良い一日を過ごしましょう!
年間第25木曜日
聖トマス西と15殉教者(記)
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<今日の聖書物語 *>
(ルカによる福音 9:7-9)
9:7
さて、領主ヘロデはいろいろな出来事を耳にして、あわて惑っていた。それは、ある人たちは、ヨハネが死人の中からよみがえったと言い、
9:8
またある人たちは、エリヤが現れたと言い、またほかの人たちは、昔の預言者のひとりが復活したのだと言っていたからである。
9:9
そこでヘロデが言った、「ヨハネはわたしがすでに首を切ったのだが、こうしてうわさされているこの人は、いったい、だれなのだろう」。そしてイエスに会ってみようと思っていた。
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<今日の『み言葉』>
み言葉について
(ルカによる福音 9:7-9)
この箇所では、ヘロデ王の耳に入ってきた、イエスの噂について語られています。
ある人は、「イエスは洗礼者ヨハネの生き返り」だと考え、またある人は、「エリヤが現れたのだ」と考え、そしてまたある人は、「昔の預言者の一人だ」と考えておりました。
これを見るときに、当時の人々のイエスに対する見方というのが、非常に乏しく、偏っていたものであったことが分かります。
けれども現代の一般の人々の考えでも、この程度の答えしか出てこないように思います。
しかしキリスト者である私たちは、そうであってはいけないでしょう。
イエスという方の本質を「あの人がこう言っているから」とか「みんながそう思っているから」といったように人の言うことや噂だけで決めつけるのは危険です。
そのような見方では、イエスという方はただ特別な任務をもって、神から遣わされた一人の人間としか捉えることができないからです。
その反対にペトロのように、自分の体験や霊的な目でイエスを見続けるならば、自分にとって、イエスを救い主として信じ、受け止めることができるのではないでしょうか。
つまり自分にとってイエスという方がどのような方なのか、ということを私たちも弟子たちのように追求し続けていかなければならないということです。
NICCHI
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_283.htm#332
より転載
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(ハガイ書 1:1-8)
1:1
ダリヨス王の二年六月、その月の一日に、主の言葉が預言者ハガイによって、シャルテルの子、ユダの総督ゼルバベル、およびヨザダクの子、大祭司ヨシュアに臨んだ、
1:2
「万軍の主はこう言われる、この民は、主の家を再び建てる時は、まだこないと言っている」。
1:3
そこで、主の言葉はまた預言者ハガイに臨んだ、
1:4
「主の家はこのように荒れはてているのに、あなたがたは、みずから板で張った家に住んでいる時であろうか。
1:5
それで今、万軍の主はこう言われる、あなたがたは自分のなすべきことをよく考えるがよい。
1:6
あなたがたは多くまいても、取入れは少なく、食べても、飽きることはない。飲んでも、満たされない。着ても、暖まらない。賃銀を得ても、これを破れた袋に入れているようなものである。
1:7
万軍の主はこう言われる、あなたがたは、自分のなすべきことを考えるがよい。
1:8
山に登り、木を持ってきて主の家を建てよ。そうすればわたしはこれを喜び、かつ栄光のうちに現れると主は言われる。
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/
☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html
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2023年09月28日
Kyohno Seisho Monogatari
posted by marion at 00:32| 千葉 ☁| 本/雑誌
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