2023年09月30日

 Kyohno Seisho Monogatari

良い一日を過ごしましょう!

年間第25土曜日

聖ヒエロニモ司祭教会博士(記)

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<今日の聖書物語 *>

(ルカによる福音 9:43b-45)

9:43b
 みんなの者がイエスのしておられた数々の事を不思議に思っていると、弟子たちに言われた、

9:44
 「あなたがたはこの言葉を耳におさめて置きなさい。人の子は人々の手に渡されようとしている」。

9:45
 しかし、彼らはなんのことかわからなかった。それが彼らに隠されていて、悟ることができなかったのである。また彼らはそのことについて尋ねるのを恐れていた。

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<今日の『み言葉』>

み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(ルカによる福音 9:43b-45)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_84_1.mp3

み言葉について
(ルカによる福音 9:43b-45)

 イエス様から受難の予告を聞かされた弟子たちは、「怖くてその言葉について尋ねられなかった。」とあります。

理解出来なかったこと以上に、真実を知る恐ろしさを感じていたからでしょう。

 理解できない「何か」、もしくは理解したい「何か」があると、人は心に未知なる物・事に対して期待と不安を抱くものです。

またそれが自分にとって受け入れがたいものだと察する時には恐れを感じ、自然と拒否しようと目をそらすものです。

「真実を恐れる必要はない」はずなのですが、頭と心は必ずしも同じ方向へと進んでいくものではありません。

自分を偽るようになりますが、これが人の正直な反応でもあるわけです。

しかし私たちは嘘、偽りが真実から目を背けさせ、真実の光を避けて闇の中へと人を誘い、迷いと混乱のそれこそ迷宮へと導いていくことを経験で知っています。

いつも真実から目をさらさず、真実を受け止め、受け入れる勇気が欲しいものです。

 「受難の予告」がありましたが、「復活の予告」もあるのです。(マルコ福音9:30-32参照)

勇気を持って真実を受け取り、また真実を語るとき、不安、心配、恐れもありますが、神様の祝福もあるのです。

mickey sdb

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_285.htm#334
より転載

(マルコ福音 9:30-32 それから彼らはそこを立ち去り、ガリラヤをとおって行ったが、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。 それは、イエスが弟子たちに教えて、「人の子は人々の手にわたされ、彼らに殺され、殺されてから三日の後によみがえるであろう」と言っておられたからである。 しかし、彼らはイエスの言われたことを悟らず、また尋ねるのを恐れていた。)

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(ゼカリヤ書 2:1-5, 10-11a、☆新共同訳 2:5-9, 14-15a)

2:1
 またわたしが目をあげて見ていると、見よ、ひとりの人が、測りなわを手に持っているので、

2:2
 「あなたはどこへ行くのですか」と尋ねると、その人はわたしに言った、「エルサレムを測って、その広さと、長さを見ようとするのです」。

2:3
 すると見よ、わたしと語る天の使が出て行くと、またひとりの天の使が出てきて、これに出会って、

2:4
 言った、「走って行って、あの若い人に言いなさい、『エルサレムはその中に、人と家畜が多くなるので、城壁のない村里のように、人の住む所となるでしょう。

2:5
 主は仰せられます、わたしはその周囲で火の城壁となり、その中で栄光となる』と」。

2:10
 主は言われる、シオンの娘よ、喜び歌え。わたしが来て、あなたの中に住むからである。

2:11a
 その日には、多くの国民が主に連なって、わたしの民となる。


☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

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†主の平安

☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental

* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/

☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

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posted by marion at 00:59| 千葉 ☀| 本/雑誌 | 更新情報をチェックする