2025年01月23日

 Kyohno Seisho Monogatari (s)

良い一日を過ごしましょう!

年間第2木曜日

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<今日の聖書物語 *>

(マルコによる福音 3:7-12)

 それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、

 エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。

 イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。

 それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。

 また、けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで、「あなたこそ神の子です」と言った。

 イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らをきびしく戒められた。

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<今日の『み言葉』>

み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マルコによる福音 3:7-12)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_42_1.mp3

み言葉について
(マルコによる福音 3:7-12)

 イエスの召命(の自覚)にもし、プロセスがあるとすると、一体どんなものだったのでしょうか?

理想の自分と現実の自分の間に罪に関わる葛藤はなかったものの、「神の子」と呼ばれるという自己超越の段階へ一足飛びで向かうことに待ったをかけられる様子が今日の福音で述べられています。

神の子として生きることがイエスの召命とするなら、彼はそのプロセスを自らの成熟の道程ととらえていたのかもしれません。

自らの類ない召命の完成にむけて、癒しや交わりそして神からの良き知らせを宣言するといった毎日の積み重ねを大事にされた姿が伝わってきます。

イエスはまだまだ、他の町や村に行かなくてはいけないのです。

まだまだ多くの人に神の愛を伝えなくてはいけないのです。

イエス自身の成功や挫折もそこには織り交ざっていることでしょう。

喜びも悲しみも、心地よさも疲れもひっくるめて、イエスは全部受け入れることを良しとしました。

自己超越の体験のまえに十字架があって、その道を今日も歩まれるイエスにわたしの小さな歩みを重ねたいと思います。

きっと力がいただけると信じながら。

若望

http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_145.htm#42
より転載

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†主の平安

☆ (BGM) Abiding Radio Instrumental
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental

* 口語訳聖書
https://pebutty.net/kougo/

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posted by marion at 11:32| 千葉 ☁| 本/雑誌 | 更新情報をチェックする