2015年10月27日

Kyohno Seisho Monogatari (s)

今日 10月27日(火)も良い日でありますように。

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☆今日の聖書物語

ルカによる福音 13:18-21

 そこで言われた、「神の国は何に似ているか。またそれを何にたとえようか。

 一粒のからし種のようなものである。ある人がそれを取って庭にまくと、育って木となり、空の鳥もその枝に宿るようになる」。

 また言われた、「神の国を何にたとえようか。

 パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」。

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☆今日の『み言葉』

ルカによる福音 13:18-21

 福音はルカから「からし種とパン種のたとえ」でした。この二つの喩は神の国の喩ですが、始めの行「そこで、イエスは言われた(毎日のミサでは、「その時、イエスは言われた」)」の「そこで」が「それ故」或いは「従って」と言う語ですから、先行の安息日の癒しの意味を説明する役割を持っています。

 ここでの二つの喩は、その中心が小さな初めと大きな終わりと言うコントラストにあります。これを安息日の癒しに応用すると、18年間も病魔に犯されて腰の曲がっていた女が、イエスの言葉の介入によって一瞬の内に真っ直ぐになると言う、古い惨めさから新しい完全さへの転換のコントラストは、見えざる神の国の実現の見える徴です。それは人目には小さく惨めなからし種が空の鳥も巣を作るほど大きくなり、僅かなパン種が3サトンの粉を膨らまして、沢山のパンを作ると言うコントラストに似ています。そして先の癒しは、安息日の癒しとしての問題性を抱えて居るので、後の二つの喩にはもう一つの意味が在ります。

 イエスの神の支配ッ神の国は、律法の遵守によって来るものでは無く、律法の枠内に閉じ込められるものでも無く、ユダヤ民族内に限定されるものでも有りません。からし種に於いて「木の枝に空の鳥が巣を作る」と言う表象は、旧約における異邦人の表象です。これによって神の支配がユダヤ民族に限定されない事が示唆されます。パン種の喩の場合も僅かなパン種が3サトンの粉を膨らませて沢山のパンになると言う時、無数の多くの人々が神の国を受ける事を意味し、これはイエスが神の国を教えて殆ど成功しなかった、ユダヤ民族の限界を超える可能性を示しています。

飯田 徹

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_311.htm#240
より転載

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◇ October 27, 2015 Daily Mass Reading
http://ccc.usccb.org/cccradio/NABPodcasts/15_10_27.mp3

◇ Daily Readings October 27, 2015
http://www.usccb.org/bible/readings/102715.cfm

†主の平安

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posted by marion at 11:31| 千葉 ☀| 本/雑誌 | 更新情報をチェックする