2017年12月29日

 Kyohno Seisho Monogatari (s)

今日も一日良い日でありますように!

(聖トマス・ベケット司教殉教者)

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☆今日の聖書物語 *

ルカによる福音 2:22-35

 それから、モーセの律法による彼らのきよめの期間が過ぎたとき、両親は幼な子を連れてエルサレムへ上った。

 それは主の律法に「母の胎を初めて開く男の子はみな、主に聖別された者と、となえられねばならない」と書いてあるとおり、幼な子を主にささげるためであり、

 また同じ主の律法に、「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定めてあるのに従って、犠牲をささげるためであった。

 その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。

 そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。

 この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、

 シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、

 「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに
この僕を安らかに去らせてくださいます、

 わたしの目が今あなたの救を見たのですから。

 この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、

 異邦人を照す啓示の光、
み民イスラエルの栄光であります」。

 父と母とは幼な子についてこのように語られたことを、不思議に思った。

 するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。--

 そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。--それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです」。

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☆今日の『み言葉』

ルカによる福音 2:22-35

 シメオンは、マリアとヨセフに向かって、祝福の言葉を述べ、この幼子イエスは「多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められている」と述べます。イエスによってもたらされる福音は、ある人にとっては耳に痛い言葉であり、反対を引き起こすことになるということです。イエスに出会うことによって「心にある思いがあらわにされる」のです。このイエスの前に立った時、それを受け入れるか、拒むかがはっきりするわけです。私たちは、「自分は果たして、本当にイエスの福音を信じて歩んでいるのか、それともそれを否定して歩んでいるのか」ということを、福音の光に照らされながら、自分の心に聞いてみることが大切だと思います。

 イエスの示す道は、時々、闇のように見えるものです。なぜならそれは十字架の道だからです。しかし「その十字架を通ってしかイエスの示した救いはない」と聖書では言われています。シメオンは、マリアに向かって「あなた自身の心も剣で刺し貫かれます」と言って、ヨゼフとマリアを祝福しますが、ここでは、イエスの十字架上の苦難を共に苦しむ姿勢がほめたたえられているわけです。神の導きに従って、十字架の道に踏み出し、ここにこそ神の救いがあるのだと信じて歩むこと、これが、マリアとヨゼフ、そして何よりもイエスの姿勢です。聖家族の姿というのはここにあるのです。私たちもこの姿を模範として、日々、信仰の歩みを歩んでいくようにしましょう。

Tsujiie

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_33.htm#25
より転載

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◇ December 29, 2017 Daily Mass Reading
http://ccc.usccb.org/cccradio/NABPodcasts/17_12_29.mp3

◇ Daily Readings December 29, 2017
http://www.usccb.org/bible/readings/122917.cfm

†主の平安

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posted by marion at 11:31| 千葉 ☀| 本/雑誌 | 更新情報をチェックする