良い一日を過ごしましょう!
待降節第2金曜日
(グアダルペの聖母マリア)
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<今日の聖書物語 *>
(マタイによる福音 11:16-19)
11:16
今の時代を何に比べようか。それは子供たちが広場にすわって、ほかの子供たちに呼びかけ、
11:17
『わたしたちが笛を吹いたのに、
あなたたちは踊ってくれなかった。
弔いの歌を歌ったのに、
胸を打ってくれなかった』
と言うのに似ている。
11:18
なぜなら、ヨハネがきて、食べることも、飲むこともしないと、あれは悪霊につかれているのだ、と言い、
11:19
また人の子がきて、食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。しかし、知恵の正しいことは、その働きが証明する」。
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<今日の『み言葉』>
み言葉の朗読を聴こう!(新共同訳)
(マタイによる福音 11:16-19)
http://www.donboscojp.org/sdblogos/images/sc4_13_1.mp3
み言葉について
(マタイによる福音 11:16-19)
洗礼者ヨハネはイエスさまが来るべき救い主であることを弟子たちによって確認し、イエスさまはヨハネが預言者以上の者であることを認めています。
二人は互いに存在を認め合っていたことがわかります。
洗礼者ヨハネはヘロデ王によって斬首され、イエスさまはユダヤ人とローマ軍によって十字架の刑で亡くなりました。
ともに神様のことばを伝え、正しいことを主張し続けたことが死の主な原因です。
共通点の多い二人ですが、洗礼者ヨハネもイエスさまも人々から受け入れられない状況があったこともその一つです。
どうして受け入れられなかったのでしょうか。それは福音書のなかに見られるように、二人とも相手が聞きたくないことやいやなことを恐れずに話したからです。
話されたことを聞きたくないと思ったのは、事実だったからにちがいありません。
他人を受け入れる入れないの問題はその人の心のあり方にかかっています。
その理由は洗礼者ヨハネを殺害したヘロデ王は、自分に厳しいことをいう洗礼者ヨハネを避けたいと思いながらも、そのことばを積極的に聞こうとしたからです。
いやだから聞かないのではありません。いやでも聞くことができるのが人間のすばらしいところなのではないでしょうか。
T.K
http://www.donboscojp.org/sdblogos/C4_12.htm#13
より転載
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(イザヤ書 48:17-19)
48:17
あなたのあがない主、イスラエルの聖者、
主はこう言われる、
「わたしはあなたの神、主である。
わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、
あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。
48:18
どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。
そうすれば、あなたの平安は川のように、
あなたの義は海の波のようになり、
48:19
あなたのすえは砂のように、
あなたの子孫は砂粒のようになって、
その名はわが前から断たれることなく、滅ぼされることはない」。
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†主の平安
◇ Abiding Radio Instrumental (BGM)
https://www.abidingradio.org/radio/instrumental
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2025年12月12日
Kyohno Seisho Monogatari
posted by marion at 00:32| 千葉 ☀| 本/雑誌
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