良い一日を過ごしましょう!
年間第2水曜日
(聖ヴィンチェンツィオ助祭殉教者)
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<今日の聖書物語 *>
(マルコによる福音 3:1-6)
イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人がいた。
人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人をいやされるかどうかをうかがっていた。
すると、イエスは片手のなえたその人に、「立って、中へ出てきなさい」と言い、
人々にむかって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは黙っていた。
イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。
パリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちと、なんとかしてイエスを殺そうと相談しはじめた。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:1-6)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_41_1.mp3
み言葉について
(マルコによる福音 3:1-6)
今日の福音は、マルコ独特のイエス描写が印象的です。
「イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら・・・」イエスは怒りを感じています。
そして 怒りのこもったまなざしで人々を見回します。
「イエスが怒るのはちょっと都合が悪い・・・」と思われる方もいらっしゃると思いますが、イエスも怒るのです。
では、何に対して怒ったのか。人々のかたくなな心に対して。
では、かたくなさとは何か。人々のかたくなさとは、恐らくこういうことではないかと思います。
人々も、ファリサイ派の人々も、ヘロデ派の人々も、イエスの問い「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」に対する答えを知っているのです。
もちろん、善を行うことであり、命を救うことです。こんなことは誰でも分かる。
しかし、彼らは「黙っていた。」イエスを陥れるために。
彼らの中にはそれ以外の思いはありません。
片手が萎えて何年も辛い思いをしてきた人のことは眼中にありません。
いや、むしろ、その人の辛い人生を利用してイエスを試し、陥れようとしているのです。
イエスの怒りは この心のかたくなさに向けられていると考えられます。
私たちの心の動きに、似たようなことはないかどうか、もう一度反省したいものです。
John Goto
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_144.htm#41
より転載
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†主の平安
☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
* 口語訳聖書
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2025年01月22日
Kyohno Seisho Monogatari (s)
posted by marion at 11:32| 千葉 ☀| 本/雑誌
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