2019年04月23日

 Kyohno Seisho Monogatari (s)

今日も一日良い日でありますように!

復活の火曜日

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☆今日の聖書物語 *

ヨハネによる福音 20:11-18

 しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、

 白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。

 すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。

 そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。

 イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。

 イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。

 イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。

 マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。

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☆今日の『み言葉』

ヨハネによる福音 20:11-18

 マグダラのマリアは、復活されたイエス様と出会いますが、それがイエス様だとは気づくことが出来ませんでした。イエス様の御遺体に香料を塗ろうと、週の初めの日の明け方早く(ルカ24:1)に墓場に来るほど、深くイエス様のことを愛していたにもかかわらず、イエス様の姿を見ても気付かなかったのです。まだ、復活の意味をよく理解しておらず、真に「復活」を信じることが出来ていないことによって、目が遮られていたからでしょう。

 復活された主は、今も生きておられます。私たちのうちにも生きておられます。その生きておられるイエス様の姿を私たちはしっかりと認識しているでしょうか。

 この復活節、復活に対する信仰に磨きをかけて、まだまだ私たちが気付かないでいるイエス様の姿をしっかりと見つけ、見ることが出来るようになりたいものです。そして私たちもマグダラのマリアのように、「私は主を見ました!」と出会う人々に証しできる者となれますように・・・。

mickey sdb

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_93.htm#123
より転載

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◇ April 23, 2019 Daily Mass Reading
http://ccc.usccb.org/cccradio/NABPodcasts/2019/19_04_23.mp3

◇ Daily Readings April 23, 2019
http://www.usccb.org/bible/readings/042319.cfm

†主の平安

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posted by marion at 11:38| 千葉 ☀| 本/雑誌 | 更新情報をチェックする