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」。
それから、この譬を語られた、「ある人が自分のぶどう園にいちじくの木を植えて置いたので、実を捜しにきたが見つからなかった。
そこで園丁に言った、『わたしは三年間も実を求めて、このいちじくの木のところにきたのだが、いまだに見あたらない。その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか』。
すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。
それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。
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☆今日の『み言葉』
ルカによる福音 13:1-9
ぶどう園の主人が植えたイチジクの実を探しに3年通っているというたとえ話が出てくる。次のように読み替えると味わいが違ってくるように思う。
ぶどう園の主人=父なる神様。ぶどう園=教会、または世界。イチジクの木=私。園丁=イエス様。父なる神様は私をこの世に、この教会に遣わされ、成果を待っておられる。しかし、何の成果も上げられない私。そんな私を見捨てないでと父なる神様に取り次ぐイエス様。そのイエス様はいろいろな手立てを準備して(御聖体、許しの秘蹟など)、わたしが実を結ぶよう取り計らってくださっている。
待ってくださる父なる神様、世話をしてくださるイエス様に感謝し、聖なる人となるよう、回心の道を歩み始めましょう!
国松神父
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_309.htm#238
より転載
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◇ October 24, 2015 Daily Mass Reading
http://ccc.usccb.org/cccradio/NABPodcasts/15_10_24.mp3
◇ Daily Readings October 24, 2015
http://www.usccb.org/bible/readings/102415.cfm
†主の平安
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2015年10月24日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
posted by marion at 11:30| 千葉 🌁| 本/雑誌
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