2024年01月23日

 Kyohno Seisho Monogatari

良い一日を過ごしましょう!

年間第3火曜日

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<今日の聖書物語 *>

(マルコによる福音 3:31-35)

3:31
 さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。

3:32
 ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。

3:33
 すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。

3:34
 そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。

3:35
 神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。

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<今日の『み言葉』>

み言葉について
(マルコによる福音 3:31-35)

 イエスの身内は「彼は気が変になった」と告げられてイエスを連れ戻しに来ました。

この記事をして「身内でさえイエスにつまずいた」とする解釈がありますが、そうかもしれないし、そうでないかもしれません。

社会的には、身内の異常を告げられて放っておけるものではありません。

少なくともどんな状態かを確認に行くでしょう。

確認した後で、イエスがおかしくなったと思ったのなら、つまずきと言えるでしょうが、その点について聖書は詳細を語りません。

つまり、そんなこと(身内がつまずいたかどうか)には関心がありません。

重要なのは35節の結語であり、そのポイントは「行う」ということばです。

eno

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_149.htm#46
より転載

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(サムエル下 6:12b-15,17-19)

6:12b
 ダビデは行って、喜びをもって、神の箱をオベデエドムの家からダビデの町にかき上った。

6:13
 主の箱をかく者が六歩進んだ時、ダビデは牛と肥えた物を犠牲としてささげた。

6:14
 そしてダビデは力をきわめて、主の箱の前で踊った。その時ダビデは亜麻布のエポデをつけていた。

6:15
 こうしてダビデとイスラエルの全家とは、喜びの叫びと角笛の音をもって、神の箱をかき上った。

6:16
 主の箱がダビデの町にはいった時、サウルの娘ミカルは窓からながめ、ダビデ王が主の前に舞い踊るのを見て、心のうちにダビデをさげすんだ。

6:17
 人々は主の箱をかき入れて、ダビデがそのために張った天幕の中のその場所に置いた。そしてダビデは燔祭と酬恩祭を主の前にささげた。

6:18
 ダビデは燔祭と酬恩祭をささげ終った時、万軍の主の名によって民を祝福した。

6:19
 そしてすべての民、イスラエルの全民衆に、男にも女にも、おのおのパンの菓子一個、肉一きれ、ほしぶどう一かたまりを分け与えた。こうして民はみなおのおのその家に帰った。

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†主の平安

☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental

* 口語訳聖書
http://bible.salterrae.net/kougo/html/

☆ 日本聖書協会 聖書本文検索
http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

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posted by marion at 01:05| 千葉 ☁| 本/雑誌 | 更新情報をチェックする